3月26日、礼拝メッセージ「主イエス・キリストの友になる」
今日の礼拝メッセージは信徒のN兄が、ヨハネによる福音書15章12~17節から「主イエス・キリストの友になる」という宣教タイトルでしてくださいました。
この聖書箇所はイエス様が受難のときを前にして弟子たちに語られた「決別の言葉」から、弟子たちそして私たちに期待された「友」の関係について考えさせられるとN兄はおっしゃります。
聖書には
「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。」
— ヨハネによる福音書 15:13
と書かれていますが、これを言葉通りに受け止めるには危険なことはなく、
一般的には、この言葉の友を家族、恋人、友人、国家とかに向けられる自己犠牲に捉えられてしまいがちですが、イエス様や神様は果たして、そんなこをお望みなのでしょうか?
イエス様の犠牲は神の愛に基づいたものでした。
しかし、家族、恋人、友人、国家とかに向けられる自己犠牲は神の愛に基づいたものでしょうか?
そこに見返りを求めたり、期待してないでしょうか?
イエス様の友になるには、限られた身内感覚を超えた愛を示すこと。
キリスト教会は、そうした見返りを求めないキリストの友が集う場所です。
しかし、人には闇や罪があります。
でも、主なる神様によって憐れみ、赦され、愛されています。
その2つを知り、神様から一方的に愛されていることに感謝して、その愛と共に歩んでいけるのがキリスト教会ですとN兄。
自分の中の罪を自覚し、神様から一方的に愛されてる愛に感謝して、イエス様の友として身内感覚を超えた愛を示していけるように祈り、求めていきたいと思いました。
礼拝で賛美した新生賛美歌は
「父の神よ汝がまこと」
みなさまの1週間が守られますように🍀