インサイド・アウト 第3話 不在着信と差出人不明の手紙(3)
自分の肉体と重ね合わせていた三日月に別れを告げてマンションに入ると、ポストに一通の白い封筒が差し込まれているのが目に留まった。
僕は不思議に思った。夕方頃に喫茶店から帰ってきた時には何も入っていなかったはずだ。そして先ほどコンビニに行く際に集合ポストの前を通った時にも、封筒が入っているような様子は感じられなかった。見落としていたのだろうか? もし見落としていたのではなかったとすると、この封筒は、僕がコンビニに行って帰ってくるまでのほんの十数分の間にポストに入れられたことになる。
腕時計の針は十時をさしていた。夜の十時。日曜日のこんな遅い時間に何かが届くことなんてあり得るのだろうか。速達便でもこんな遅い時間に届くことはないはずだ。それとも、同じマンションの住民からのクレームの手紙か何かだろうか?
怪訝に思いながら、僕はポストからその白い封筒を取り出した。
封筒には、見るからに高価そうな白鳥の装飾が施されていた。レースのように繊細な素材によって、羽ばたく白鳥のシルエットが封筒から浮き上がるかのようにデザインされている。見たこともない仕掛けだった。一体誰がこんな封筒を寄越してきたのか、僕は興味をそそられた。
封筒を確認して、僕は驚いた。どこを見ても差出人の氏名が書かれていなかったからだ。それだけではない。送り先の住所や氏名も一切書かれていなかった。宛先もわからずに、一体どうやってこのポストに届けたのだろうか? 唯一あるペンの形跡はというと、封筒の開け口のところに『〆』と書かれた封字。ただそれだけだった。
誰から来て、誰に当てられたのかもわからない手紙。それをこのまま持ち去るべきか、僕は判断に迷った。
この封筒が僕のポストに入れられた可能性を瞬時に頭に巡らせる。
まず第一にクレームの手紙である可能性。このような手紙を入れるのに、よりによってこんな手の込んだ装飾の施された封筒をわざわざ選ぶとは到底思えなかった。意図的に選んだのだとすると、送り主の趣味は相当変わっていると言えるだろう。
次に、他人宛ての手紙が何かの手違いで僕のポストに入ってしまった可能性を考えた。クレームの手紙の可能性よりもこちらの方が実際にあり得るかもしれない。僕も含め、このマンションの住民のほとんどはポストに表札を掲げていなかった。入れ間違える可能性は大いに考えられる。
そして最後に考えたのはラブレターの可能性だった。しかしこれは真っ先に除外して問題ないだろう。
どの可能性であれ、まずは僕が直接中身を確認する他に選択肢はなさそうだった。
相変わらず外は異様なほどの静けさだった。誰かがマンションに入ってくる様子もない。本当に僕はこの世界に一人だけ取り残されているのかもしれないと感じてしまうほどに、夜のしじまは僕の心の奥底に眠る孤独の記憶を呼び覚ました。
差出人不明の封筒と、缶ビールの入った袋を持って、僕はエレベーターに乗った。四階に到着するまでの間がいつも以上に長く感じられた。肌寒く、静寂に包まれた夜の住宅街から、暖かい自分の部屋に一刻も早く戻りたかった。そして封筒の中身を確認して、この捉えどころのない不安を打ち消したかった。
エレベーターのドアが開くと、自分の部屋までの距離が非常に長いように感じた。四〇一号室、四〇二号室、四〇三号室……そしてようやく辿り着いた四〇四号室の鍵をそっと開け、中へ入った。ドアを閉め、「カチリ」とオートロックのかかる感触を手で確認した時、僕は少しだけ気持ちが楽になった。
部屋の明るい照明の下で、あらためて封筒を観察すると、白鳥の装飾のところどころに小さな宝石のようなものが埋め込まれているのがわかった。合計で12個。宝石の一つ一つの大きさが少しずつ異なるところを見ると、これらは量産品ではなく手作りである。だとするとなおさらこの封筒は高級品だ。まるで結婚式の招待状のように華やかな封筒が、宛先も差出人もなく、よりによって日曜の深夜に届けられるはずがないことは、俗世に疎い僕でもさすがにわかった。
もしこれがクレームの手紙でも入れ間違いでもないとすれば、もう一つの可能性として、架空請求などの詐欺紛いの手紙であることも考えられた。だがそういった類の手紙ならばなおさら普通の封筒を使ってもっともらしい組織名を封筒に明記するだろう。その方が不信感を抱かれる心配がないからだ。
見るからに高価な封筒の開け口に恐る恐るカッターを差し込み、封を切り開いた。それから、三つ折りにされた紙をゆっくりと取り出す。A4サイズの便箋が三枚、綺麗に重ねられた状態できれいに折りたたまれていた。封筒の高級そうな材質とは対照的に、その中身は手紙と呼ぶにはあまりにも事務的な、温かみのないコピー用紙のような紙質だった。
一枚目の便箋から開いて中を見る。手書きであるにも関わらず、コンピュータのフォントのように文字の大きさも間隔もびっしりと均等に書き込まれていた。
やわらかな物言いで始まる文章からは、敵意や怒りといった感情は読み取れない。しかしそのあまりにも丁寧な文面に、僕はむしろ異様な不気味さを感じ取った。
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