小説:ロンドンの16歳達 : 大人への一歩
1988年の9月。ロンドンの朝は少しづつ明るくなるのが遅くなりつつあった。
朝ご飯を食べにキッチンに行くと、父がこういった
「16歳の誕生日から一週間以内に外国人登録をしに警察署へ行かなければならないんだ。昼間しか都合が付かないから授業を休んでいいか先生に言っておけ」
外国人登録すなわち「Alien Registration」。
Alien。エイリアン。
この言葉には二つの意味がある。
一つは異星人。
もう一つは外国人という意味だ。
Alienの語感があまり良くないため、「なんでこんな登録なんてしなければならないんだ」という意見も良く聞いた。
学校では上級生の人達がよく文句を言っていた。特にすでに16歳になって登録を済ませた人達から聞くことが多かった。
「WELL, Aliean ! What sort of language do they use at the Ministry of Foreign Affaires? Alieanだとさ。全く外務省はどういう言葉遣いしてんのよ!」
警察に行って登録するのは木曜日の午後1時。ちょうど生物の授業の時間と重なっている。
外国人登録で授業を休まなければならないなんて、授業に出ない理由になるのかな。
私はその日の放課後、生物のカジミア先生に事情を話した。すると思ってもみない反応が返って来た。
「まあ、16歳になるのね、おめでとう!」
先生は私の頬を包み込むようにしてキスをしてくれた。
「外国人登録ね、大事な事ですもの。もちろん授業は休んで良いのよ。これも大人への一歩ですもの」
その週の生物の授業の終わり頃、先生は私の外国人登録について話した。
「Amiは来週16歳になって外国人登録に行くから授業をお休みします。皆ももうじき16歳になると思うけど、その時が来たら遠慮なく言ってね。外国人登録は皆さんがもう子供ではない、一人の人間としてこの国で生きて行くために重要な一歩です」
二つあるキャンパスを移動するミニバスの中で、クラスメイトが口々に「16歳おめでとう」と言ってくれた。
16歳になると大人が一緒に居ればできることが増える。親に付き添われての車の運転。医療機関での治療の判断。親が同席していればレストランなどでも飲酒ができる。自分の判断で出来ることが一気に増えるらしい。
今まで親が持ち歩く家具の一種のような存在だった自分が一外国人として国に登録をする。
何だか大げさな事の様だが、まずは登録に行ってみないと実感がわかない。
警察署に出頭する日が来て、私は授業を休み、父と一緒に予約を取った警察署へ行った。時間に余裕を持って30分前に行ったにもかかわらず、すでに20家族ぐらいの長蛇の列が出来ており、予約時間が来た頃には恐らく70~80家族ぐらいが列に並んだ。
「すごく並んでるね」私は父に言った。
「30分前に来ればまだましだと聞いていたんだがなあ・・・少し辛抱しよう」
「午後の仕事に遅れない?」
「大丈夫。時間がかかることを言ってあるから心配ないよ」
周囲にはありとあらゆる人種の子がいた。
その回で圧倒的に多かったのが中東系とインド系、アフリカ系の子供とその親だった。ロンドンではあと数か所にこうした外国人登録を行う警察署があり、午前二回と午後二回の時間が割り当てられていた。
私達親子の前にいた、ユダヤ教の小さなキッパーと呼ばれる帽子を被った男の子は、一緒にいる親と少し不安げな顔をしていたが、自分の名前を呼ばれるとすぐに担当の警官の座る窓口まで言った。
程なくして私達親子が呼ばれた。
手続きは簡単で、名前と現住所、そして出生した街を言うだけ。窓口の人は外国の地名に慣れている様で、私が言った日本のマイナーな地名も見事にローマ字で書きとってくれた。登録書に付ける写真を渡し、物の数分で外国人登録書が手に入った。
その晩、ラジオを聴きながら登録書を眺めていた私の耳に,ある音楽が飛び込んできた。
スティングの「Englishman in New York」だった。
この歌のサビでは「I‘m a legal alien, I’m a legal alien, I’m an Englishman in New York」という節があった。
イギリス人も海外に行くとLegal Alien(合法的な外国人)になるという歌詞だった。
その曲を聴きながら、私は再度登録書を眺めた。名前や住所、国籍が書かれたその登録書の一番下にはもう一行何か書けそうなスペースがあった。
その時、Alienが異星人だったら、自分はどこの星の出身になるんだろう。私は想像を巡らせてみた。
イギリスと言う国で外国人がAlienなら,イギリスは地球という事になる。
それなら、日本の様に地球から一番離れた日本は冥王星ではないだろうかという考えが頭に浮かんだ。
それならばと、地球の他の地域も惑星に当てはめてみた。
地球の傍にある太陽は、おそらく南北アメリカだろう。大きくてエネルギッシュな地域,
その次にある水星はジャマイカなどのカリブ海諸国。豊かな美しい海を持つカリブ地域
アフリカはもしかしたら火星。所によっては火の様に暑い気候をもつ地域。
ヨーロッパは金星。地球であるイギリスと物理的にそう離れていないというだけだが、近くにある惑星。
中東はその次に来る幸運の星木星。
規模が大きく歴史の深いインドや中国は土星だろうか。
東南アジアの島国は海王星。東南アジアも海に囲まれた地域だ。
そして日本や韓国などイギリスから遠く離れた地域は冥王星。遠さを感じさせ、また国のサイズも小さめでぴったりなのではないかと思った。
翌日、学校に行ってキャンパスとキャンパスの間を歩いている時、Alien registrationをやってどうだった、と友達から聞かれた。
「うん,登録はすぐできたよ。私はPlute(冥王星)からとして登録したの」
友達は一瞬何を言っているんだという顔をした。
「ほら,イギリスが地球なら、海外から来た人はAlienでしょ?だから私はPluteから来たって決めたの」
「それじゃ私は何になるのかな」イラン人のネダが言った。
「それは幸運の星Jupiter(木星)だよ」
「イギリスは地球なの?」イギリス人のテリーが言う。
「多分ね。イギリス人はこの国ではAlienにならないでしょ?」
「アメリカとフランスは?」アメリカとフランス国籍を持つトリスタンが言った。
「二重国籍なんでしょ?じゃあ太陽と金星だよ」
「じゃあフィリピンから来たモーリーンは?」モーリーンの親友のファトマータが言う。
「Neptune(海王星)から来て、マーメイドとして登録出来るんじゃない?」
この後、星が出て来るポップソングで、デュラン・デュランの「プラネット・アース」やマドンナの「ラッキー・スター」を大声で歌いながら私たちは目指すキャンパスへ行った。
フィリピン出身のモーリーンはお姉さんのマーガレットにこの話をしたらしく、私よりも数日誕生日が遅かったそのマーガレットは、ある日私を見るや学校から飛び出してきて「私もAlien registrationしてマーメイドになったよ!」と報告してくれ、私たちは「Congratulation!」とお互い外国人登録をしたことを喜び合った。
罪を犯したわけでもないのに警察に出頭するなんて,と嫌がる子もいるが、これは16歳になったという証。なんとも目出度い瞬間でもある。そして自分の出身の惑星を選ぶというおまけもついて来てふざけて遊べる。
一年後に転校した私は、新しい環境に馴染むのに時間がかかった。
これまでの同級生は圧倒的にアジアとアフリカの子が多く、また小さな学校だったので皆が知り合いという環境だった。のけ者にする人はおらず、いつも誰かと話せるような環境だった。イスラム教にも触れ、同時にキリスト教にも触れられる貴重な環境だった。
新しい学校は生徒の出身の国ごとにはっきり分かれていて、イギリス系の人はイギリス系の人と。アメリカ系の人はアメリカ系の人と。良く分からない言葉を話している人達はその人たちと。これがこの学校の主流だった。
日本人もいると聞かされていたが、同級生にいる二人以外とはつきあいも無く、日本人同士お互いを避けているような環境だったので、親しい友人を作るのは難航を極めた。
ただ気の良い人たちはいて、大体がハーフの人か、海外に長年住んでいた人、または国籍など関係なく友人をつくることに長けている人達が少しづつ話しかけてくれるようになった。
この学校でも外国人登録について話す機会があった。
ハーフの子でイギリス国籍を持っている子となぜか外国人登録の話になった時、「外国人(Alien)という言葉に驚いたようで、私の持っている登録書を信じられないという目で見つめていた。
三学期に入ってようやく天気が和らいできた春の事。
私が木陰にあって眩しくない場所でお昼を食べていると、ジェームスと言う男子生徒がふらりとやって来た。アメリカ人だけれどロンドンで生まれ育ったジェームスは、イギリス人なのかアメリカ人なのか雰囲気では言い当てられない程不思議な人だった。
「聞いたよ。Alien Registrationやったんだって?」
「うん。私は冥王星人として登録したの。
理解してもらえるかどうかわからなったが、登録証の下のスペースに想像上のラインを描き、そこに自分の出身の惑星を想像で書く。自分が冥王星から来たという事にしているとの伝えた。ジェームスはこのアイデアを気に入ってくれた様だった。この惑星を選ぶきっかけがスティングの「Englishman in New York」だという事も理解してくれた。
そしてジェームスの口からこんな言葉が出た。
「What did you feel like when you registered?登録してどんな気分だった?」
「Well,I felt more independent. Before the register, I was only a piece of furniture that my parents carry around. But with my name and address registered, I feel more independent, can go anywhere I like 何だか自立した感じ。登録する前って、自分の親が引っ越す度に持ち歩く家具の一つだったみたいだけど、登録を済ませて自分の住所と名前が書いてある登録書を持つと、もっと自立してどこにでも行けるように思う。」
「Go anywhere ? What do you mean ?どこにでも行ける?どういう意味?
「You know, if you wanted to visit art gallery or museum, sometimes you need the proof to show you that you are student. I show my Alien registration card and our school’s binder with our school’s emblem on. It helps a lot to go in at student price ほら,美術館とか博物館とかの有料の所に行くと、時々学生だという証明書を出すように言われるよね。そしたら外国人登録書と,うちの学校のエンブレムの付いたバインダーを出すんだ。学生料金で入りたい場合に便利だよ」
ジェームスは何も言わないで頷いてくれた。
卒業の日が来て、慌ただしく友人達に別れを告げると、翌日に控えていた田舎町への泊りがけの旅行の支度をしながらロンドンのラジオ放送局のキャピタルラジオを流していた。すると、誰かがスティングの曲をリクエストした。
DJが「Can you tell me the reason why you request this song ? なんでこの曲なの?」と聞くと、ラジオから流れてきたのはジェームスの声だった。
「My friend is from Plute. And orbit is taking place and she has to leave the England “The Earth!”. This is the one is for her.僕の友達で冥王星から来た人がいます。でも軌道が回り始めて、イギリスを離れなければならない。その子にこの曲を送ります」
そしてスティングの「Englishman in New York」が流れてきた。
すると、ラジオからは他の友達の声も聞こえてきた。
イギリス人のテリーははデュラン・デュランのPlanet Earthをリクエストした。
「Duran Duran’s “Planet Earth”, please ! デュラン・デュランの「プラネット・アース,お願いします!」
「What’s the reason for it ? どうしてこの曲を」
「My friend said that the UK is the earth and she even singed “Bap Bap bap bap This is planet earth ! 友達が言ってたけど、英国は地球だって言って,しかもバッバッバ,ディスイズプラネットアースって歌ってて」
イラン人のネダはマドンナの「ラッキー・スター」をかけてもらった。
「Hi ! Madonna’s “Licky Star, please! マドンナの「ラッキー・スター」お願いします!」
「Yes, what’s the reason for it ? どんな理由が?
「My friend is from Plute, too, and she said I can register from Lucky Jupiter 友達が冥王星出身って言ってて。その子が私は木製で登録すれば,って」
「Have you done your alien registration yet ? もう外国人登録はやった?」
「Soon もうじきです」
「Oh, good luck with that うまく行くと良いね」
他の友達もリクエストでスティングの曲をかけてもらった。
ロシアとイギリスのダブルの子は地球と金星、やはり「Englishman In New York」
をかけてもらった。
アメリカとフランスのダブルの子は太陽と金星。こちらもまた「Englishman In New York」のリクエストだった。
デンマークから来た子は金星。「レ・ミゼラブル」のフィナーレの歌をリクエストしてくれた。毎日母とキッチンで歌い、学校でもつい授業の始まる時間を忘れて歌っていた一曲だ・
日本人だから冥王星出身という、一学年上の人もラジオ局に電話をかけてきて、やはりスティングの曲をリクエストした。
その内知り合いではないリスナーもこの話に乗ってきて、
「ニュージーランド出身です。冥王星か海王星か分からないけど,このAlien Registrationの考え,サポートします!」
「マレーシア人だけど海王星人として登録します」
など話していた。
しばらくして、両親の国籍が違う子がかなりの数ラジオ局にリクエストをかけてきた。
「どちらの惑星を選ぶか迷っている。親がアメリカとスイスなので太陽にするか金星にするか。でも自分はイギリスで生まれ育っているから地球を選ぶかもしれない」
そういった議論が一時間近く続いただろうか。
聞いていて、親の国籍と自分がこれまで住んでいるイギリスのどちらにしたらよいか分からないという子も出てきた。
「親はインド出身だけど、自分はイギリスで生まれ育って、ヒンズー語はもう殆ど喋れない。ここまま地球として登録したい」
やはり住んでいる国と自分の国籍の国が違い、なおかつ親の出身国が違うと、事情は複雑でどの惑星にしたものか。選べるなら全部選んでしまいたいと言っていた子たちもいた。
16歳になると義務として行う外国人登録。それをふざけて「冥王星出身」などと言っていた自分にも呆れるが、14歳から15歳くらいの子達が自分は惑星をいくつ選べばいいのか考えてしまう子もいた様だ。
DJはラジオの曲の合間に何度も私に呼びかけた。「Come on, Plute, we are waiting for you. Just ring us and we would like to hear from you. As usual, our number is London XXx-XXX-XXx」
私は結局ラジオ局には電話をしなかった。次から次へと来るディスカッションがあまりにも深い話題になり、今頃出て行って何になるんだろうと電話をかける気がしなかったからだ。
願わくば沢山の星を選んで、外国人登録と言う初めて行う義務をしっかり果たし、互いにおめでとうと言える喜ばしい機会になってくれればいいなと思っていた。
数年後イギリスに再度一年間住むことになった、今度は北部にある小さな町にある大学で一年間学ぶことになった。
ロンドンにいる間、キャピタルラジオをかけていると、数年前の外国人登録とどの惑星の出身か決める、という遊びの説明を聞いていなかった日本人が激怒し、「日本人を冥王星出身などと呼ぶのは人種差別だ」とラジオ局に文句を言っていたのも聞いた。
遊び心の無い人なのかと思っていたのだが、巷では「日本人って冥王星出身なんでしょ」というなんともはしょった言い方が独り歩きしている様だった。
日本人だから冥王星人なんじゃない。自分で自分の惑星を決める。アメリカで生まれ育った日本人なら太陽と冥王星を選んでもいいわけだし、イギリス生まれの日本人ならそれこそ地球を選んでもいいはずだ。しかし何年か経ってみるとその辺りのニュアンスが欠けてしまっている様だった。
また、ディズニーのキャラクターで「プルート(冥王星)」という黄色くて長い黒の耳をした犬がでてくるが、これを黄色人種の特徴である「黄色の肌で黒の髪」に引っかけるように聞こえるのも原因の一つかもしれない。
結局差別語としてこの話は葬り去られたようだ。
それでも、かの地で初めて自分の義務を果たす16歳の子達が、祝福しあえる素敵な機会になればいいんじゃないか。そんな気持ちが自分の中で会ったのも確かだ。
自分で自分の出身の惑星を決める。そこでは二重、三重国籍の人達も自由に惑星を決めることが出来る。
ロシアとイギリスのハーフ&ハーフなら地球と金星。
アメリカとスイス、でも生まれ育ったのがロンドンなら地球と太陽と金星。
シンガポールで生まれてイギリスで生まれ育ったのなら海王星と地球。
イタリアと韓国なら金星と冥王星。
アフリカ出身でもアメリカで育った子は太陽と火星。
惑星の組み合わせなら自分のアイデンティティを会わらせるものなら何でもありだ。16歳だと自分のアイデンティティはまだあいまいなところがあるかもしれないが、いつか自分の中で決着をつける日が来る。
国籍はどこを選ぶか。
二重国籍を認められているならどの国に住むか。
長年ロンドンに住んでいるならば、自分の親の母国にするか、それともロンドンを選ぶか。
世界のどこであれ、外国人登録をする年齢になった子供たちが最初に遭遇する責任ある行為。それは人として成長した証であり、これからは責任のある大人の入り口に立った瞬間ともいえる。
日本で暮らす子供たちが外国人登録をするとき、「おめでとう」祝福出来る機会になってくれると良いな。そんなことを考えながら私はラジオのスイッチを切った。