セルフオマージュは元恋人 20220808
最近なんにも思考できてない。インプットが足りないからだ。ぼんやりと考えていることや、やりたいことはあるんだけど、それらにすぐ手をつけられるほどのフットワークの軽さがない。それというのも事務的な手続きでやらなければいけないことを延々と先延ばししているからだ。こうして人は冷蔵庫が壊れたまま半年以上過ごすことになる。
というわけで、明日は仕事が終わったら飯を食って洗濯物を干して事務仕事を片付けてしまうもんね……。言質でどうにかやっつける気力になってほしい。なってくれ! 自分。
ゴールデンカムイ。再読するたびに発見があって面白い。面白いんだけど、なぜか茨戸の話だけ人間関係が全然頭に入ってこない。ヤクザの対立的な、同業者の対立が頭に入ってこないタイプなのかもしれない。龍が如くは自分でキャラクターを操作するので敵と味方の区別がつくんだけど、漫画は俯瞰視点が基本なので、ぼーっと読んでいるとなんにもわからなくなる。また気合い入れて読み直そうかな、茨戸の回。
あそこの話で「親殺しは巣立ちの通過儀礼」みたいなことを言っている尾形がだいぶ印象的だったので、その後の話でワァ……と思いましたね。
スピナマラダも全巻買っているんだけど積んでいる。面白かったとしても自分にとってウケなかったとしても、ゴールデンカムイへの目線が絶対に変わると思うんだよな。私が市川春子の短編集を読んだのは宝石の国が5巻ぐらいまで出ていたときだけど、そのときも「この話が宝石の国につながるのか……」と思っていた。そして、宝石の国のアイディアはゼロから湧き出したものではないんだなと悟った。当たり前のことだし、セルフオマージュが嫌いなわけではない(むしろ好き)んだけど、作者がセルフオマージュする描写があったとして、その「わざわざセルフオマージュした意図」ってなんだったんだろうと思う。今の自分の作品を面白くするためなのか、過去の作品のファンへのサービスなのか、過去やったけどウケなかったことを今やればウケるだろうと思ってやっているのか。それ以外の要因も少なからずあると思うけど、パッと思いつくセルフオマージュの動機はこんな感じだ。書いてみてわかったけど、セルフオマージュって彼女の元カレの影がちらつくような感覚で複雑になるんだな……。