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1月23日、主日礼拝メッセージ(神に委ねる信仰)
今日の礼拝メッセージ箇所は マルコの福音書5章25~35節から
宣教タイトルは 「私に重荷を委ねなさい。長血の女性の本当の癒し」でした。
要約すると、ある女性は12年間も血が止まらない病に 苦しんでいました。 あらゆる医者、民間療法、宗教、この人に診てもらったら、
祈祷してもらったら治る、 あるいは、このお守りやお札を、
像を買って祈れば 治るなど噂を聞けば、試したが治らず、
とうとう財産も底をつき、
イエス様の噂を聞き、この方の服の裾にでも触れることが
出来れば癒されると思い行き、 触れることが出来たとき、
病は癒されました。
それを感じ取られたイエス様は私の服に触れたのは誰だ? と言われ、
女性は、もう黙り通せないと思い、恐る恐る名乗り上げ、
ひれ伏して、 今までのこと、苦しみをありのままに話しました。
すると、イエス様は「娘よ、あなたの信仰があなたを救った。
安心して行きなさい。 もうその病気にかからず、元気に暮らしなさい。」
と 言われました。
この女性の苦しみは病の苦しみだけではなかったと
牧師先生はおっしゃっておられました。
当時、血を流している者に触れるのは汚れているとされ、
偏見や差別も受けていただろうし、
また、病が治るという噂を聞けば何でも必死に試していた
女性の姿を見て気が狂っている、ちょっと付いていけないと、
1人、2人…と人が離れていき孤独を感じ、
そうした苦しみの中にも女性がいたのだと。
そうした中で聖書の箇所の奇跡がおきました。
女性はもちろん驚きましたが、
イエス様も気付かれ、そして、この女性が抱えている問題は
病の癒しだけではないと女性との会話を望まれ、
誰が触れたのだ?と聞かれました。
女性も逃げずに勇気を出して、名乗り、
すべてをありのままにイエス様に話しました。
牧師先生は、この行為こそが 「あなたの信仰があなたを救った」と
言われた “信仰”だったとおっしゃり、
聖書箇所には書かれてないが、 宣教タイトルの“私に重荷を委ねなさい。”
にしたそうです。
わたしたちの信仰に必要なのは、強い信仰であるとか、
諦めない信仰だけではなく、
それよりも、この“神に委ねる信仰”が一番大切なのだと
気付かせてくださいました。
私は今まで、人や神様に委ねることが出来ずに、
この長血の女性のように一人で必死にもがき、
その姿を見た家族や友人がちょっと付いていけないと、
1人、2人…と離れていき孤独になりました。
でも、その状況から救ってくださるのは、 イエス様しかいないと思い、
わたしの周りでイエス様に繋がっていた姉にすべてを話し
祈ってほしと手紙を書きました。
そこから、姉の教会の方々の祈りを通して、
今の教会に繋がり、洗礼を受け、 教会会員になることが出来ました。
そこまでの道のりの中で、私は人や神様に問題や重荷を
委ねる(話す、相談する、祈っていただく) ことの
大切さを学んでいきました。
これからも一人で抱え込まずに人には相談し、
神様には祈って重荷を委ねていきます。
そうすれば、神様はすべてを癒してくださるでしょう。
今日の気付きから聞きたい賛美は 礼拝でも賛美した
「恐れなく近寄れと」