『ヘカベ、海を渡る』とエウリピデスとギリシア悲劇と『アサシンクリード オデッセイ』とポリュクセネと文章と

 6日、午後より演劇観賞。清流劇場による『ヘカベ、海を渡る』。twitterで見かけた情報によると原作エウリピデスとあったので、ちくま文庫の『ギリシア悲劇』を引っ張り出したところ、第3巻のエウリピデス(上)に「ヘカベ」という作品があるとわかり、前日からちょこちょこ読み進めていた。ちなみにちくま文庫のこれは第1巻のアイスキュロスを通しで読んで以来、必要があったときだけ任意の作品を読むという読書方法。今回は何年か前に「トロイアの女たち」を何かの作品を読むために読んで以来か。
 一心寺シアター倶楽で座席に座り、ビフォアトークがはじまるまでになんとか読み終える。どんな感じに仕上げてるんだろうなあとわくわくしながらビフォアトークを楽しむ。『アサシンクリード オデッセイ』でさんざん放浪した地図。読んだばかりなのでだいぶ理解度がすさまじい。
 ちゃんとコロスの合唱からはじまった時点でニコニコになる。古代ギリシア悲劇の観劇は今回がはじめてだったが、まさかコロスがちゃんといるとは思っていなかったので。冒頭から早速、あ、ここからはじめるんやと。たしかにあとから回想を挟んだりするより効率的。原作に出てきたオデュッセウスを飯炊き女に改変したとビフォアトークで言っていたので、どうなるのかなと注目していたが、まったく違和感なく、むしろこっちのほうが正解なのではと。そもそもかの有名なトロイの木馬の発案者かつ首謀者だし、ヘカベが命を助けて恩に着るというのは無理がないかと原作を読んでいる時点で思っていたので。そうでなくてもこちらとしては『オデュッセイア』やなんかでオデュッセウスの人物像を知っているので、終盤のあの展開とか、だいぶ無理あるやろと。そこでおとなしく最後まで引っ込んでるようなやつ違うやろと。まあ、オデュッセウスのそういう性格最悪なところがわりと好きなんですが。トロイア人をそういう感じに描くのが当時のトレンドだったのかもしれないですね。そして飯炊き女にすることにより、戦争に翻弄される民衆の事情を浮き彫りにすることができて、古典を現代に合わせて改良していくことの意味だとかその方法とかを教えてもらった。
 戦争の場面で機関銃ぽい音が聞こえるのは意図が推測できてはいても違和感がなかなか拭えなかったが、コロスの歌に「ミサイル」という単語が出てきたのはわりとすんなり受け入れられて自分でも意外だった。トロイ戦争が終わったあとの物語であり、敗者側の物語であり、戦争という不条理に翻弄される(そもそもの原因がトロイの王子パリスがスパルタの英雄メネラオスの妻ヘレネを攫い、それを取り戻そうと進軍したのがきっかけ。10年つづいた)人々の物語であることもあって、観劇中にはパレスチナの現状が頭の中にちらついていた。終盤の、石を投げるトロイアの女の表象はイスラエルによる壁に向かって投石するパレスチナ人をあきらかに重ねているのではないかと個人的に思っていましたが。タイトルの「海」とは「時」のことでもあったのですね。おそらく。
 そしてラスト、思わず、クリュタイムネストラの仕事がなくなっちゃうよ、と心の中で叫んだとか叫ばなかったとか。結局なくならないんですが。たいへんいいものを観させていただきました。
 ゲームでわりと無駄に陸路を行くのも好きなので、船が出せないなら陸路を行けばいいのでは、とか安易に考えてしまうのだった。
 この作品を知るきっかけとなった、twitterやらで相互フォローさせていただいている趙清香氏の演技も大変良かったです。ポリュクセネの気高い姿、とても印象に残りました。かっこよかったなあ。

 以前の記事で紹介した『季刊文科』の谷村順一氏による同人雑誌季評ですが、作品ページにアップしております。ここにも載せておきます。ご照覧ください。参考までに、以前、谷村氏にいただいた「小説友達」についての評はこちらで読めます。文章を褒められるのはめっちゃうれしいので、皆さんもぜひ褒めてください。

『季刊文科』2024年秋季号・97号同人雑誌季評
『季刊文科』2024年秋季号・97号同人雑誌季評

さいきん読み終えた本
トーマス・ベルンハルト『凍』(河出書房新社)5年ぶり2読目。
日上秀之『はんぷくするもの』(河出書房新社)

さいきん観た映画
『シビル・ウォー──アメリカ最後の日』(アレックス・ガーランド)MOVIXあまがさき

さいきん観た舞台
清流劇場2024年10月公演『ヘカベ、海を渡る』一心寺シアター倶楽


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藤本紘士
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