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教会の聖書通読で導かれた御言葉(手引きしてくれる人がなければ、どうして分かりましょう)

教会の聖書通読で導かれた御言葉は
「この悪事を悔い改め、主に祈れ。
そのような心の思いでも、赦していただけるかもしれないからだ。」
(使徒8:22)

「宦官は、「手引きしてくれる人がなければ、どうして分かりましょう」と言い、馬車に乗ってそばに座るようにフィリポに頼んだ。」
(使徒8:31)

「彼らが水の中から上がると、主の霊がフィリポを連れ去った。
宦官はもはやフィリポの姿を見なかったが、喜びにあふれて旅を続けた。」
(使徒8:39)

人の心の中には良くない思いも、善い思いも、誰も両方存在しています。
だから、善い思いが良くない思いに勝るように、聖霊様によって導き守ってくださいと祈っていく必要が誰にもありますね。
私は、この箇所を読んでペテロ自身も悔い改め、成長があったのではと思いました。
それは使徒言行録5章でアナニアとサフィラの不正を責めて死に追いやったことを、責めるだけでなく、悔い改めに導くべきだったと聖霊様によって示され、ペテロ自身も悔い改めたのではないでしょうか。

ひとりで聖書を読むだけでは、わからないことも多いです。
やはり教会で主日礼拝などで、導き手の宣教を聞くことも大切なのですね。

洗礼を受けたとき、私も喜びに充ち溢れました。
そのことを思い浮かべた箇所です。
その喜びは今も続いており、感謝です。

導かれた御言葉から聞きたい賛美は
「幸い薄く見ゆる日に」


みなさまの1日が守らますように🍀

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