インサイド・アウト 第1話 左右対称の顔の女(3)
それでも僕は、高校入学を機に少しずつ変わっていった。華奢で弱々しい体型だったが、胸を張って堂々としてさえいれば、周囲から下に見られることはないことを知った。それに、物覚えが悪くても人の何倍も努力すれば人並み以上の成果を出せることもわかった。それなりに名の通っている大学に進学することもできた。それまで世界は自分の力でコントロールできないものだと考えていたが、そう思うことはほとんどなくなっていた。
でも、その状態は長く続かなかった。今から十八年前——年齢で言うと十九歳の時に、僕は大学を中退した。学業とアルバイトを両立しようとして結局は勉学の方が疎かになり、大学の単位をいくつも落としていたところに、ちょうど姉の死が重なったことが決め手になった。
最低限の暮らしを維持するために単発のアルバイトをして食いつないだ。丸一日何も食べられない日もあった。だが、急成長中のIT企業に偶然採用されたことで僕の人生は再び良い方向に進み始めた。能力が認められ、正社員として登用されると、いつの間にか同年代の人たちの収入をはるかに上回るようになっていた。四畳半・トイレ共同・風呂無しで家賃二万円の安アパートから、すぐ隣に建つ1LDKのマンションに引っ越し、休日はこのように都会の洗練されたカフェでゆっくり読書しながら一日を過ごすのが当たり前になった。
三十七歳にしてまだ結婚していないが、特に必要性は感じていない。それに、優雅に独身生活を謳歌することが、幼少時代にクラスの人気を集めて我が物顔で振舞い、若くして結婚し自由を失った同級生たち対する静かなる復讐でもあった。
俗に言う「成功者」からは程遠いだろう。これといって出世しているわけではないし、かといって充実した日常生活を送っているわけでもない。だが自分の人生における相対評価としては、今は決して悪くない状態だった。幼少期の逆境に屈することなく、自分の力によって人生を切り開いてきたという自負がある。この女の言う通り、「この世に満足したのではないか?」と問われたら、満足していると答えても差し支えないかもしれない——。
意識を過去から現在へと引き戻し、僕は胸を張って女に言った。
「そうですね。言われてみると、確かにそこそこは満足しています」、それから疑問に思っていたことを付け加えた。「でも、どうしてそのようなことを訊くのですか?」
僕が過去を振り返っている間、左右対称の顔を持つ女は物音一つ立てず、ただ僕の目を見つめ続けていた。が、問いに答えた後も女は表情一つ変えず、黙ったままだった。
再び沈黙の時間が流れ始める。
店の中は閉店後のように静まり返っていた。スピーカーから流れるジャズの演奏だけがその静寂を破っている。この閉鎖的で孤立した空間の中にいると、まるでろ過装置のモーター音が響く水槽の中を漂っているかのような気分になった。
最初から水槽の中で生まれ育った魚は、自分が鑑賞されていることに気づくことはあるのだろうか? そして、もしそれに気づいたなら、僕が子供の頃に現実から逃げようと穴を掘り続けたように、外の世界に行くことを切望して水槽から飛び出したりするのだろうか?
まったく関係のない妄想に耽っていた僕を現実に引き戻したのは、コーヒーを運んできた喫茶店の店員だった。空のコーヒーカップを下げ、二人分のコーヒーが新たにテーブルに置かれた。女が前もって注文しておいたのだろう。
僕は背もたれに深く腰かけ、白い湯気が表面を渦巻く熱いコーヒーをそっと口元へと運んだ。鼻腔の奥まで届くように鼻から深く息を吸い、その香りを堪能する。それから中身を軽く口に含んでカップを戻し、女がこちらの問いに答えるのを黙って待ち続けた。
天井から情熱的なピアノの旋律が激しく鳴り響いていた。女が口を開いたのは、そのピアノの主旋律が一段落つき、ウッドベースのソロパートへと移ったときだった。
「すでにこの世界に満足されたのなら、ちょうど一番満足感が得られている時にそっとこの世界から抜け出した方がいいのではないかと思い、あなたをお迎えに上がったのです」
女の言葉の意味を、僕はしばらく理解することができなかった。