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【文アル】タイアップ・山本有三没後50年 スタンプラリー
今年の9月14日から始まった、「山本有三没後50年 文豪とアルケミスト スタンプラリー」に参加しました。
今回文アルとコラボしてくださった場所は、以下の3つの施設です。
三鷹市山本有三記念館・栃木市立文学館・山本有三ふるさと記念館。
このスタンプラリーは、2つの県をまたいで行っています。距離がある分、移動に苦労しますが、山本有三について改めて知ることが出来る良い機会です。
実際、山本有三について文アルでは名前を知っても、史実ではどんな人だったのか知らない特務司書の人もいたでしょう。
私は今回のスタンプラリーをきっかけに、彼がどれほど日本の文学・教育に多大な影響を与えたのか、その功績を知って大変驚きました。
今回の記事は、自分なりに「有三ねえさんって、マジですごい人なんだなあ」という驚きを単にまとめたものです。
あとは、今後3つの施設に訪れるであろう特務司書の皆さんに、ちょっとでも役立つ、有三ねえさんの情報をお伝えします。
そもそも山本有三ってどんな人?
* スタンプラリーを行っている施設の内容だけ興味がある読者の皆さんは、こちらの文面を飛ばしても構いません。
実際の有三さんを簡単にまとめると、児童文学に力を入れた文学者であり、「常用漢字」を生み出した教育者です。
そんな教育者である彼の姿は、文アルの有三ねえさんにも反映されています。
「児童教育に力を注いでいた方だったということで、文豪たちを教え導くキャラクターになりました。イメージはバーのママです。」
先ほどから、「有三ねえさん」と男性キャラなのに女性的呼称を使っているのも、彼が中性的なキャラクターで、かつ頼れる存在なのでそう勝手に私が呼んでいます。この「バーのママ」という設定は、おそらく教育ママに近いイメージかもしれません。
有三さんは、三鷹にあった自宅を少年文庫として開館し、多くの子どもたちに読書の機会を与えました。この自宅は、今の三鷹市山本有三記念館となっています。
また、彼は「常用漢字」を生み出した人です。今の義務教育に欠かせない常用漢字は、戦後間もない頃、国民全員が平等な教育を受けられるように有三さんを中心に考案されました。
そもそも、常用漢字の誕生には、有三さんの語る「ふりがな廃止論」から始まりました。
彼は江戸時代から続いている「ふりがな(ルビ)」に疑問を持ち、難しい漢字を使うぐらいなら、万人が読める簡単な漢字や熟語を使えば良いではないかと、この「ふりがな廃止論」を『戰争と二人の婦人』のあとがきに書きました。
この廃止論は当時多くの反響を呼び、やがては有三さんが1946年に政治界に参加し、教育の改革を試みました。それが、常用漢字の誕生です。
この新たな改革にあたって、漢字に携わる教育者やメディア関係者(報道や記者など)、論文を手掛ける様々な分野の学者を多く呼び寄せて、国民皆が普段から使用できる漢字を選出しました。当時の常用漢字は、1600字でした。(現在の常用漢字は、およそ2000字です。)
「ふりがな廃止論」の背景には、視力の弱い者への文字の大きさの配慮や校正する機会を減らし経済の負担を軽減させる等々、多くの人々に文学を触れて欲しいという有三さんの優しさがあったと思います。
常用漢字の実現は、国民全員の国語力を高め、いずれは皆が思い思いに語り合える場を広げることを彼は夢見ていたのでしょう。
日本が敗戦した後、アメリカから様々な圧力を掛けられましたが、有三さんは欧米の意見に屈するどころか、日本人ならば日本語を使ってもっと多くの人と対話し、皆で力を合わせていこうと政界に参加しました。
彼は戦前の政治に関して疑問を持ちつつも、戦争を止められなかったことを悔やみ、敗戦の結果には当然国民の責任もあると語りました。もう一度、みんなで国を立て直そうではないかと自ら先導して、国民に向かって手を伸ばしました。再び誤った道へ進まぬよう、みんなで国の事を思って話し合えるようにと常用漢字を作りました。
文アルでも他の文豪や特務司書を教え導いていますが、おそらく戦後の有三さんの姿を重ねてキャラクター化されたのではないでしょうか。
選挙で使われた演説の内容は、三鷹市山本有三記念館に展示されています。読んでて、文アルの有三ねえさんの太陽のように明るく頼もしい姿が重なって見えました。
三鷹市山本有三記念館
三鷹駅北口から徒歩15分、静かな住宅街に有三さんの自宅だった山本有三記念館があります。
この家は、清田龍之介という商業家が建てました。関東大震災をきっかけに、レンガや鉄筋コンクリート造りの西洋風の家が作られるようになり、この家も当時の最新技術を使って建てられました。
童話に出て来そうな可愛らしいこの家は、誰でも訪れやすいように、あえて玄関が分からないような造りになっています。更に、敷地の奥には中庭があり、こちらは開館時間であれば、誰でも入れるようになっています。自然豊かで、気持ちがいい場所でした。
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家の中は、和室洋室が混合された造りになっています。和室は、有三さんがこの家を購入した時に改造して作った部屋です。
文アルの有三ねえさんのパネルがある場所は、イングルヌックと言い、家族団らん・来客の控え室として使われていました。
この言葉は、古いスコットランド語で「暖かく居心地がいい場所」と言います。イギリスのアーツ・アンド・クラフト運動をきっかけにイングルヌックが普及し、憩いの場として山本家でも愛されていたようです。
今は、椅子に座って有三ねえさんのパネルを存分に眺めれる良い場所になりました。近くにある暖炉には、ねえさんのアクリルスタンドと遊びに来たカッパワニもいます。
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常設展には、文化の日について展示されていました。実はこの文化の日も有三さんが命名したものです。
もともと、11月3日に今の憲法が公布されました。なので、有三さんはこの日を憲法の記念日として定着させたかったのです。有三さんは祝日法にも携わっていました。しかし、結局許可が下りず、名前を文化の日として変えました。
今では祝日の一つとして数えられていますが、日本が文化国として改めて進んで行くための大事な日です。そんな文化の日への有三さんの熱い思いを映像資料で見られますので、常設展近くの映像資料室にも是非とも足を運んでください。
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栃木市立文学館
栃木駅から徒歩20分、巴波川を橋で越えた先にあります。
こちらの施設は今から2年前に改築され、新品ピカピカでありながら、当時の建築技術を残した建物です。
今年の9月28日まで有三さんに関連する特別展がありましたが、今現在は別の展示が開かれています。彼に関する展示は常設展だけなので、やや物足りなさを感じました。
ですが、栃木市立文学館だけ販売されているコラボグッズはまだありますので、ここだけしか手に入らない有三さんのグッズを買っていきましょう。グッズの展示に、職員さんの有三さんへの愛を感じられます。
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山本有三ふるさと記念館
栃木駅から徒歩15分、栃木市立文学館から徒歩5分、蔵の街通りにある、昔ながらの平屋の家が目印です。
こちらは、有三さんについての多くの資料を大事に保管された場所です。もともとは、有三さんが遊びに来た近所の家で、彼の生家は今はホテルが立っている場所にあります。
有三さんに関する著書や映画のポスター、脚本、写真資料はもちろん、戦後に評された有三さんの新聞の記事までも公開されています。
施設内は資料の保存を考慮してやや暗めなので、事細かく書かれた展示物を見るのに苦労しますが、その分有三さんについてより詳しく知ることが出来る大変素晴らしい場所です。
ここで私は、有三さんと中島敦が関わりあることを知り、大変驚きました。敦の叔父、綽軒(しゃっけん・本名/靖次郎)は、有三さんの私塾の先生でした。
文アルの世界では、文学上の関りがあることを前提に、文豪たちが時代や国境を越えて同じ場に並びます。ですが、史実で何かしらの接触があって、いつかは有三ねえさんと敦さんが、図書館の中で話し合う機会があったらいいなあと想像をしました。(お互い植物を愛でていたので、図書館の中庭で一緒にガーデニングを楽しんでいたら良いですね。)
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有三さんお気に入りの竹に、彼の著作の文が彫られています。
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有三さんに想いを馳せながらのお散歩
こちらの文章は、スタンプラリーの施設に近い場所を独断で取り上げて、有三さんを思いながら散策するというテーマで書いたものです。
興味のある読者さんは、どうぞ読んでください。
1.吉祥寺・ゆりあぺるぺむ
三鷹市山本有三記念館から徒歩20分。
ゆりあぺるぺむは、宮沢賢治の作品にも登場した喫茶店の名前です。彼の作品の原稿が、今も2階に飾られています。
なんで宮沢賢治なのか、実は、彼の作品が有三さんが編集した『日本少年国民文庫』に収録されているのです。
この本が編集された昭和10年代、賢治はまだ無名でしたが、作家でありながら農業に力を入れる彼に、有三さんはおそらく感銘を受けたのでしょう。『人類の進歩につくした人々』の文庫の中に、賢治の「雨ニモ負ケズ」を載せました。
今回、私がゆりあぺるぺむに訪れたのも賢治の原稿を見たい為でした。今も喫茶店の中で賢治の原稿が見られるのも、無名作家でありながらも彼の文才を見抜いた人々のおかげでしょう。そのひとりに、誰にでも手を差し伸べてくれる有三さんもいたので、彼に感謝しつつクリームソーダを美味しく頂きました。
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アイスクリームは手作業で丸めてくれています。とても大きいです。
2.栃木・巴波川
うずはかわと読みます。この川と同じ題名を尾崎紅葉が小説にして書きました。
有三さんは子どもの頃、この川で遊んでいたようです。栃木市を横断するこの川はやや流れが速いですが、カモやコイなどが気持ちよく泳いでいます。
特に、栃木市立文学館と山本有三ふるさと記念館の間にある常盤橋から見る川は透明で綺麗です。川の水を近くで見て触れられる場所があるので、ここで川から溢れる1/fのゆらぎを聞いて癒されてみたはいかかでしょうか。
写真には納めませんでしたが、この常盤橋の近くには茶房蔵やというカフェがあります。川を眺めながら、デザートを食べられる良い場所です。私は店内でチーズオムライスを食べました。とろとろ卵に包まれて、卵に溶けたチーズの濃厚さと、仄かにクミンの香るトマトケチャップライスが美味しかったです。
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3.栃木・近龍寺
山本有三ふるさと記念館から徒歩3分、有三さんのお墓があるお寺です。
有三さんのお墓までの道案内がとても丁寧なので、真っ直ぐ彼のお墓まで辿りつけられます。せっかく有三さんの誕生の地に訪れたならば、彼に挨拶をする形でお墓参りしてみてはいかかでしょうか。
彼の墓は路傍の石を意識したのか丸い石の形をしていました。四角い墓石を多く見てきたので、丸い墓石には何だか親しみを覚えました。思わず触りたくなる良い形をしています。
4.栃木・武平作
栃木駅北口から徒歩3分、武平作という和菓子屋です。
ここには、有三さんの作品をイメージしたお菓子「たった一度」が売られています。
牛乳を練ったあんこが柔らかく、優しい甘みを味わえるおまんじゅうです。
他にも季節限定の和菓子が売られ、お店の外にはイートスペースもありますので、栃木のお菓子を堪能してみてはいかかでしょうか。
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最後に
文アルとコラボした文学館・記念館を何度か訪れましたが、今回の山本有三のように、日本の為に力を注いだが、現代では教科書に載らなくなった偉人を知る機会を得られて、本当に良かったです。
文アルは、現代ではマイナーな存在になってしまった文豪までも取り上げてくれるので、知的好奇心がとても刺激されます。直近では、大泉黒石という文壇を追放されてしまった文豪を実装すると発表し、文学の入り口を更に広げてくれました。
ゲームなどのサブカルチャーコンテンツを通して、文学などの芸術を触れ知っていくのが昨今の流れになっていますが、この流れに乗ったおかげで、有三さんの教育者・文学者としての偉大な姿を見て知って触れられて、本当に嬉しかったです。
有三さんは今からちょうど50年前に亡くなられましたが、3つの施設を通して、今でも彼が多くの人に愛されている日本の文豪のひとりなのだなと実感しました。
文アルは最近、総数85名分のグッズをたくさん提供してくれ、そのグッズの使い道に、文豪と関わりある文学館・記念館の展示品として飾られるのも良いなあと思いました。どんどん文アルの文豪を受け入れてくれる場が増えてきて、ファンとして喜ばしい限りです。
余談ですが、三鷹市山本有三記念館の受付に、文アルの公式HPにある人物一覧を印刷したと思しき用紙が立てかけらていました。
あまり詮索するのはよろしくないと思い、詳細を聞きませんでしたが、コラボした文豪以外のキャラクターにも興味を持ってくれた施設の職員さんもいるようです。ますます文アルが世に広まっていてくれて、本当に嬉しいですね。
●参考資料
・『みんなで読もう山本有三』
三鷹市山本有三記念館編 笠間書院出版 2006年発行
・『戰争と二人の婦人』
山本有三著 ぽるぷ出版 1974年
・『山本有三記念館―東京・三鷹市(住宅物語)』
初田亨・矢野勝巳監修・執筆 バナナブックス出版 2008年発行
・「三鷹市山本有三記念館館報 第21号 2020年9月」
三鷹市山本有三編集・発行 2020年発行
・『帝國図書館極秘資料集 弐 ―文豪とアルケミスト活動録―』
合同会社DMM GAMES監修 Gzブレイン出版 2019年発行