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宗像へ(1)

ある日、南北朝時代の九州について調べ物をしていて唐突に宗像氏の動向について興味を持つ。

「宗像大社は沖津宮、中津宮、辺津宮の三宮からなり、宗像三女神を奉斎している。
…宗像大神を奉祀する宗像氏は古代の有力な氏族であり、中世には院庁、鎌倉、室町両幕府らと関係をもち、戦国期にもその地位を守り抜いた豪族であった。」(文部省)


南北朝時代は一貫して北朝方に与し、大保原合戦の際も少弐頼尚に従っている。

戦国時代には大内氏に臣従していたが、大寧寺の変で大内義隆が家臣の陶晴賢に討たれた際、義隆に仕えていた宗像大社大宮司・宗像氏雄(男)も討死した。
主君を倒した陶晴賢は宗像氏の家督争いに介入し、自らの姪と前大宮司宗像正氏との間の子・鍋寿丸を後継として宗像へやる。
さらに家督争いの反対勢力である氏男の正室・菊姫とその母・山田局らを暗殺させる(「九州一の怪談」といわれるらしい山田事件)。

この鍋寿丸が筑前宗像氏最後の大宮司・宗像氏貞である。

画像は「時短だ」より

宗像氏貞
宗像大社の大宮司として祭祀を司る一方で山田事件の祟りを鎮めるため、宗像氏の存続のため、また戦乱のうちに焼失した宗像大社社殿再建のためその生涯を捧げる。
世の名だたる戦国武将のような華々しさはないけれど、時勢に翻弄され困難な舵取りを強いられながらも懸命な生きざまが残された史料から見てとれる。


宗像氏が奉祀した宗像三女神、宗像大社へお詣りしてみたい…と思っていたところ機会に恵まれひとり宗像へ出かけることに!

2024/11/28
季節外れの台風の影響で旅程が1ヶ月ずれるなど(今年2回め)したこともあって、前日に京都御所内の宗像神社で旅の安全を祈願する。

宗像神社

11/29
6:00 夜行バスで博多駅へ

眠るクリスマスツリー

6:20
博多「ソニックにちりん」で東郷まで

宇宙船みたい、宇宙船見たことないが
車内も近未来的

福間駅から普通列車に乗り換えて東郷駅へ

東郷駅
ここはもう宗像市内
東郷駅前バス停
時刻表が調べていたのと違っている!!😱
でもバスが来たので大丈夫。

ここから西鉄バスに乗って、

のどかな風景が続く…

宗像大社辺津宮大鳥居を通り過ぎて、8:00過ぎ
神湊からフェリーに乗って大島へ。

天気予報は曇り時々雨だったけれど、雲と海を照らしながら昇る太陽を拝むことができた。

フェリーといえば穏やかな瀬戸内海を航行する宮島フェリーの記憶しかなくて、船員さんに「波かぶるからデッキはやめといた方がいい」と言われ「波を…かぶる?」と驚きつつも大人しく船室へ。
まあ揺れる揺れる、ひとり船酔いして吐きそうになる私…玄界灘なめてた!
特に往路はスマホも触らずじっと目を瞑って揺れに耐える。

20分ほどぐわんぐわん揺られて、大島へ
青空から突然の雨、そこからまた日が差す、雹もパラパラ…といった気まぐれな天気で、用意した雨具(リュックカバーと傘袋)が役に立つ。

二重の虹🌈

降ったり止んだりの空を眺めながらひたすら歩いて沖津宮遥拝所を目指す。

安倍宗任!?
世界遺産の説明パネル
もう少し…
遥拝所が見えてきた!
澳嶋遥拝所の碑
沖津宮遥拝所鳥居
沖津宮遥拝所
宮さま、着きましたぞ!
虹が🌈

あいにくの天気で田心姫神のおわします沖津宮(沖ノ島)は拝めず。
安倍龍太郎の小説『乱世の海峡』にあった、まだ少年の氏貞が命懸けで沖ノ島へ渡る場面を思い出した。
強い風と白く泡立つ波が、この海を渡ることの厳しさを語っているように思えた。

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