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ハードコアパンクと私 11
1984年。
部活をやってなかった僕は放課後にアルバイトを始めます。
毎月のように欲しい新譜は出るし、
ラモスカ(ってパンクショップ)で通販したいし、
買い食いとかもしなきゃいけないしで
薄い小遣いじゃ話にならなかったからです。
スーパーとかディスカウントショップとか
平日の夕方3時間くらいだったんですけど
あんなに時間が経つのが遅いって思った経験は
なかったですね。
大人になって8時間とか働けんのかな?って考えてましたが
大人の8時間って結構あっという間なんですよね。
♪進まない時計が一番の敵だ(未来は俺等の手の中)
![](https://assets.st-note.com/img/1676885395351-FOl3btNhdi.jpg)
VAPからリリースされたDISCHARGEの日本盤、
"HEAR NOTHING SEE NOTHING SAY NOTHING"は
中学生の時に聴いていました。
ハードコアパンクのプロトタイプには触れていましたが
まだハードコアパンクは好きな音楽のジャンルの一つでした。
1984年の梅雨時だったと思います。
1983年にDOLL誌がやってたDogma Recordsより
リリースされたGISMの"DETESTATION"と
THE COMESの"NO SIDE"を入手しました。
都会ではもう売り切れていたのかもしれないですけど
田舎の自主盤を扱っている店にはまだ残ってたんですよね。
![](https://assets.st-note.com/img/1676885455184-vlvrkadBGa.jpg)
この2枚ではっきり覚悟が決まりました。
(ついでに言うとCONFUSEの"INDIGNATION"カセットも)
![](https://assets.st-note.com/img/1676885537493-vQ7z7Lww9B.jpg)
ハードコアパンクこそが世界で一番素晴らしい音楽で
僕はハードコアパンクスとして生きてゆくと。
そして何の根拠もなくハードコアパンクで世の中を変えられる、
世の中を変えるアクションに参加できるんだと拳を握りしめたのです。