人生に関する隠された真実
ここ最近コロナもそうですが、優生思想・安楽死・BLMムーブメントなどなど命について考えさせられる機会が増えてきました。僕自身は生物が専門なんですが、あまり命については考えたことはなかったんですよね。
一方でかなりの時間をtwitter眺めることに費やしている(トホホ)と、何かと他人を叩く流れや警察行為を見えてきます。もちろん理由はあるんですが、なんとなく腑に落ちない。
僕は自転車から落ちた谷垣さんの真面目なところが好きなのですが、特に法務大臣だったときに死刑執行について答えた次の言葉はずっと心に残ってます。
ただひとつ申し上げられるのは、私は死刑執行を命じるときは、それに関する記録はできるだけ丁寧に読むように心がけております。多くの死刑囚の罪は憎むべきであります。しかし、そういう極めて残虐な犯罪を犯した人達の、特に子どもの頃を振り返って見てみますと、極めて不幸な生い立ちをした人が多い。幸せな家庭に育った人がそれだけ残虐な犯罪を犯すことはあまりないんだろうと私は思います。
そういう、不幸な生い立ちをした人達が凄惨な犯罪を犯している、ということをいつも考えざるを得ない、そんなことを思っております。
この共感力すごい。聖人なら死刑囚の方の人生をなぞって生きても平穏でいられるのか?遺伝子も同じ、環境も同じなら?人生ガチャでたまたま生きづらいものを引いてしまっただけではないのか?
そんなことを考えているうちに、不思議な結論にたどり着いたので、ここにさらしてご意見を伺いたいと思います。
自由意志
他人を評価・批判することができるのは、その人が自由意志を持ってあらゆる選択をしてきたと考えるからで、その選択の優劣を議論するわけです。
あの人は常に怠ける誘惑に負けず努力をしてきたから偉い、感情に任せて行動した彼は罰せられて当然である、などなど。
でも自由意志、多数ある選択肢からどれかを選ぶ力というのは人類に備わっているのでしょうか?
そんなものはない
多分こんな青臭いことは、人生の中で皆さん何度も考えてきたんじゃないかと思うんですよね。自由意志に関する本は検索すればいくらでも引っかかってきます。
ただ僕自身はあまり考えたことがなかった、または勉強はしたがあまり腹落ちしていなかったのです。そんなわけでこの数ヶ月ぼーっと考えているうちに「自由意志なんかない」という結論にたどり着いたことには驚きました。
人間が生まれるときに持ってくるもの(遺伝子と少しのタンパク質)とその後の生育環境が大事だろうなぁということは思っていました。脳の中で神経回路を構築していくための要素は、遺伝的特性と環境からのインプットになります。
では行動を起こす際の意志はどのような分子機構に対応するのか?対等な選択肢からどれかを選ぶ力だと思うんですが、そのような分子機構は思い付かないんですよね、生物学的に。そんなものはなくても神経回路の構造から最も自然な(可能性の高い)選択肢が行動に移されると考えるだけで、全てが説明できてしまうのです。
そりゃそうだよな、自由意志なんか存在しないよ
そしてもう一度調べ直してみると、脳科学者たちの間ではそれは当然のように扱われていました。大発見だと思ったけど、そんなことなかった・・・。もちろん哲学者・心理学者の間ではそのようなシンプルな結論にはなっていないようですが、神経生物学者の間では当たり前のことのようです。
これはwikiにも紹介されていますが、リベットの実験というのがありまして、どうやら人間は手を動かす際、手を動かすための信号が出た後に、手を動かそうと考えるようなのです。意志のようなものは後付けで、脳が騙しているだけだった。
ということは
今生きている人々は皆、自分の意志で決断することは一度も(でき)なくここまできたということになります。なんであの時あんな決断をしてしまったのだろうという後悔には、「いや実はその決断以外の選択肢はなかったんだよ」と言ってあげることができます。
「どうしてこんなクソみたいな人間に・・・」そういう環境に生まれてしまったので打つ手はなかったよ、と。
ここまで努力して頑張ってきたことにイチャモンをつけられた気分になる人もいるかもしれません。しかし、そのような努力をする遺伝子・神経回路をたまたま持っていただけではありますが、努力してきたということ自体は事実なので恥じることもありません。
人生はかくも不平等なものか、と嘆く節もあるかもしれません。確かに生まれついた時間・場所・親で決まってしまう不平等さはありますが、逆に人生にどちらが上というものもないのです。堂々と自分に与えられた人生を謳歌していきましょう。
人は猿と違う?
もうおわかりと思いますが、人とさるに違いは全くありません。自分の持った遺伝子と環境からのインプットに合わせた一生を淡々と過ごすのみです。実を言うと人とそこにある石ころも別に違いはありません。ただそこにあり続けるものに過ぎないのです。
そういう意味ではコンピュータが人の脳を再現できる日も近いのかもしれません。最近のAIの能力はかなり上がってきているようですし。
人生の意味はあるの?
正直意味というものはないでしょう。ただ生まれてしまったからには、これからは生きていくことになると思います(死ぬという回路を動かしにくいように大抵の場合脳は作られているので)。どのように生きていくはそれぞれですが、個人的には自分が幸せと感じることを選べるようになっている人は楽しく残りの人生も送れると思うので、羨ましいですね。
犯罪を起こした人は悪くないの?
自由意志というものがないのだから、犯罪者が悪いと責めるわけにはいきません。まさに「罪を憎んで人を憎まず」です。ただし犯罪を起こしやすい人だらけでは社会がうまく動かないので、隔離する必要はありそうです。また次の犯罪を起こしたいという回路の抑制のために、何らかの負荷を与えることに意味はあるかもしれません。起こした犯罪に対する懲罰ではなく。
未来も確定してしまっているの?
全ての分子の動きには揺らぎがあるので、全く同じ状況でも違う行動をする可能性は常にあります。そういう意味では全ての情報を揃えたとしても、未来は不確定になると思います。
結局何か変わるの?
この文章に触れたことであなたの回路が少し変化したかもしれません。そのために読まなかった場合とは違う選択を将来行うかもしれません。少なくとも自分の人生の責任、より良い人生を送らなくてはという焦燥感などが軽減されていたら嬉しく思います。
何で今まで話題にならなかったの?
ね?何ででしょうね。人々がやけっぱちになってしまうことを恐れて、偉い人が止めているんだったりして。これまでの人生で得てきたインプットがあるので、ほとんど変化はないと思うんですけど。
結論
自由意志というものはないと知ることで、自分を肯定する気持ちが高まるといいなと思います。また他人を見る目もできれば変わって、他人を非難することに意味がないということがコンセンサスになると、より気持ちよく人生を送れるんじゃないかなと期待したり。
大多数の人には、は?というようなトンデモ話だと感じられるかもしれませんが、皆さんの何らかの考えるヒントになれば幸いです。
おしまい。
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