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今日の教会の聖書通読、マタイによる福音書9章から導かれた御言葉(あなたの信仰があなたを救った)

今日の教会の聖書通読、マタイによる福音書9章から導かれた御言葉は

「イエスはこれを聞いて言われた。
「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。
『わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない』とはどういう意味か、行って学びなさい。
わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を 招くためである。」

(マタイ9:12,13)

「だれも、織りたての布から布切れを取って、古い服に継ぎを当てたりはしない。
新しい布切れが服を引き裂き、破れはいっそうひどくなるからだ。
新しいぶどう酒を古い革袋に入れる者はいない。
そんなことをすれば、革袋は破れ、ぶどう酒は流れ出て、革袋もだめになる。
新しいぶどう酒は、新しい革袋に 入れるものだ。
そうすれば、両方とも長もちする。」

(マタイ9:16,17)

「イエスは振り向いて、彼女を見ながら言われた。
「娘よ、元気になりなさい。あなたの信仰があなたを救った。」
そのとき、彼女は治った。」

(マタイ9:22)

「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。
『わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない』とはどういう意味か、行って学びなさい。
わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を 招くためである。」は、私が初めて聖書を読んだとき、涙があふれて仕方なかた箇所です。
当時、いろいろな重荷を抱え、自身の罪も自覚しながら、その罪から離れられずに振り回され苦しんでいました。
そんな苦しみを抱えていた私に、「わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を 招くためである。」というイエス様のこの御言葉は、あっ、こんな罪人の私をイエス様は招いてくださっている。
人からではなく、聖なるお方からのこの招きは私に大きな希望を与えてくださいました。
そこから10年かかりましたが、私はようやく魂からこの大きな希望を実感することが出来始めています。

新しいもの(御言葉による神の教え)と、古いもの(自身のなかの罪)は同居することは出来ないということを、10年かかりましたが、やっと痛感し、罪を手放す勇気を持つことが出来ました。

私も私の信仰が私を救うことを信じて、毎朝の聖書通読とデポーションをしています。
実際に救われていっていることを感じ始めています。

導かれた御言葉から聞きたい賛美は
「罪とがをゆるされ」

みなさまの1日が守らますように🍀



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