コミカレのESLと、自尊心のこと
はじめてのESLがとても楽しい
配偶者の駐在帯同のため2023年春に渡米してきた。
いわゆる駐在妻として南カリフォルニアで暮らしている。
最初の数か月は、一人ではスーパーに行くのがやっと、というひきこもり状態で過ごしていたのだが、9月下旬頃から近所のコミュニティカレッジ※で開講されているAdult ESL ※に通っている。
(※コミュニティカレッジ=入試のない公立短大、というイメージだそう)
(※ESL= English as a Second Language――英語を母語としない人向けの、英語で英語を学ぶ語学教室。大人向けのコースには特にAdultとつくことがある様子)
このAESLコースはおおむね5つのレベルに分けて開講されていて、今はLow-Intermediateクラスのうちの一つに参加している。
テキスト代や諸手数料は必要になるものの、授業料自体は無料だし(これはエリアによるようで、英語を母語としないアジア人が多いエリアであることなどが影響していそう)、
自由に好きなクラスを受講することができるのは非常にありがたい。
ただ参加のハードルが低いわりに、総合クラス(4技能をまんべんなく鍛える)は週4(しかも各2時間)、
その他スキルクラス(カンバセーション特化など)は週2で授業がある。
それぞれ出席基準も結構厳しい。
総合クラスだけでもけっこうハードだが、なんとかがんばっている。
Low-Intermediateの教材は私にとってはかなり易しい内容なのだが、初めて通うこの秋セメスターは、内容に新しい学びを求めるよりも、学び方や人と話すこと自体に慣れたい……という気持ちが強かったので、結果的にレベル感は非常に丁度よい。
英語で英語を学ぶことにはまだ慣れないし、まだまだ先生の指示を聞きもらしたり誤解することもある。何より一番苦手なスピーキングのレベルが他の人と違いすぎると絶対に委縮してしまう。
このクラスなら、お互いちょうど気楽に間違えながら話せるはずだ、という感覚があった。
教材が簡単であっても、実践の多い授業なので参加していく中で毎回新しい学びがあったし、
一番ありがたかったのは、すでに使いこなせるつもりの文法や比較的簡単に読めるリーディング教材を通して、英語で英語を学ぶために必要な単語が”しみ込んで”きたかな、と思うこと。
nounだのverbだのadjectiveだの、singularだのpluralだの。
このあたりの文法用語は特に、「知っている」と「自分が話すときに迷いなく即座に使える」の差が案外大きい。
そのあたりの達成感を得たうえで、ここ数回のテストや課題も大体満点が取れているし、しゃべる自信も多少はついてきたので、
1月からのセメスターでは1つクラスを上げてHigh-Intermediateを受講する予定だ。
通い始めてから、やっぱり引きこもっているよりは明るく過ごせる日が増えたように思う。
ノンネイティブ同士、お互いヘタクソな英語でちょっと雑にコミュニケーションを取るプリミティブな楽しさもあるし、ルーツの異なる人たちと親しく話すこと自体が新鮮で、すごく知的好奇心を刺激されることもある。
母語やバックグラウンドの違うクラスメイトと過ごし、そのうち気が合う人とはもっと深く友だちになれたりもする。
思っていた以上に刺激的でいい経験だった。
「学生」として扱われるということ
当初は軽い習い事ぐらいのつもりだったESLが、思っていたよりも自分にとって大切な場になっている。
上記のように楽しいからモチベーションが続く、というのもそうだが、気合が入った理由がもう一つ。
AESLクラスを受けに来ただけのパートタイム学生に対しても、学籍や諸特典がきちんと与えられている。
ESL学生向けのサポートセンターに出向いて簡単な登録をしただけなのに、しばらくすると自分の学生番号が発行され、キャンパス内の警察署に行けば写真を撮って学生証を発行してくれる。
当たり前のようでいて、なんだかいたく感激してしまった。
学生証を持っている。
この学校に帰属を認められている。
しかも学費の心配がほとんどいらない。
こうなると不思議なことに、せっかくならきちんと学ばなければ、という意識が芽生えてくる。
およそ10年前、大学生の頃は、所属していた演劇サークルの活動に夢中だったうえ、とにかくまるで学業に集中できなかった。
今になってそのことには深い後悔がある。
身の丈に合わない私大に進学したことで金銭面の不安は常に付きまとったし、それを過剰に恐れるあまり精神的にだめになって、授業にほとんど出席できなくなった時期もあった。
奨学金が怖くて留年なんて本末転倒じゃないか、とは当時もバカバカしく思っていたが、頭も体も言うことを聞かず、どうにもならない時期がかなり長く続いたのだった。
そんな時期にもサークルにはむやみにしがみついてしまったりもして、同じサークルの人々にも迷惑をかけ通しだったし。
かろうじて卒業させてもらっただけでも御の字なのだが、大学生活は私にとっては明確に辛く苦しい期間だったし、きちんと学ぶことができなかったという引け目のようなものもずっと感じていた。
どういう巡り合わせかわからないが、
今そこそこ成熟してきた自分が、無邪気に学生をやり直すことができている感じがして、なんだかくすぐったく嬉しかった。
大げさかもしれないけれど、僥倖だ、と思う。
英語を学ぶだけじゃなく、英語で学びたい
ちょうど先日、1月から始まる春のセメスターの授業を選ぶべく、履修登録サイトを確認していた。
AESL以外の開講科目も何気なく見ながら、思っていた以上に様々な専攻があり、幅広い授業が開講されていることに改めて驚く。
特に、日本ではあまり見かけることのない演劇の授業が座学も実践もたくさん開講されているのはすごく新鮮だった。
あと、大学卒業後は演劇を続ける傍ら、本業の会社員としては一貫してEコマースやwebマーケティングに携わってきたので、ビジネスに関する授業にも興味があるものがいくつかある。
理系の専攻もあるので、どうやら高校生の頃に興味があった地学や生物の授業も開講されていそうだ。素養が追いつきそうなら、純粋に自分の好奇心のために受けてみたい気もする。
英語をきちんと勉強して、正規の授業を取りたい。
そうして自分の好きな分野について改めて学んで、できたらcertificateだとかを取って、それなりに学んだことを証明できるようにしたい。
そういう気持ちが胸の中でにわかに膨らんでいる。
AESL以外の授業を取るためにはどういった英語力の証明が必要になるのか、授業料がいくらぐらいかかる見通しになるのか、今度学生センターに聞きに行ってみようかと思っている。
コミカレは比較的安価に学び直しの機会を提供してくれる場だという認識があり、通学もしやすいので大本命かと思っているのだが、
内容や金額によってはこのカレッジにこだわらず、近場で別の総合大学や様々なオンライン講座を受けることも視野に入ってくるかもしれない。
結局は何に対していくらかかるのかによるし、まだ検討も始めていない段階だけど、何だか驚くほどワクワクしている。
ソフトスキルとしての「自尊心」
勉強をし直したいという気持ちの背景をふと考えてみると、
最近の私には、自分の選択やできることに裏打ちされた「自尊心」を取り戻したい気持ちがあることに気付く。
「どんなことをしていても自分は尊い」というやさしい「自己肯定」が必要なときもあって、引きこもっていた数か月はその考え方に非常に救われてきたけれど、多分、それだけを支えにして生きていくフェーズを脱し始めたんだと思う。
駐在帯同で知らない土地に住むことにはすごく興味があったが、代償として会社員としてのキャリアは一度断絶してしまうことになった。
もう二度と正社員にはなれないんじゃないか、と退職するときには感じたし、しばらくの間それが本当に悲しかった。
ギリギリ対等でいたいと思ってきた夫に”養われる”立場になってしまったことは、私にとっては思った以上に虚しく、悔しかった。
それでもESLに通うまでの間は英語で就活なんかする気にも全くなれなくて、もう自分はこのまま家の外の仕事なんてひとつもできない人間になって腐ったように生きていくことになるんじゃないか、と驚くほど卑屈な気持ちになってしまう日も何度もあった。
今興味のある分野が、いつか日本に本帰国してから再就職に繋がる学び直しなのかどうか、自分が現実的にcertificate等を取れるところまで頑張れるのかどうか……というと全く分からないけれど、自分で選んだことを精一杯やり通してみたい。
結果が客観的には残念なものであっても、精一杯やったという確信が持てれば絶対に自分は今よりタフになれるし、その自信を燃料にして生きていけるはずだ。
そもそも人生の選択肢を増やすために必要な学びは、具体的なスキルだけじゃないと思う。
ソフトスキルとしての「自尊心」、これまで会社組織の中なんかでは控えめなフォロワーシップや共感を売りにしてきたので重視してこなかったけど、
これから先、しんどい世界を泳いでいくために、それから人にやさしくあり続けるためにこそ、案外有用なんじゃないだろうか。
知りたいことを知りたいだけ学び続けたいし、それによって知識だけじゃなく、いろんなものを得たい。
英語ができるようになることで、今の私にはそのための道が広がるような気がしている。
正しい意味での自信だとか自尊心だとか、そういうものを得て、他人から見た結果がどうあれ、自分が「楽しかった、ためになった、来てよかった」と思える帯同期間にしたい。
まだ31だ。たぶんここから始められることがいくらでもある。
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