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最後のことは覚えていない。

中学生の頃に読んださくらももこさんの「まるむし帳」という詩集。

昔すぎてもうほとんど詳細を覚えていないけど断片的に覚えているのが

「いつも遊んでいたぬいぐるみがあった。最後にあのぬいぐるみと遊んだのはいつだったんだろう。その時の自分はあのぬいぐるみと遊ぶのがそれが最後だとは思わずに、いつの間にか終わりを迎えていた」

というような内容の詩。(ぬいぐるみだったのか人形だったのかそのあたりも曖昧です)

中学生ながらその詩は心に残るものがあって、これまでにもよく思い出す詩でした。

そういえばいつの間にか終わっているものって色々あるよなぁ、その最後の時って、それが最後だとも思わずに、終わってるよなぁということを、子育てをしている今、よくその詩と共に思い出すのです。

年度終わりや卒業式など明確なセレモニー、区切りがあると「これも最後か…」と思いを馳せることができるし、歯が生えたとか、歩いたとかはじめてのことは覚えているのに、始まった子育て中のアレコレはいつの間にか終わりの時を迎えている。

「最後にこどもがスタイをして食べてたのはそういえばいつだった?」

「最後にあの子が私の自転車の後ろに乗ったのはどの時だったんだろう」

たぶんそれがずっと続くように思って、特に意識もせず日常の中に入り込んで過ぎていくからなんだろうなぁと思う。

子どもはいつの間にか色々なものを卒業している事が多い。そしてその時は最後の時だとは思っていない。

そうして振り返れば日常のアレコレがあっという間に終わっていたと気付き、過ぎてしまえばとても貴重なものに思えて、たまには最後をかみしめたいと思うけどやっぱり日々に流されていつの間にか終わっている。

わかやまけんさんという人の作った「こぐまちゃんシリーズ」の絵本があります。1970年に出版され、2021年になった今もたくさんのこどもや大人に愛される有名な絵本シリーズです。

ご多分にもれず我が家もこのこぐまちゃんに親しんできて、特に大好きだったのが「しろくまちゃんのほっとけーき」という絵本。寝る前の読み聞かせに読んでいました。しろくまちゃんがお母さんとほっとけーきを焼いて、こぐまちゃんと一緒に食べて洗い物までする、というシンプルな話。

その中で、ほっとけーきの焼けていく様子が楽しい擬音と共に描かれていて、最後ほっとけーきをひっくりかえす「ぽいっ」という擬音の時に、私が絵本をぽいっと軽く投げ(ふっかふかの布団の上にですよ、投げたのは許して)それを誰が一番早く取りに行けるか…ということを延々と楽しんでいました(絵本を読むという目的からも大きく外れてるのも許して)

ぽいっの瞬間が子供たちは楽しみで楽しみで、間を置いて、じらしてぽいっなんてすると大盛り上がり。連続で何回も読んだのに、こどもたちも段々と大きくなり、そういえばあれほど読んでいたこぐまちゃんを最近読まなくなったな、と気づきました。絵本は家にあるし、これからもまだ読む機会は訪れるかもしれないけど、最後に読んだのはいつだった…?と思うくらいご無沙汰で、このnoteの冒頭の考えに行きつくのです。

ふと、大好きだった「しろくまちゃんのほっとけーき」を記録に残したいぞ…という気持ちがムクムクと湧き、しろくまちゃんのほっとけーきパーティをしました。(パーティにしてしまうあたりはオタクだから)

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本当にこれが「しろくまちゃんのほっとけーき」を読む最後になるわけではないけれど、子どもたちが完全に卒業するまでに記録に残しました。

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▲我が家で象徴的な「ぽいっ」という言葉もしっかり残しました。こどもも何のことかすぐにわかったようで一緒に読んできたからこそ、同じ気持ちを共有できるのが嬉しい。

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「しろくまちゃんのほっとけーき」の読み聞かせはいつが最後になるんだろう。また、いつの間にか終わりを迎えているはず。

しろくまちゃんのほっとけーき                                作・絵:わかやまけん                                  出版社:こぐま社


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