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7月24日礼拝メッセ「主はあなたの道筋を『まっすぐ』にしてくださる。」

昨日の礼拝メッセージは箴言3章5~7節から「主はあなたの道筋を『まっすぐ』にしてくださる。」という宣教タイトルでメッセージしてくださいました。

昨日は洗礼式があり、洗礼を受けられた方の信仰告白でも好きな御言葉として話してくださった聖句でもあります。

「心を尽くして主に信頼し、自分の分別には頼らず、常に主を覚えてあなたの道を歩け。」の箇所、“自分の分別には頼らず”を私はどこか自分の思いや意志は捨てて、御言葉に聞き従っていかなくてはいけないという、律法的に捉えていたところがあり、そうは書いてあるものの、どうしても自分の思いや意志は顔を出すし、難しいと思っていました。

でも、昨日のメッセージを聞いて、神様は何も人間をマインドコントロールしようとしてらしゃるのではなく、キリスト教を信じ、聖書通読をし、毎日、御言葉に触れていても、信仰深い人でも、人生において遠回りの無い歩みが整えられてるわけでもなく、上り下りという波風の立たない平和と安定の道を歩めるようになるわけでもなく、自分たちが危機に陥ることのない安心した状態、それとも順風満帆というような神の祝福が約束されてるわけではなく、どんな人にも良いときもあれば、そうでもないときがあるのが人生のようです。

では、「心を尽くして主に信頼し、自分の分別には頼らず、常に主を覚えてあなたの道を歩け。」とは、どいうことなのでしょうか?

それは、どんなに苦しいときでも、主は共にいてくださっていることを信じて、御言葉を頼りに、ヒントにして、自分の思いや意見の中に落とし込んで、希望の光にしていくことなのだと思いました。

牧師先生がメッセージの中でも紹介してくだっさった詩、「足あと」は大好きな詩で

「わたしの大切な子よ。
わたしは、あなたを愛している。
あなたを決して捨てたりはしない。
ましてや、苦しみや試みの時に。
あしあとがひとつだったとき、
わたしはあなたを背負って歩いていた。」
のところは
何度読んでも涙が溢れてきます。

苦しすぎて、主イエス様を近くに感じれないときでも
イエス様は私を背負い歩いてくださっているのですね(涙)

イザヤ書42章6節にも「目の見えない人を導いて知らない道を行かせ通ったことのない道を歩かせる。
行く手の闇を光に変え曲がった道をまっすぐにする。
わたしはこれらのことを
 成就させ見捨てることはない」とあります。

私が苦しさの中、もがき苦しんでいたとき、主は私を背負い私の知らない道を歩み、わたしの前で闇を光に、でこぼこの地を平らにしてくだっていました。
そして、今、主とともにここにいます。
感謝です。

これからも、いろいろあると思いますが、主が共にいてくださっていることを忘れずに祈りと聖書通読の中で主と対話しながら歩む方向を探っていきたいと思います。
そして、どんな道を通ったとしても主は全て益に変えてくださることを感謝いたします。

礼拝で歌った新生讃美歌 は
「わたしが悩む時も」

みなさまの1週間が守られますように🍀


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