6月19日の礼拝メッセージ、創世記3章1~13節「アダムとエバとヘビ」
6月19日の礼拝メッセージは宝塚バプテスト教会と交換講壇でしたので、宝塚バプテスト教会の南牧師先生が、創世記3章1~13節、宣教タイトル「アダムとエバとヘビ」でメッセージしてくださいました。
この箇所はエデンの園でヘビがアダムとエバを騙し、禁断の実を食べさせた結果、アダムとエバはエデンの園に居られなくなくなった有名な箇所です。
南牧師先生はそこにはアダムからエバに伝わった伝言にミスというか、神様の御言葉にアダムの思いや解釈が付け加えられたことによる悲劇だったとおしゃっておられました。
神様はアダムに「園のすべての木から取って食べなさい。
ただし、善悪の知識の木からは、決して食べてはならない。
食べると必ず死んでしまう。」
(創世記2:16,17)と言いました。
この時、エバはまだ居ません。
でも、ヘビが「園のどの木からも食べてはいけない、などと神は言われたのか。」とエバに聞くと、エバは「わたしたちは園の木の果実を食べてもよいのです。
でも、園の中央に生えている木の果実だけは、食べてはいけない、触れてもいけない、死んではいけないから、と神様はおっしゃいました。」と、
“触れてもいけない”が付け加えられて答えました。
ずる賢いヘビは内心「やはり思ったとおりだ。神の言葉が正しく伝わってないぞ。
この女は騙せる」とでも思ったのでしょう。
エバに「決して死ぬことはない。
それを食べると、目が開け、神のように善悪を知るものとなることを神はご存じなのだ。」と惑わせます。
6節に「女が見ると、その木はいかにもおいしそうで、目を引き付け、賢くなるように唆していた。
女は実を取って食べ、一緒にいた男にも渡したので、彼も食べた。」とあります。
触れても死ななかったのでエバは大胆になり、食べてしまったのでしょうと南牧師先生。
私はこの章はアダムとエバが自分の罪を認めずに言い訳をしてしまったのが人間の罪の始まりと思っていましたが、アダムが御言葉に自分の思いや解釈を付け加えていただろうことには、まったく気づいていませんでした(汗)
聖書にも「あなたたちはわたしが命じる言葉に何一つ加えることも、減らすこともしてはならない。
わたしが命じるとおりにあなたたちの神、主の戒めを守りなさい。」
(申命記4:2)
「あなたたちは、わたしが命じることをすべて忠実に守りなさい。
これに何一つ加えたり、減らすことがあってはならない。」
(申命記13:1)
「御言葉に付け加えようとするな。
責められて偽る者と断罪されることのないように。」
(箴言30:6)
「この書物の預言の言葉を聞くすべての者に、わたしは証しする。
これに付け加える者があれば、神はこの書物に書いてある災いをその者に加えられる。」
(黙示録22:18)
とあります。
聖書通読をして、デポーションするときは十分に気を付けなくてはいけないなと思いました。
私が御言葉に付け加えたり、削ることがないように聖霊様によって導き守ってください。
そして、これは聖書の御言葉だけでなく、普通の生活の中でも、特に仕事、友達やプライベートのことでも十分気をつけないと、トラブルや信用の問題にもかかわってくるなと思いました。
伝言ゲームをしたことがあるかたは、伝言が正しく伝わることの難しさを痛感したり、苦笑されたことのあるかたは多いのではないでしょうか。
神様の御言葉なら、尚更の注意が必要ですね。
礼拝で歌った新生讃美歌は
「ひとたびは死にし身も」
みなさまの1週間が守られますように🍀
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