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自己懐疑とは何か?/短編小説『言葉を耕す』第2章

前回は、「対話」に必要な4つの要素について整理をした。また、その要素を伝えるために、即興で短編小説を添えてみた。

さて、今回のテーマは、「自己懐疑」についてだ。
前回お伝えした対話の最下層で一番重要な「自己懐疑」を深めてみたい。

第4階層「自己懐疑」

自己懐疑というのはなかなか難しい。
健全な自己懐疑は、大抵2つの欲求のいずれかによって阻まれる。

1つ目は、自分の正しさを立証しようという欲求だ。
この欲求に負けると、対話も自分の正しさの押し付けになるパターンに陥る。
2つ目は、その真逆で、相手の考えをそのまま鵜呑みにしたいという欲求だ。
つまり、自分の意見がないために、自分の考えを立証しようという動機まで至っていない。自分の考えを持つことを完全に諦めてしまっていて、自分はどうせ何者でもないという諦念に囚われてしまっている。

自己懐疑というのはこの中間体に身を置くことだ。
自分は正しくないかもしれないが、確固たる意見はある。
だからこそ難しい。

宙ぶらりんの状態

ではこの宙ぶらりんの状態に至るためには、何が必要なのだろうか?
そこに至るまでの3つのプロセスを挙げてみたい。

Step1. メタ認知

まず最初に挙げられるのが、メタ認知だ。これは、自分の考えや感情、行動パターンを客観的に振り返るという内省の習慣を持つことによって実現できる。
内省を通じて、「自分は今こういう視点や前提を当たり前のこととして受け取っているのではないか?」と自分をまるで他者のように描写できるようになるのだ。
これにより、ただひたすら自分を正当化するのでもなく、自分を全否定するのでもなく、「今の私が必ずしも正解ではないかもしれない」という柔軟な姿勢を持つ土台が生まれる。

Step2. 自己肯定

内省によってメタ認知を獲得することにより、「自分はどうせ何者でもない」という極端な絶望や、「自分は絶対正しいんだ」という極端な万能感から脱することができる。
そして、その極端さから脱することができると、「自分には学びや成長の余地がある」という安心感へと繋がる。
自己をまったく信頼できない状態では、疑うより先に諦めが生まれてしまう。逆に、過剰な万能感も虚勢に繋がり、臆病な不安心を内面に抱え、自己防衛に走ることになる。
内省を続けていくと、そういった不安定なステージを抜け、程よい自己肯定に至ることができるのだ。
「一度疑ってみても自分は壊れない」という心理状況となり、自分に対して建設的な懐疑を育む手助けとなる。

Step3. 他者尊重

さらにそのステージを過ぎると、他者に視線が開かれていく。
自分以外の視点を知りたい、学びたいという意欲が生まれることで「自分にない考え方」を素直に取り入れる余地が生まれるのだ。
他者は敵ではなく、学びを提供してくれる存在なのだ…と思えた瞬間、尊重をもって他者の意見を受け取り続けることができる。
これが、「もしかしたら自分が間違っているかもしれない」「他により良い可能性があるかもしれない」という、柔軟な姿勢につながるのだ。

それでは、これらの概念を伝えるための短編小説『言葉を耕す』の第2章に入りたい。


短編小説『言葉を耕す』第2章

あれから数日が経ち、十勝特有の乾いた風がやや冷たさを増してきた。康平はいつものように早朝からトラクターを動かし、畑の端に堆肥を撒く作業に追われていた。けれど、少し前までのルーティンとはどこか違う気分である。佐伯と過ごした数日間が、康平の中に小さな疑問や好奇心を芽生えさせていたからだ。

作業を終えた康平がふと空を見上げると、曇天の切れ間から淡い日差しが射し込んでいる。昨日とは異なる空。農業には毎日が新しいと頭ではわかっていても、最近はそれを強く実感するようになっていた。

その日の午前中、康平は弟の信也(しんや)と一緒に農機具の整備をしていた。弟は数年前に結婚し、若い夫婦で母を手伝ってくれている。
「兄貴、なんか最近変わったよな。何考えてんの?」
信也はそう言うと、エンジンオイルをチェックしながら首をかしげる。
以前なら「別になんもねぇよ」と返していたかもしれないが、康平は少し言葉を探した。
「いや、ちょっと畑の管理の仕方を変えたらどうかなって思ってるんだ。佐伯さんって研究者に来てもらって、土壌のことを改めていろいろ聞いたら、うちのやり方もまだまだ改良できるんじゃないかって」
信也は興味半分、不安半分といった表情を浮かべる。「でもさ、祖父ちゃんの代からこうして耕してきたわけだし、下手に変えて失敗したらどうすんの?」
康平は黙って工具を片付ける。確かに、うまくいく保証はどこにもない。しかし、自分がそのリスクすら口に出さないでいたのはなぜだろう。考えた末、静かに答えた。
「失敗するかもしれないってことを認めるのは、怖いよな。でも、俺ら兄弟でこの畑を続けていくなら、今までと同じやり方をただ踏襲してくだけでいいのか、考えてみたいんだ。ちょっとだけ試してみるとか、いろいろ方法はあるだろ?」

実は、父から畑を継いで暫くしてから、毎晩日記をつけるようになった。自分が今何に悩んで、何に取り組もうとしているのかをしっかり残そうと思ったからだ。
というのも、父が何を考えていたのか、何も残っていないからだ。体調が悪化してからあまりにも早く亡くなってしまったため、畑のことを何も聞けずに終わってしまった。
おそらく父もいろいろ試行錯誤をしていたはずだ。しかし、その過程が全くわからない。今のやり方が、何かの確信の末に至ったものなのか、それとも変えるつもりだったのか……。

その日の夕方、母が作業場に立ち寄ってきた。ふだんは畑に出るよりも家事や事務作業を請け負ってくれているが、この時期は忙しさもあって家族総出で畑を回している。
「康平、あんた最近は顔つきがいいね。いいことでもあったのかい?」
母は笑いながらそう言うと、こぼれ落ちるように土のついた軍手を一緒に洗い始める。康平は「そうかな」と照れくさそうにしながら、佐伯とのやりとりを少しだけ打ち明けた。
「自分のやり方が本当に合ってるのか、少し疑ってみようかなって思ったんだよ。どうせ長いこと農業やっていくなら、本当にこの畑、この土地に合った方法を模索したいっていうか」
母はうなずきながら、「そうだねぇ」と頷く。「あんたが迷いなく続けてくれるのはありがたいけれど、たまには『これでいいのか』って考えるのも大事かもしれないね。お父さんだって、時々は考え込んでたよ。『この畑は俺の人生そのものだ』って言ってね」
康平は寡黙に畑に向かう父の姿を思い出した。子どもたちの前では、強く、寡黙で、自分が悩むところなどあまり見せなかった父だった。しかし本当は、たくさんの迷いや不安を抱えていたのだろう。だからこそ、黙々と畑に向き合っていたのかもしれない。
昔は怖くて一緒にいるのも緊張したものだが、今は、もし願いが叶うならばとにかく父と話がしてみたかった。

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