ピンボールとドロップス

 夏生まれで、日にやけて、南国のフルーツが好きで、だからってあんまり陽気ではない。
 このあいだ雑貨店でひとめぼれして、宝石でも選ぶときみたいに恐る恐る買ったトロピカルフルーツドロップがスクバの中でカラカラ鳴る。ピンクはグァバ、みどりがキウイ、淡い黄色がパイン、オレンジがマンゴー。もうじき夏だから、飴が溶けてべたべたになる前に食べきらなくちゃ、と思うけど、もったいなくて、それに教室には友だちがいなくて、みんなでお菓子を囲んだりする習慣がなくて、なかなか缶の中身は減らない。教室で一人で缶のドロップを開けるのはなんとなく居心地が悪かった。中学のときみたいに先生に怒られやしないけど、いっそ怒られるくらいの方がよかったのかもしれない。
 三年ちかく、クラスにちゃんと友だちがいないのはなりゆき上仕方ないんだと思う。一年、入学式の翌日から胃腸炎で休んで、二年になる学年の変わり目には名字が変わった。必死にはなれなかったのは鈍感さと卑屈さのせいだと思う。どのみち、化粧もできないぶすだから、お化粧を覚えて毎日華やかな女の子はどこか怖くて。勉強だってまともにできなかったから、女ぶることにかけらも興味のなさそうな理系の女の子たちともうまくつるめなかった。三年になった今でも図書室で昼休みをやり過ごすのが日課で、かといって、何を読んだかも覚えてやしない。
 放課後、まいにち見飽きた図書室の掃除も終わって、カバンを片手に取る。1冊くらい借りていくかな、とか思うけど、今日はなんだか本棚の方に歩く元気もなかった。別にこっちに声をかけるでもなく解散していくクラスの子を尻目に閲覧席に座って、頬を机につけて、ぼんやりとベランダを見上げると腹立たしいぐらいに晴れ晴れとした空。
 今日、部活か。だれがくるんだっけ。後輩はみんな兼部先だっけ。
 要領の悪さをそのまま形にして詰め込んだみたいな、パンパンに膨れて重いスクールバッグの中で、トロピカルフルーツドロップがまた空元気みたいに鳴る。部活行かなきゃ。次の演目——は、もうない予定だけど、引退までに基礎練くらいしておきたい。
 一冊、適当に選んだ本を、自分で貸出処理してカバンに放り込んで、部室へ向かう。

 放課後の部室は何もかもを許してくれるような気がしている。
 黒々焼けてしまった顔、不似合いなのに外せない眼鏡、背はさほど伸びなくてやや恰幅のあるからだ、肉付きのよさ以上に膨れた不格好な乳房、ついにかわいく着こなせそうにないセーラー服。およそそういうものに不似合いなネックレスを襟元に隠して、塗っても誰にも気づかれない、子どもっぽいリップグロスを塗る。高3にもなってこの程度、どうせ何も変わらないんだけど、それでいいと思う。この場所で、へたくそに着飾ることを許されるっていうことが重要で、だれかにそれを気付かせたいわけじゃない。
 自分のためだけに、だれにもわからないお遊びを身につけて部屋に入ると、ぽつんと座ってパソコンとにらみ合っている人影がひとつ。同期の三角だった。
 いま、特にパソコンで作るようなものもないし、遊んでるんだろうなって、何も言わず寄って行って、画面をのぞき込む。

「ピンボール?」
「うん」
「面白い?」
「まぁまぁ」
「物好きだねえ」

 懐かしい雰囲気の3Dピンボール、画面の上をめまぐるしく動き回るボールと、それを追う眼球をかわるがわる眺める。ときどき浅い瞬きをして、何回かに一度、長いまつげが眼鏡にひっかかるたび、眉間に皺を寄せている。
 生真面目そうな眼鏡の向こう、淡い栗色の眼。まえ、ドライアイって言ってなかったっけ。画面の光が四角く反射して、なんだかすこし潤んで見えて、なんだろう、なつかしいデジャヴ。

「あっ」
「あーあ」
「あーくそ、超えられない」
「え、1位なにこれ。何桁違うの」
「先輩が記録残してった。物好きだよなあ」
「アンタも大概でしょ」

 眼鏡の奥の眼に反射する光。あ、あれだ。去年の夏行った、花火大会。
 わたし、みずいろの浴衣着て、おかあさんが少しだけお化粧してくれたけど、コンタクトはぜったいに買ってもらえなくて。だから無理していつもの野暮ったい眼鏡を外して、何も見えなくて、人混みでよろめいて――、
 いつもすっぴん見せてんのに、コンタクトも買ってくれないおかあさんにお化粧してもらったってたいして変わらないのに、バカだよねって思いながら。三角のかばんの紐にしがみつきながら公園に降りてって、結局人混みであんまりまともに花火は見えなくて。下駄で靴擦れして足引きずって、交通規制の中をゆっくり歩いて駅まで帰った。あのあとどう分かれたんだっけ。もう覚えてない。無性にさびしかったような気がする。
 なんで二人で花火になんて行ったんだっけ。もう覚えてない。でもぜったいに、誘ったのはわたしで、三角は渋々、付き合ってくれただけ。

「超えたいなー、記録」
「暇人」
「てか、もう、引退だし」
「あー」
「あんまり本物の記録とか、残せなかったから、ピンボールぐらいは」
「三角、マジメじゃん」
「いーえ、部長ほどでは」
「褒めてんだかけなしてんだか」

 発情しっぱなしの高校生、まとめて檻に入れたらだめだよって、すぐ交尾とか始めちゃうんだからって、OBの大学生のひとが下衆っぽく、バカにして笑ってたっけ。いま、ぜんぜん笑えも怒れもしない。あんまり至近距離で他人の顔なんて眺めるもんじゃない。それだけじゃないけど、そういうことにしないと、多分なにかがだめになる、と思う。
 動揺を悟られないようにカバンを開けたら、ドロップスの缶と、目が合うみたいに。何も考えないで蓋を開ける。

「要る?」
「おー、」

 三角に差し出して、缶を振って、出てきたのはピンク。私も振って、こんどは緑色。

「さんきゅ」

 三角はいつもの軽い調子で、画面に視線を戻して新しいゲームを始めながら、飴を口に含む。まだしばらくピンボールやるんだろうし、今日はもういいか、って、カバンからさっき借りてきた本を引っ張り出したあたりで、三角が急にこっちを向いて、画面の中でボールが落ちるのが見えた。

「これなに味?」

「ピンクはね、グアバ」
「グアバ!そんなのあんの?」
「トロピカルフルーツミックスだから、あとキウイと、マンゴーと、パイン」
「どこで売ってんの」
「買うの?」
「買わないけど——なんか、そういうのスッと出てくるの面白いなあ」

 グアバ味ってそうそう食べることないよね、って笑った三角の顔が妙にあどけない。普段真顔で変なことするばっかりだと思ってたら案外はしゃいでくれたのが意外で、ああまた、口元が変に緩む。なにそれ、って、笑っちゃえばいいんだ、分かってるのに笑い飛ばせない。
 ごまかすみたいに嚙み締めたら飴が砕けて、口の中にじゃりじゃりと破片が広がる。尖ったかけらがたくさん、口の中いっぱいに。

 (あのときの花火って、もし食べられたら、こんな味がしたんだろうか)

(2010年、2021年リメイク・改題)

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