23:45は素直で10:14はいじらしい
23:45が素直なのは誰の目から見ても明白だ。
彼はまっすぐに生きている。
前に出過ぎず、かといって控えめ過ぎない。
距離感が非常に心地よい。
一緒にいて楽だ。そんな彼が一日のこの時間にいてくれて本当にありがたい。
しかし自分の限界を決めてかかっている感も否めない。
自分はここで終わり。後輩に道を譲っていると言えば聞こえがいいが、改善する気がないと言えばそれまでだ。
壮年期のような彼はなかなかどうして一日の終りにふさわしいではないか。
しかし12:34はダメだ。美しくない。尻切れトンボだし収まりが悪い。
しかし美しくないが、泥臭い。前に進もうともがく姿勢が感じられる。
応援したくなるタイプだ。
行く末を見守りたい。親心が生まれてしまう。
10:14なんかはとても美しい。例えるなら恋を覚えたばかりの純真無垢な少女だ。
朝から独り立ちをしつつ、14分だけ進んでいるあたり、未だに14分の位置にいながら、着実に歩みを進める彼女は絶対に追いつけない理想の彼の背中を追っているようではないか。
少女の初恋は儚くも人生経験として深く刻み込まれる。
いくらなんでも13:00のおおらかな学年主任感を否定できる者は少ないはずだ。
教科準備室で緑茶を飲む先生はにかっと笑ってお菓子とお茶を注いでくれる。
「ここをすぎれば一日があっという間だけど、少し休んでいけよ」
そんなに焦ることはないといつも日差しと共に教えてくれるあの先生は今どうしてるだろうか。
もちろんぼくらが会いに行くのを毎日待っているし僕らを必ず見送ってくれるだろう。
一日には色んなドラマがある。
この記事でまとめた時間の性格というのは自分の経験が元になってるのかもしれないが、
でも、自分にはどうしても「時間」が感情を持つ人間に見えて仕方ないのだ。
必ずまだ見つけていない人物がいるし、彼らが年を重ねることもあるかもしれない。
しかし私は一生彼らと付き合ってゆく。
生涯の友として迎えたいのである。
1.あれば嬉しい。なくても別に問題ない。ちょっと自由がなくなるだけ。 2.あったらあったで意外と困る。暇してるときに無駄に使いがち。 3.使えばいろんなものが手に入る。何をするにも必要。 以上、『時間』の説明でした。