劣等感が教えてくれたもの
実は、蠍座の満月ワークを終えてからしばらくの間、何にも書けなかった。
軽く燃え尽き症候群のような状態だったように思う。
日曜から、モーニングページと言う取り組みを始めた。
モーニングページとは、めちゃくちゃざっくり言うなら、朝起きて脳内に浮かんだことをばああああっとノートに書き出すこと。
このモーニングページを始めた頃(って、まだ1週間も経っていないけれど)、実は少し焦っていた。
比較するものではないことはわかっているのだけれど、
コミュニティの仲間の取り組みの様子を見ていて、皆、早速モーニングページに対して効果というか、気付きがあるようで、
正直、本当に脳内垂れ流しみたいなモーニングページになっているじぶんに対して「あれ、私何も感じられていない?」と、勝手に劣等感を抱いていた。
そして、ふと思い出したのだけれど、前からスピリチュアルなことに関しては、劣等感を感じることがしばしばあった。
ワークだったり、そういう取り組みをした時に、目立った効果が感じられないことがあること、自分には何も視えないこと。
今コミュニティに属して、感度の高い仲間を目の当たりにすることで、その劣等感が久しぶりに大きく外へ出てきた、ように思う。
繰り返すけど、こんなものは比較するものではなくて、あくまで自分自身のことだということは頭では分かっている。分かっているはずなのだけれど。
実はこれは今日のモーニングページを書いている時に、表層が出てきたことだったりする。その後、書き終わるまでは鳴りを潜めていたくせに、仕事を始めようとした瞬間に出てきて、モヤモヤしながら仕事をしていた。おそらく、昨日あった仕事でのトラブルも関係しているのだと思うが、それについては置いておく。
こんなことを考えていたら、数年前に受けたキース・ビーハン氏のセッションで言われたことを思い出した。
「スピリチュアルな能力を持つ人に出会うことが多い。私にはないのに。」と伝えたら、「あなたは元々スピリチュアルな能力を持っているよ。”感じる”ことができる人。ガイドが視えるとか、そういうわかりやすい形ではないだけ。そして子供の頃から持っているから、その感覚が当たり前になっている。その力を当たり前に使って生きているから、特別なものと思っていないだけ。」と。
これまでを振り返ってみると、確かにしんどいこともあったけれど、ここぞというタイミングは何一つ間違えて来なかった。「何か嫌だなあ」「こっちだな」という、「なんとなく」の感覚は基本的に当たっている。自分の中で、「なんとなく」や直感的に感じたことは間違っていない、という自覚と自信はいつの間にか付いている。そうか、無意識のうちに使えていたのか。と、この時に初めて気付き、ストンと自分の中で落ち着いたのだった。
現実に戻ると、確かにモーニングページでは出てきていないかもしれないけれど、モーニングページを初めてから、またnoteに投稿できるようになった。くだらないことでも、自分の中に文字としてたまったものを、ある程度まとめて吐き出せるようになっている。この投稿もその一つだろう。形は違うけれど、目的である、脳の排出はできている。意識していないと、すぐに本来の目的を忘れて、手段が目的になってしまうんだなぁ。
今までだったらこのタイミングで、この劣等感から逃げ出したくて、おそらくコミュニティを退会しようと考えていただろうと思う。でもそうしたくないなと直感的に思った。今のこのしんどさは、人と比べないとか、本来の目的に立ち戻るとか、そういったことを意識的にやっていくために必要なのだと思う。このしんどさを乗り越えていくべき時期。それが星たちのランデブーというコミュニティに参加した目的にも繋がるのではないかな、と思っている。