「わら人形の第三道士夫人」第1話
補足
※この物語はフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係ありません。また、法律・法令に反する行為を容認・推奨するものではございません。
原作ストーリー本文|第1話
#1
白無垢を着たフミノが船頭の漕ぐ小舟に乗って河を渡っている。彼女は仙人が住んでいそうな渓谷を進み中国の奥地へ向かっていた。
そのあまりに雄大な自然に日本語が通じないとわかっていても、尋ねてしまう。
「イヤン家のお屋敷は本当にあるのでしょうか?」
船頭は何も答えない。彼は怯えていた。
本当に仙人の住まうと言われる神仙境・紅山(こうざん)へフミノを届けているのだ。仕事の報酬はよくても自身は死ぬかもしれない。
「こんな沈黙……」フミノはこんな異国の魔境へ向かうことになったわけを思い出すしかやることがなくなってしまう。
「我ら呪い屋一族の恥が! この無能め!」――
父・五刻(ごこく)チョウメイのその冷たい言葉に、フミノは着物の袖をまた涙で濡らす。
19世紀末、不穏な国際情勢の陰で呪い屋家業と言われる呪術師たちの暗躍は最盛期を迎えていた。その一族の最大勢力の一つの五刻家。その長の長女であるフミノは誰も呪ったことがなかった。それは命令に対してだけでもなく恨みつらみがあったとしても……。
「五刻の出来損ない」由緒ある呪い屋の家系の長女で人を呪えないフミノに貼られたレッテルだった。
父はそのことを才の無さによるものだと思っていた。これでは他の呪術師のお家に嫁入りさせることもできない。きっとフミノに子を産ませてもその血筋にふさわしくない、恐ろしい力を継がせられずに離縁され実家に返されるのが関の山だろう。
幸い我が五刻には長男であるフミノの弟、次女であるフミノの妹がいる。父はフミノを取引の道具に失っても痛手にならないと考え、一族が前から入手したかったモノとの交換に使う。
それは中国の呪術師・道士の呪法であるキョンシーの製法。
製法を五刻家に教えてもらうかわりにフミノは道士の集落の長、道士長と婚姻することに。
そして、フミノは一人その相手がいるという中国の奥地へ旅するきことに。
フミノは逃げることもできたであろう。でも、父に呪われてはかなわない。言う通りに道士長の妻になることにした……。
「まるで竜宮城みたい」たどり着いたフミノの目の前には立派な唐人屋敷――。
船頭はこの門前まで彼女を案内すると、そそくさと逃げ帰った。
険しい紅山の中腹に人里があり、そこで道士たちは仙人を目指し修行していた。自給自足のできる一つの町となっており、その中で様々な農園を持つのがイヤン家。彼ら一族の家長は里長を務め、この地の道士たちのまとめ役である道士長でもあった。
敷地内にフミノが足を踏み入れる。美しい中華式の庭園はまるで桃源郷。
そこを抜けると、やっとイヤン家邸の玄関だった。玄関は白く大きかった。そこでフミノを待ち構えるように女性が出迎えてくれた。彼女は歳上な大人の女性で色鮮やかで絢爛な、いかにも中華な民族衣装に身を包んでいる。
フミノには着飾っているように見えた。
その彼女がフミノに尋ねてくる。日本語で訊かれたことにもだが、その不躾な質問に驚かされた。
「あなた、男性経験は?」
「! あ、ありませんが……」
「フフッ……」
鼻で笑われ嫌な予感がする。
「これから覚えることがいっぱいあるわね」独り言が聞こえ耳に残った。
そのままイヤン家の人々を紹介されるフミノ。
彼女は第一夫人・リネン(36)で、その長男・ジェウ(22)と長女・チュアン(7)とここに住んでいるという。
それに第二夫人・モーメイ(19)。現在、彼女は妊娠中だ。
他は乳母と……額にお札を貼られたキョンシー。お札は呪符で黄色い紙に血文字の呪文が記されている。彼らは死体だが使用人として働かされていた。
最後に、第一夫人のリネンにこう挨拶されフミノは驚く。
「これからよろしくね……第三夫人」
(第一、第二……)
「!!」
フミノは彼女の紹介で知った。
自分が道士長であるイヤン家当主の第三夫人として娶られたことを。
時代は中国の王朝『清』の終わりかけ。一夫多妻制の婚姻制度が残っている上、この地は、西欧諸国や日本からの植民地支配の手がまだ届いていない山奥の秘境で道士の集落。
日本の結婚の慣習は何もかも通じなかった。フミノはそう予感する。
それに……まだ肝心の顔合わせが済んでいない。夫となる人物だ。
「道士長、ご当主はどこに?」
「……あとのお楽しみよ」リネンはそれ以上答えずニヤニヤする顔を扇子で隠す。
自分をさっきから小馬鹿にしていると感じたフミノは彼女に良い印象を抱かなかったし素敵な伴侶がこの後に待っているとは思えなかった。
日が暮れ夜の庭園を松明が照らす――。
日本から持ってきた白襦袢姿のフミノがカバナ風の優雅な寝室に入っていく。
透きとおるカーテンで区切られた先のベッドに自分の旦那様にとなるイヤン家のご当主・道士長がいるが……その人物は父より年上の初老の男。
何よりもフミノを唖然とさせたのは、そいつが道士の着る服である道服も着ずに全裸姿で大の字で自分を待っていることだった。
その偉そうなこと!
(結婚相手との初顔合わせがこれ? 初夜で?)
ここではこれが普通だと、この婚姻儀の直前でリネンが語っていたのを思い出し覚悟を決めるフミノ。
息を呑み白襦袢を脱ぐ。
それを目の前の名前を知らぬ男はニヤニヤ見る。楽しい時間じゃない。
男に何を話しかけてもただに不気味な笑みを返すだけ。彼には日本語が通じないとは聞いていたが……少しなら話せる中国語も通じない。
フミノにとって長い夜だった。
翌朝、夫人専用の清らかな泉でリネンとモーメイは水浴びをしていた――
フミノもそこに混じって体を洗う。
実は結局、昨晩は道士長と何もなかった。
あの男は自分を見て楽しそうにしていたが性的に反応することはなかった。
「お年もあるものね」
そう自身を納得させていたフミノの元にやってくるリネン。
彼女はなじる、昨夜の初夜は失敗だったと。
「あなた、何のために来たのッ?」
自分はあの男のことを好きでもないので子作りなどどうでもいい。だが……。
この地での妻の役目。それは、家の後継ぎとなれる男児を産むということ。
この屋敷は女を侍らしたハーレムであり、主である当主との子作りのためだけにある。
ここで生まれた男子で、道士として一番優秀だった者が家を継ぎゆくゆくは里の道士たちを率いる道士長に。
女子では家督を継げないのだ。
「ここでの妻の意味、それは男を産めるか」そう言うリネンは“肚兜(どぅどう)”という背中のパックリ開いたノースリーブ状の肌着をつける。
フミノにはそれが腹掛けに思え滑稽だった。
自分は持ってきていた浴衣に着替える。
フミノは一人になりたくなり里を流れる小川に沿ってさまよう。
実は自分が、『結婚』というものに期待があったのだと実感していた。
もしかしたら見知らぬ異国の不思議な術を使う道士の令息と幸せになれると、でも現実は……
「このまま逃げてしまおうかしら、野垂れ死ぬかもしれないけど」そんことを呟いていると背後から呼ぶ声が!
「フーミン〜ッ!」
ハッと振り向くフミノ。多分、自分のことだ。
(逃げようとする私を捕まえに?)
追ってきたのは第二夫人のモーメイ。現在5ヶ月の身重の体なのに彼女が走ってくる。
つい駆け寄ってしまうフミノ。
「駄目ですよ、そんな走っちゃ」
足を止めたモーメイは息を切らしながら次々と話しかけてくる。
「一人で行っちゃダメ。迷子になる」
「?」
でも、まだ言葉が全然わからないフミノは、ひとまず紹介の時に覚えた名前で彼女を呼ぶ。
「モーメイ奥様、どうかされたんですか?」
すると首を左右にいっぱい振られてしまう。
何が違ったか理解できずフミノ、更に目を丸くしてしまう。
「え? え??」
そんな彼女の手をとるモーメイ、自身の少し膨れた腹に触れさせる。
「……!」
なぜだかフミノの目から涙がひとすじ流れてしまう。
モーメイの見た目は自分と同年代ぐらいだった。その彼女が子作りに必死で、それが普通の世界に自分が来てしまったのだ。
「フーミン……」
フミノはモーメイに勝手にあだ名をつけられていた。
彼女は伝わっていなかったが教えていた、この道士の里で自分たちの置かれた状況を。
「まだ奥様じゃない、私もあなたも」
「?」
「死んでもキョンシーにされて自由になれない」
かなしい現実をモーメイが必死に伝えていたが、フミノにはやはり何を言っているのかわからなかった。
「??」
〈第2話へ続く〉
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