白鴉例会とロブ=グリエとヴァージニア・ウルフと『ゴドーを待ちながら』とリズールと鈴木道彦と
11月24日、白鴉例会。拙作含めて3作。ロブ=グリエみたいに書きたいなと思って書いていたが、出してから、やりたかったのはウルフの『灯台へ』ではないかと思いあたる。ロブ=グリエ『覗く人』と並行して岩波文庫版を読み返してみると(どちらも海辺)、ああ、やはりこれだなと。でも描写そのものはロブ=グリエがやはり好みだなと。せっかくなのでさいきん出たばかりの鴻巣訳新潮文庫版を買う。鴻巣訳は前に読もうとして合わなかったのだけれど。『かわいいウルフ』でおなじみの小澤みゆき氏が手掛けられた葛川篤訳も購入。本編と別紙の「これからの展望」で登場人物の名前が違っていることに当日気づくという。「浦塚」です。「浦路」でもいいかなとちょっと思っております。『ゴドーを待ちながら』のエストラゴン&ウラジミールにちなんで。二人組だし、バス待ってるしなあと気づいてなんとなく寄せただけです。もちろん「バスを待ちながら」というタイトルも一瞬頭をよぎりましたが、それはあまりに安直すぎるのでやっておりませんよ。来月、『ゴドーを待ちながら』ひさびさに観られる予定です。やった。私の作品は描写が足りないと白鴉やら文校関係者以外からわりと指摘されますので、がんばろうと思います。はたして無事に2月の例会に出せるのか。
終了後、串カツ屋。私がとにかく人の影響を受けやすいと。自覚しており、こうなればどんどん受けて刷新していった末に何が残るか、残すべきかを見極めていこうというのが現在の私の方針でございますよ。
ブログ自体を書いていなかったですが、10月27日も白鴉例会はございましたよ。ブログさぼりすぎてもはや5人いるかどうか怪しかった読者も存在しているのか、どうか。
11月17日、リズールにてオープンマイク。私はよせばいいのに自作詩の朗読。50近い異形のおっさんがカウンターで素人臭い詩を不明瞭な発音で読むという地獄と恐怖を味わわせた。たぶん出禁になったんじゃないか。私以外はたいへんな盛り上がりでしたよ。
11月19日、鈴木道彦氏が亡くなる。私が在日朝鮮人にまつわる問題について勉強しはじめたきっかけをくださったのが彼の著書『越境の時──一九六〇年代と在日』だった。私の理想の知識人像のひとりであった。小説の訳業は正直なところ、明晰にしすぎることによる弊害が出やすくなってるのではという感触が拭えないが。『マルセル・プルーストの誕生』と『私の1968年』を積んでるので読まないとな。晩年にはフランス語ラップを聴いたりもしていたらしい。
いつか講演会なり行く機会があればと考えていたけれど、叶わなくなった。
5年前にはこのような記事も書いており、2010年に『越境の時』を読んだ私は私はプルーストを読んでベルンハルトを思い出し、その理由を鈴木道彦で自覚したらしい。
さいきん読み終えた本
『現代詩文庫250 村田正夫詩集』(思潮社)
トーマス・ベルンハルト『アムラス』(訳:初見基/飯島雄太郎)(河出書房新社)4年ぶり2読目。
在日本韓国YMCA 編『交差するパレスチナ──新たな連帯のために』(新教出版社)
トーマス・ベルンハルト(訳:飯島雄太郎)『石灰工場』(河出書房新社)
ルイス・ハンケ(訳:佐々木昭夫)『アリストテレスとアメリカ・インディアン』(岩波新書)
高橋繁行『土葬の村』(講談社現代新書)
平沢計七『一人と千三百人/二人の中尉──平沢計七先駆作品集』(講談社文芸文庫)
さいきん観た映画
『憐れみの3章』(ヨルゴス・ランティモス)MOVIXあまがさき
『ジョーカー──フォリ・ア・ドゥ』(トッド・フィリップス)MOVIXあまがさき
『破墓』(チャン・ジェヒョン)MOVIXあまがさき
『あみこ』(山中瑶子)第七藝術劇場