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教会の聖書通読、ローマの信徒への手紙4章から導かれた御言葉(わたしたちの主イエスを死者の中から復活させた方を信じれば、わたしたちも義と認められます。)

教会の聖書通読、ローマの信徒への手紙4章から導かれた御言葉は

「 聖書には何と書いてありますか。
「アブラハムは神を信じた。
それが、彼の義と認められた」とあります。」

(ローマ4:3)

「不法が赦され、罪を覆い隠された人々は、幸いである。
主から罪があると見なされない人は、幸いである。」

(ローマ4:7,8)

「神はアブラハムやその子孫に世界を受け継がせることを約束されたが、その約束は、律法に基づいてではなく、信仰による義に基づいてなされたのです。」

(ローマ4:13)

「従って、信仰によってこそ世界を受け継ぐ者となるのです。
恵みによって、アブラハムのすべての子孫、つまり、単に律法に頼る者だけでなく、彼の信仰に従う 者も、確実に約束にあずかれるのです。
彼はわたしたちすべての父です。」

(ローマ4:16)

「彼は不信仰に陥って神の約束を疑うようなことはなく、むしろ信仰によって強められ、神を賛美しました。
神は約束したことを実現させる力も、お持ちの方だと、確信していたのです。
だからまた、それが彼の義と認められたわけです。
しかし、「それが彼の義と認められた」という言葉は、アブラハムのためだけに記されているのでなく、 わたしたちのためにも記されているのです。
わたしたちの主イエスを死者の中から復活させた方を信じれば、わたしたちも義と認められます。
イエスは、わたしたちの罪のために死に渡され、わたしたちが義とされるために復活させられたのです。」

(ローマ4:20~25)

行いによって義とされるならば、罪深い私は義とはされないし、
多くの人、いや、誰も義とはされないかもしれません…。

なぜ、私がキリスト教に救いを求め、受け入れたかは、
キリスト教は仏教など他の宗教とは違い、善行や修行ではなく、
神が罪を赦し、イエス・キリストを信じれば救われると言い切っていたからです。

人ではなく、神様が赦してくださる。
それは、どんなに大きな慰めになり、私を支えてきたことでしょう。
そして、小難しい条件なんてなく、ただ、イエス様を信じれば救われる。
これも、希望となりました。
だけど、シンプルなこの信じれば救われるというメッセージは意外と難しい。
それは、人間は無意識に複雑にあれこれ考えて、迷い、疑い、不安などネガティブになってしまうものだと痛感しているからです。
でも、ネガティブな感情からは希望も救いもありません。

どうか、私がネガティブではなく、イエス様を強く信じ希望を持てるように、聖霊様によって導き守ってください。

導かれた御言葉から聞きたい賛美は
「私は奇蹟を信じる」

みなさまの1日が守らますように🍀


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