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喉元すぎても熱さを忘れないことの難しさ
狼少年の話あるじゃないですか、あれ少年は実は嘘ついていなかったのかも?と思うと恐ろしくないですか?何度も狼に襲われて、いつもギリギリ助かっていたのに遂にやられてしまう・・・救えなかった大人たちが後悔に耐えきれず、少年が嘘つきだったということにしたんだったりして・・・
さて、年初に始まったコロナパンデミック、第二波の感染者の数が少なくとも東京では順調にピークを過ぎた様子、先が見えてきたと感じている方も多いんじゃないでしょうか。
それに伴って、「だから最初からただの風邪だってわかってたろ」「大袈裟に反応して経済止めて、責任とれよ!」と言った論調が出始めました。
そうなのか?
コロナの始まり
コロナの感染拡大が明らかになり始めた年初から、「コロナはただの風邪」と主張される方は確かにいました。インフルエンザでも死者は出るし、普通に気をつけて生活するべきと。
そして今の時点で振り返ってみてみると、確かに他国はともかく日本国内では死者は千数百人レベルでとどまっており、ウン十万死者が出るという当初の話よりはかなりマシな結果になっています。
大袈裟だったのか
そういう意味では、大袈裟に反応し過ぎたとも言えます。緊急事態宣言に続く大自粛なくとも大して死者は出なかったかもしれません。
今結果だけ見ればな
でもじゃあ当初から普通に過ごすべきだったのか?彼らは正しかったのか?と言われれば、それは違うと思う。あの時点の情報をどれだけ集めても楽観的に考えられるデータは一つもありませんでした。まさかアジアとそれ以外でこんなに違いが出ると予想できたでしょうか?
今ドヤっている人は、当時専門家の言うデータなどは吟味せず、自粛が面倒とか、自分の稼ぎが減ってしまうと考えたのか、よく理由はわかりませんが、適当に自粛に意味はないと主張していただけなのです。感染拡大してかなりの人が死んでしまう可能性の方が明らかに当時のデータからは高かったのに、そうでない方に賭けていただけです。
命がかかった状況で
まあ大丈夫だろうという方に賭けてはいけない、ということを我々は学んできたのではなかったか?
僕らは東日本大震災でたまたま生き残りました。でもあの時、津波を恐れることができなかった人たちが多く飲み込まれてしまいました(もちろん逃げても間に合わなかった方もたくさんいらっしゃいます)。百年以上前に起きた津波が襲った地域につい家を建ててしまった。あれ以来、何があろうと大袈裟に恐れることの大切さを学んだのではなかったか?
洪水警報が出た時に、大丈夫だと思っても一旦避難しておけば良かったという後悔は引き継がれているのか?
大袈裟に恐れて何も起こらなかったら、良かったね、と安心するべきであって、だったら逃げなきゃよかったと強がってはいけないのではないのか?
たまたま運が良かっただけの楽観論者にドヤ顔をさせてはいけない。
これ以降
これまでコロナの感染は割と抑えられています。でもまだコロナに関してはわからないことがたくさんあります。70歳以上の方の致死率は25%を超えていますし、感染力は相当強いままです。
自分のちょっとした油断が、自分は無事でも、周囲の方の命を脅かすことになってしまうという状況は実はちっとも変わっていません。また冬に向かってウイルスの勢いがどう変わるのか、予断を許しません。
ここは恐れすぎるほどに恐れていいんではないでしょうか?幸い感染予防の方法はだいぶ見えてきました。ワクチンや薬の報告も上がってきています。
人類は失敗に学ぶことができるということを証明したいものです
個人の考えです
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