鯉登少尉は孤独に見える
鯉登少尉は私にとって孤独な人である。物理的に孤独なわけではない。精神的に孤独であろうとしているように見えるのだ。
正確に言うならば、作中の彼が終始孤独に見えると言い切れるわけではない。むしろ逆だろう。鯉登少尉が孤独に見えるのは、自分の弱音を飲み込みがちな部分があるからだ。文句は言えども弱音はめったに吐かないのだ。
人の上に立つべき人間として育てられてきたからだろうか、彼は子どものころから自分の弱さを抱え込んでいる(ゴールデンカムイ20巻参照)。そこに「溜まっているものは吐き出したほうがいい」と手を差し伸べるのが鶴見中尉なわけだ。こうやって「今ここでは君の弱さを見せていいんだ」と誘導されて初めて自分の弱さを語るんですよ。
もうひとつ、作中で鯉登少尉が杉元に刺されたあと、父親と二人きりのときにだけ「情けんなか…」と弱音を吐いている。このときは弱みを見せて良いと促されるような描写はない。しかし鶴見中尉に弱音を吐いていたときとの共通点がひとつある。どちらも自分の上に立つ人相手だということだ。
こういう描写を見ていると、鯉登少尉は自分の弱みを口に出す相手を慎重に選んでいるように思える。そういう思慮深さが彼にはある。
最終決戦で永倉新八や土方歳三に弱点を指摘されてはいるが、それに対して自分の心情はずっと口にしないままである。迷いを捨てようが勝てる相手じゃないと、心のうちでは思っていても表には出さない。戦場で仲間のうめき声が士気を下げるように、上に立つ人間がネガティブなことを言えば部下に伝播することを分かっているのだろう。
だからこそ普段は弱音を吐かず、そうするとしても自分の弱さを分かっている父親や大人だけ……という生き方をしている。それってだいぶ孤独じゃないだろうか? いくらなんでも弱さをずっと抱え込んで生きるのは辛い時があるのでは? 自分の上に立つ人がいなくなったら、彼はどうするんだ?
…………どうするんだよ!!!(最終話)
と言いたくもなる。鶴見中尉はもう第七師団にはいなくて、父親も(生死ははっきりと明かされないにせよおそらくは身近に)いない。
立場的に鯉登少尉の上に立つ人はいることは分かる。でも鯉登少尉が自分の弱音を吐き出せるような人はいないだろう。
じゃあ月島相手に私のちからになって~って言ったのはなんなのかという話になるが、鯉登少尉は自分の「欠点」は口に出せるのだ。自分の短所が分かっていることは弱いことではない。むしろ短所を把握している人は強い人だ。そして短所を人に話すことは弱音を吐くことと必ずしも同じではない。が、短所と弱音は近しく見えるので、(心理的な)弱みすらも見せている……ようにみえるのだ。
自分の短所を話してくれる人は、(実際にはそうでなくとも)弱音を吐いているように見える。弱音を吐いているところを見せてくれれば、自分はこの人に信頼されているんだなと思う。話された側もその人を信頼していく。
しかし、あるとき「あの人が自分に話してくれたことはあの人自身の欠点をありのまま話していただけで、あの人の悩みや鬱屈した感情ではなかった」と気付くのだ。それは信頼を損なうものではなく、むしろ自分に気苦労をかけたくないがためだったと悟る。そうしてあの人への信頼は一層深まるのだ。そうして部下から愛されるんだろうな。分かっているのか鯉登音之進!!
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