ゴールデンカムイで勝手に見出した叙述トリック
私の好きな主人公を何人かあげてみよう。マックス・ロカタンスキー(マッドマックス)、アイザック・クラーク(DeadSpace)、フジキド・ケンジ(ニンジャスレイヤー)、ジョン・ウィック(ジョン・ウィック)……。彼らの共通点とはなにか。妻子や愛するものを失った孤独で孤高な男であるということだ。そしてそういう男が主人公の作品は決まってとても面白い。
そんな性分なので、ゴールデンカムイを読んでいて杉元佐一には勝手に上記のような「愛するものを失った孤独な男」である主人公像を見出していた。というか初期の杉元はだいぶそう描かれていたように思う。アシリパさんのことを気にかけてはいても、心の底では自分ひとりで戦うべきだという思いを捨てきれないでいる。自らに孤独であることを課しているようだった。
網走監獄で杉元とアシリパさんが離れ離れになってから、杉元の目標がどこにあるかも知れない金塊よりも遠くにいるであろうアシリパさんを探すことにシフトしていく。それ以降の杉元は失った「愛するもの」の枠に(愛するの意味をここで明確にはしないが)アシリパさんを当てはめて行動しているように見えた。白石にも「人生に守るべきものが出来た」と勝手に思い込んで~とか言われているし。
というわけで、杉元佐一は「愛するものを失った孤独な男」から徐々に離れていくわけである。
で、ゴールデンカムイを全巻お読みになっている皆さんはもうおわかりだと思いますが……………………
「愛するものを失った孤独な男」って鶴見中尉の方だったのかよ!!!!!!!!!!!!!
杉元の方じゃなくて!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
と、ゴールデンカムイ18巻を読んだとき、叙述トリックが解けたときのようなスッキリした気持ちに勝手になっていた。主人公が持っていると思っていた属性はまさか敵の大将が持っていたというどんでん返しだったのだ……。
※作中にそういう男がいますとかどこにも提示されていないし、私が勝手に「ゴールデンカムイには愛するものを失った孤独な男がいるはずだ」と確信していただけである。
月島とか、もっと範囲を広げれば菊田さんとかもこの括りには入ってくるんだろうけど、私の感覚では彼らは孤独とはちょっと違うかなと思っている。自分の鬱屈した思いを吐露できる相手がいるからかもしれない。弱みを一人で抱えている人が私には孤独に見えるのだ。
そういうわけで、私は鶴見中尉が一等好きです。