教会の聖書通読、コリントの信徒への手紙第一、11章から導かれた御言葉(わたしたちは、自分をわきまえていれば、裁かれはしません)
教会の聖書通読、コリントの信徒への手紙第一、11章から導かれた御言葉は
「いずれにせよ、主においては、男なしに女はなく、女なしに男はありません。
それは女が男から出たように、男も女から生まれ、また、すべてのものが神から出ているからです。」
(コリントの信徒への手紙一 11:11-12)
「従って、ふさわしくないままで主のパンを食べたり、その杯を飲んだりする者は、主の体と血に対して罪を犯すことになります。
だれでも、自分をよく確かめたうえで、そのパンを食べ、その杯から飲むべきです。
主の体のことをわきまえずに飲み食いする者は、自分自身に対する裁きを飲み食いしているのです。」
( コリントの信徒への手紙一 11:27-29)
「わたしたちは、自分をわきまえていれば、裁かれはしません。
裁かれるとすれば、それは、わたしたちが世と共に罪に定められることがないようにするための、主の懲らしめなのです。」
(コリントの信徒への手紙一 11:31-32)
今日、導かれた御言葉の共通点は、自分をわきまえることなのだと思いました。
わきまえるとは、1 物事の違いを見分ける。弁別する。区別する。
2 物事の道理をよく知っている。心得ている。
と出てきました。
2年程前の私はADHDの衝動性が強く、的外れな生き方をしていたので
自分をわきまえると言うことが出来ていませんでした。
でも教会に通い聖書通読をするようになってからは衝動性は抑えられ、自分をわきまえると言うことも出来るようになり、感謝です。
導かれた御言葉から聞きたい賛美は
「たたえよ栄光の神よ」
皆さまの1日がまもられますように🍀