【第1回Pcute Custom】の長いお話
今回もここまで来ていただいてありがとうございます。
大した内容にはなっていないかもしれませんが、あの時、私がどう考えて何をしたのか、ということを書き残し、私がどういった人間なのかについての一端を知っていただければ、と思います。
願わくば、これが、将来、誰かとのご縁をつなぐものになることを願って。
スタッフ参加のきっかけ
参加のきっかけは、単純でした。
まず、当時の私が暇であったこと。
そして、Vaxee WinterでPcuteに一目惚れしていたらクリエイターのimiさんがDiscordサーバーを募集していたこと(それに入れたこと)。
そんなDiscordで全体に向けて「カスタムやってみたいから手伝って」的な呼びかけがあったこと。
と、いうわけで手、挙げてみた感じです。
はじめのやらかし
仕方ないとはいえ、初回の全体会議にアルバイトで出れないというやらかしをしでかしました。はい。実はけっこう反省してます。はい。
なお、このタイミングでミーティングに出ていた方々は各グループ担当や統括、書記など役割が決まってたみたいですね…
これが反省する原因にもなる。
そして、年の瀬。
まぁまぁ大きいやらかしを経て、2回目の全体会議から少し仕事ができてくるのですが。そんな年の瀬のことです。
2回目。もう年の瀬も近い時期の会議でした。
案の定というか、これが問題だった、というかで私の目から見てはっきり言うと『「まったく何も決まっていない状態」で年の瀬を迎えようとしていた』ように感じたのをすごく印象的に感じたと記憶しています。
もちろん、何も、というと失礼な話です。
各スタッフの配置やアンケート方式で募集した情報などは相当数集まっていましたし、動いていないことはなかったです。
ただ、「誰も先が見えない。」。
これがどこか運営のチーム全体として暗い印象を感じさせるものがあったように思います。
これに関してはきっと、運営をお手伝いいただき、スペシャルアドバイザー的な立場に立たれていたODD PLAN所属のwidgetさんは「定番の進め方」としてのプランがあったでしょうし、主催者たるimiさんとしても全体像としては「こういった形の完成図にしたい」といったものがあったのだろうと推察します。
ただ、他の人間は誰もそれを見えていないし、それを説明できない。
そんな雰囲気があった気がします。
そんな中で時期としても「年が明ければいよいよ」と『当日』を意識せざるを得ないような時期に差し掛かり、「当日どないすんねん」という問題がそこにはなかなか横柄なくらいに堂々と横たわっていた、と。
ついにタスクが生まれる。
そんななかで第2回の会議が行われました。
そして、ついに、タスクが…
『タイムテーブル』
世の中「予定は未定」とはいえ、見通せない予定ほど恐ろしいものはないものです。
と、いうわけで会議の中で「当日どんな動きをするのか早く決めたい」ということで早急に作りました。会議が終わって数時間で第一稿を出しました。
ただ、はじめて、ということもあってとても検討が難しかった点がいくつか。
・試合時間
・どんな手順で選手を動かすか
・どこまでをどの権限のスタッフに任せるのか
・配信はどういった流れで進めたいのか
のあたりです。
試合時間はOTを考えすぎては終わりが見えない。しかし、その一方でこれをある程度推定しておかなければ1試合しか実施できない。軽く見えて普通に重いものでした。
結局、widgetさんやimiさん、統括であったAnukosさんたちと何度かやり取りをしたり、会議中の話し合いであった情報を取りまとめて擦り合わせて4回ほど情報を更新していく形で作りました。
そうです。大晦日も正月も返上でつくりました。
imiさんの人望なのか、Anukosさんのカリスマ性なのか、自分が社畜生なのか。そこはわかりませんが、やると決めたからには、というところがあってか返上していたことが苦であった、というよりは「示すべき情報」と「示してほしい情報」と「示せるなら示しておいた方がいい情報」と「求められている情報」と「載せてはならない(時間に遊びがなくなる)情報」との見境やそれらの見せ方、について大いに悩みながら進めたのを覚えています。
見せ方について悩む
一般的に、というか、自分の一般論としてはタイムテーブルは「縦に(下に)」が基本法則であるという点には迷いがありません。基本的に、そのほうが「遊び」が作りやすいことと、「(各スタッフ自身による)書き加え」がやりやすいと考えているからです。
しかし、その一方で見せた方がいい情報や見せてほしいとされた情報が増えていくにあたって「物事の前後関係に関する細分化」は避けられないものになってきたのです。
「物事の前後関係に関する細分化」が避けられなくなるとどうなるのか。
「予定時刻」として記す時間が分刻みなどになってくる、ということです。
何が悪いか。
遊びがなくなるのです。
遊びがあることの必要性
遊びがあることは基本的に「必要なこと」です。
ルールだって、タイムテーブルだって、厳しくしすぎるとお互いに動きづらくなるものです。
と、悩みながらも最終的には、タイムテーブルに遊びがなくなることを危惧しながらも「縦」という遊びがあることを前提とした方式を採用したまま、異常に詰められたタイムテーブルを最終稿としました。
いったん、終わり。
一旦、今回はここらへんでタイムテーブルの話も終わったので終わりとします。長い話にお付き合いいただきありがとうございました。
第1回のお話はあと1回分の記事にはできそうなくらい語ることはあるのでまたの機会に書きたい(覚えているうちにね。)と思っていますので是非読んでいただければ幸いです。
反省というか、いまだに悩んでいることとしては「見せ方」と「見せることができる量」をうまく分けることはできなかったのか、「立場ごとに作ることもできたのではないか」というあたりには後悔と未練があります。
第2回の開催もすでに予告され、運営としても徐々に形を大まかに決めはじめ、次の話で書く予定の内容に関しても多くの改善を図り、運営としても「円滑な運営」に向けて一同、常に頭の片隅ではその自覚と改善を頑張っていますので是非、多くの方々にご応募、ご参加いただき、楽しんでいただければ大変うれしく思う次第です。
改めて、ここまでお付き合いいただきありがとうございました。
今回はいったん、ここまでとさせていただきます。
それでは。