教会の聖書通読、ローマの信徒への手紙6章から導かれた御言葉(あなたがたは、今は罪から解放されて神の奴隷となり、聖なる生活の実を結んでいます。)
教会の聖書通読、ローマの信徒への手紙6章から導かれた御言葉は
私は10年程前、初めて行った教会で、初めて行った、その日に私の中にすでにイエス様がいるからと次回、洗礼を受けましょうと言われ、えっ?もう、いいの?とよくわからないままに洗礼を受けました。
それは使徒言行録8章36節に
「 道を進んで行くうちに、彼らは水のある所に来た。
宦官は言った。
「ここに水があります。
洗礼を受けるのに、何か妨げがあるでしょうか。」
と書いてあるからと、当時の牧師さんがおしゃたからなのですが、でも、今こうして聖書通読をして、この宦官はフィリポに聖書の手引きをしてもらった後なんですよね。
でも、私には手引きはなかったので、ローマの信徒への手紙にパウロが書いた“洗礼を受けることで罪な古い自分が死に、イエス様の復活とともに罪を捨てた新しい自分に生まれ変わる。
罪から解放され、義に仕えるように”ということが良くわからないまま、罪を繰り返してしまいました。
でも、今の教会で2回目の洗礼を受け直したときは、自分の罪深さを痛感しており、魂からの罪からの解放を求めて洗礼を受けました。
パウロが20、21節に書いている
「罪の奴隷であったときは、義に対しては自由の身でした。
では、そのころ、どんな実りがありましたか。
あなたがたが今では恥ずかしいと思うものです。」
とおり、今では恥ずかし過ぎて、とても詳しくは語れません(苦笑)。
21節に「罪が支払う報酬は死です。」と書いてありますが、これは事実です。
私は罪深い生活をしていた時、5年前に脳梗塞で倒れ、死んでいてもおかしくなかったのに神様は憐れみ助けてくださいました。
でも、この時は肉の罪からは解放されたのですが、精神的な罪は残っており、2年前に精神的な罪も神様によって徹底的に砕かれました。
そして、今の教会に導かれ、洗礼前に今日の聖書箇所のことも学び、悔い改め、洗礼を受けて罪から解放されたことを実感しています。
それは罪が周りからなくなったとかもなく、罪の誘惑に揺れ動くことは今でもありますが、箴言28章13節に
「罪を隠している者は栄えない。
告白して罪を捨てる者は憐れみを受ける。」
とあるように隠さずに相談するようにしたら、後ろめたい気持ちに縛れることもなく、気持ちが軽く明るくなりました。
でも、まだ「神の奴隷となり、聖なる生活の実を結んでいる」というまでには自信がないので、神の奴隷となり、聖なる生活の実を結べるように、聖霊様によって導き守ってください。
導かれた御言葉から聞きたい賛美は
「罪 咎を赦され」
みなさまの1日が守らますように🍀