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3月19日の礼拝メッセージ「荒野で出会う神様」
3月19日の礼拝メッセージは、関西学院大学神学部教授・関西学院長の中道基夫先生が列王記上19章1~18節から「荒野で出会う神様」という宣教タイトルでしてくださいました。
この聖書箇所は預言者エリヤが
「わたしは万軍の神、主に情熱を傾けて仕えてきました。
ところが、イスラエルの人々はあなたとの契約を捨て、祭壇を破壊し、預言者たちを剣にかけて殺したのです。
わたし一人だけが残り、彼らはこのわたしの命をも奪おうとねらっています。」
— 列王記上 19:10
と弱音を吐いて、荒野で1人引きこもっているシーンが描かれています。
中道先生は、 私たちは、できるならば毎日楽しく過ごしていたいと願います。
ところが時々私たちは暗闇を覗かないといけないときがあります。
人生の終わり、小さな死(別れ、失敗、恥)、荒野を経験しなければならないときに、その孤独や不安を紛らわそうとします。
しかし、神様とは、そうした苦難が起きないように、試練にあわないようにしてくださる神なのでしょうか?
時には私たちにとって何かを捨てて、離れることも必要なのです。
私たちは今、イエス様の受難を思うレント(受難節)という時を過ごしています。
レントは、私たちは悔い改めること、自分の中の闇に向き合う時です。
自分の弱さ、荒野に出会う時です。
しかし、私たちはその荒野で神さまに出会うのです。
心の荒野こそ神さまとの出会いの場です。
神様は苦難な時こそ共にいてくださいます。
ここにこそ、キリスト教の真髄があると、おっしゃいます。
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私たちは試練や苦難に遭った時、早く前のような生活、元に戻りたいと焦りがちですが、落ちる所まで落ちないと分からない、気付かないとこがあります。
しかし、前と同じように、元に戻る事が最善なのでしょうか?
神様はそのようにお望みなのでしょうか?
神様は神と共にいることに気付かせるために苦難や試練を許され、イエス様が復活されたように、そのイエス様と共に私たちにも新しく生まれ変わることをお望みなのだと今日のメッセージを聞いて思います。
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今日の礼拝で賛美した新生賛美歌は
「わたしが悩むときも」
みなさまの1週間が守られますように🍀