9月3日、礼拝メッセージ「希望の源である神」
今日は2ヶ月ぶりくらいに教会の主日礼拝に参加出来ました。
今日から1年近い無牧師期間を終え、9月1日に就任された井形英絵牧師先生がメッセージしてくださるということで、今日は行かなきゃと気持ちになったことと、仕事や体調、全てのことが主日礼拝参加に向けて整えられ、導かれたことに感謝します。
今日は井形先生の牧師委託式も執り行われました。
バプテスト教会では新しい牧師が招聘され就任したら教会会員代表の招聘委員会長が委任状を読み、牧師がそれに応えた文章を読み交換した後、牧師の頭や肩に教会役員と招聘委員の方が手を置いて祈るという儀式があります。
バプテスト教会は牧師が導く教会ではなく、牧師と教会員が共に手を取り合って歩いていくことを大切にしている教会なんだと改めてわかり感動しました。
今日の礼拝メッセージはローマの信徒への手紙15章13節から「希望の源である神」という宣教タイトルでしたが、
本当に神様、イエス様は希望の源だと日々、感じています。
私個人の生活も仕事もいろいろあり、不安定であり、不安はありますが、希望の源である神様に祈り、委ねて日々歩いていきたと思います。
今がどんな状況であったとしても、神を希望の源に置くなら、人生はより良いほうへと導いていかれると信じています。
全ての人にイエス・キリストによって神の愛、神の想いは伝わっている。
それをどう受け止め、解釈し、生かしていけるか、そのキーワードとなるのが「希望の源である神」だと井形先生。
神戸教会の教会総意にある「違いの中に働くキリストを告白する群れ ~響きあう礼拝とひろば~」は素晴らしいが、違いを認めることは難しいとこもあり、時間もかかるとこもあるが、神に希望の源を置くならば聖霊により必ず導かれていくと井形先生はおっしゃいます。
聖書には
「だから、神の栄光のためにキリストがあなたがたを受け入れてくださったように、あなたがたも互いに相手を受け入れなさい。」
— ローマの信徒への手紙 15:7
「希望の源である神が、信仰によって得られるあらゆる喜びと平和とであなたがたを満たし、聖霊の力によって希望に満ちあふれさせてくださるように。」
— ローマの信徒への手紙 15:13
とあります。
今日、2ヶ月ぶりくらいに教会行きましたが、みなさん、暖かく受け入れ、どうしてた?元気だった?祈っていたのよと声掛けてくださり、忘れられていない、心配されていたと嬉しさと感謝で涙が溢れそうになりました。
聖歌隊のほうもなかなか行けないし、これからもしばらく毎週は厳しいので、しばらく休まさせてほしいとリーダーの方に話すと、そんな硬いものじゃないし、9時半の練習から来れるときは気にせずいつでも参加してと仰ってくださり、またまた涙が溢れそうになりました。
そして、ここには希望の源である神様がおられ、教会総意にある「違いの中に働くキリストを告白する群れ ~響きあう礼拝とひろば~」の根がしっかり張っていると実感しました。
この教会に導かれたことに感謝し、毎週、教会に行くことが出来るように生活や収入が安定するように祈っていきます。
礼拝の中で歌った新生讃美歌は
「主と共に歩む」
皆さまの1週間が守られますように🍀