ハードコアパンクと私 2
1981年。
もうCRASSもDISCHARGEもTHE STALINもGAUZEも活動をしていました。
でも彼らを知ることになるのはもう少し後です。
かろうじてミュージックライフ(っていう音楽雑誌)の白黒ページに
ANTI-NOWHERE LEAGUEの名前が載っているのを見たくらいでした。
高一になった兄はわかりやすくグレはじめました。
これまたわかりやすくグレはじめた彼の友達とつるみ、
なかなか家に帰って来なくなりました。
兄と音楽の話をするのは大好きだったので
少し寂しくはありましたが
その寂しさを埋めるように僕はFM情報誌を隅から隅まで眺め、
ロックに限らず、少しでも心の琴線に触れるものがあれば
エアチェックしまくっていました。
お若い方は何を言ってるかさっぱり分からないでしょうが
FM情報誌はFM放送の番組表とともにプレイリストが載ってたんですよね。
ラジオで流れた曲をカセットテープに録音する-これがエアチェックです。
(テレビの放送を録画するのもエアチェックと言うらしいですが)
音楽配信サービスはもちろん、貸レコード屋も一般的じゃない頃です。
マイノリティな音楽は買うか誰かに借りるかラジオで聴くかしか
なかったんですよ。
(サウンドストリートって番組でINUがかかった時は興奮したものです。)
そしてこの年の終わりか、翌1982年の初めくらいに
僕ら世代のロック/パンク好きに深く、取り返しのつかないような
とんでもない影響を与えた『爆裂都市』という映画の
制作発表のニュースが飛び込んできます。