8月13日、礼拝メッセージまとめ「エデンの東に住む者」
この日曜日も仕事で礼拝行けなかったのですが、今日は台風で仕事がなくなりオンラインの礼拝メッセージをゆっくり聞けました。
台風の被害が出ないことを祈るばかりです。
8月13日の礼拝メッセージは徳島キリスト教会協力牧師の杉山修一牧師先生が、創世記4章13~26節より、「エデンの東に住む者」という宣教タイトルでしてくださいました。
この聖書箇所はエデンの園を追放されたアダムとエバの間には、カインとアベルの二人の男の子が生まれます。
カインは「土を耕す者」になり、アベルは「羊を飼う者」になりました。カインは「土の実り」を、アベルは「肥えた羊の初子」を持って、主なる神を礼拝するためにやって来ました。
ここで、私たちの予測に反することが起こっています。
主なる神はアベルの献げ物に目を留められた一方、カインの献げ物には目を留められなかったのです。
カインは激しく怒って顔を伏せ、やり場のない憤りを主なる神に向け、野原でアベルを殺害してしまいます。
最善を神様にお献げしたのに、神様からは何の評価も示されなかった、ということになれば、私たちのほとんどは傷つき、落胆してしまうことでしょう。
でも、信仰の世界では、そのようなことは決して珍しいことではありません。
高価な献げ物をして、それに見合った神の祝福を当てにするような信仰は、言ってみれば「対価を求める信仰」です。
それに対し聖書の信仰は、対価を期待することなく、一切を主なる神に委ねて行く「委ねる信仰」です。
そして「委ねる信仰」は、私たちの思惑に従って神様の思いを推し量ることはしないのではなかったでしょうかと杉山先生。
杉山先生がメッセージしてくださったカインとアベルの主の捧げ物のストーリーの中で、対価の信仰ではなく、委ねる信仰が求められているところにギグっとしてしまいました。
これは信仰だけでなく、 人に何かをあげたり、してあげた時も同じで、これだけのことをしたのだから、それに応えてくれるだろうと勝手に期待して、期待どおりでないとイライラしてしまいがちです。
信仰でも、こんだけ献金したのだから、こんなに報酬してるのだからとか、逆に願いが聞き入れられないのは献金の金額や奉仕が足りないからなのかと不安になったり…。
そうではなく、神様には神様のご計画があり、願いや祈りが今、聞き入れられないのは、神様のご計画ではないか、まだ時ではないのですね。
一方的に期待する対価の信仰でなく、対価を期待することなく全てを委ね忍耐強く神様の時を待てる委ねる信仰を身につけていきたいです。
礼拝で歌われた賛美歌は
「主の手に委ねて」
みなさまの1週間が守られますように🍀