インサイド・アウト 第4話 エス(2)
そのあとも友美のペースで会話が弾んだ。童顔で若く見える既婚の友達の話に戻ったかと思えば、親の介護で不規則な生活が続き、そのせいで自分の肌年齢が落ちているのではないかという愚痴へと移った。かと思えば、肌のケアをしているはずなのに同い年の同僚の方が綺麗な肌をしているのはその人が生まれつき肌がきめ細かい体質だからという元も子もないことを言い始め、今度は自分の白髪が最近増えているのは白髪が多い家系のせいなのだと開き直るに至った。こんな具合に、終始、友人の驚異的なポジティブ思考をもとに次々と会話が繰り広げられていった。
わたしがフォローを入れなくても、彼女は勝手に自分にとって都合の良い解釈を述べて一人で納得した。だから聞いている側としては非常に楽だった。彼女は自分の思ったことを話し、わたしは聞き役に徹する。まるで他人が一人でキャッチボールしているのを横から眺めているような気分だった。
時折反応に困ることはあったが、この友人の他愛ない話を聞くのは嫌いではなかった。無神経で鈍感で、わたしの話をまったく聞いていないのではないかと疑うこともあった。だからこそ、わたしとしては余計な気を遣わずに済むというのもまた事実だった。それに、関心のない話に対してリアクションが小さくても嫌な顔ひとつしない。このようにわたしと正反対の性質を持つ人間は、わたしにとって非常に貴重な存在だった。
ファミレスで雑談に花を咲かせた後は、友美のおごりでカラオケにも行った。カラオケでは、年不相応の新譜を次から次へと歌いこなす彼女に対して、わたしは反対の意味で年不相応の古すぎる歌ばかり選曲した。三時間ばかり歌い続け、彼女のストレスも解消されたのか、その日は解散することになった。
友美の車でわたしの家に送ってもらっている間、助手席の窓から田舎のまばらな林を眺めていると、昨日『S』が投稿していた樹海の写真がふと頭の中に蘇った。Sという人物はわたしと同じ三十代で、性別が男だということ以外は何も知らない。それでもわたしは彼のことが妙に気になった。
あの写真を、彼は自分で撮影したのだろうか。もし自分で撮影したのだとすると、どうしてわざわざ樹海まで行ったのだろうか。もしかすると地元の人なのかもしれない。だが地元の人だとすると、何の変哲も無い森の写真をSNSに投稿するのはなおさら不自然なことのように思えた。
不吉な夢を見た後のような落ち着かない気分だった。Sはなぜあの写真を投稿したのか、それがなぜたまたまわたしのタイムライン上に表示されてきたのか、彼はどのような人物なのか、わたしは今すぐ知りたくてたまらなくなっていた。
運転しながら話しかけてくる友人に適当に相槌を打ちながら、わたしはスマートフォンを取り出し、SNSのアプリを起動した。それから昨日わたしが「いいね!」を押した投稿の一覧を表示してしばらく探した。しかし昨日アップされていた《青木ヶ原樹海》の写真を見つけることはできなかった。今度はSの投稿リストを表示し、彼の投稿内容を一つ一つ確認していく。だがやはり、例の投稿は見つけられない。投稿を削除したのだろうか。わたしは首をかしげた。
ちょうどその時、探していた樹海の写真の代わりとして差し出されるかのように、彼の最新の投稿が画面に表示された。
——誰か助けてください。
短い一文だった。投稿されたのは十秒前、つい先ほどだ。
まず最初に頭に浮かんだのは、「何があったのだろう」という純粋な疑問だった。次に思ったのは、この人は本当に誰かに助けを求める状況にあるのだろうか、というものだった。考えるまでもないが、事故に遭ったり、誰かに命を狙われているのなら、わざわざこのようなことをSNSを使って発信することはしない。そんな回りくどいことをせずに警察に連絡する方がはるかに手っ取り早い。
彼はおそらく、孤独か絶望と闘っているのだ。わたしにも以前同じような経験があった。だから容易に想像がついた。
もちろん、この直感は間違っている可能性もある。だけど何であるにせよ、助けを求めている人を無視することは、過去に同じようなことをしたことがある自分自身を否定するのと同じことを意味していた。
余計な迷惑かもしれない。わたしのようなダメ人間の力が及ぶことではないかもしれない。でも、何もせずに後悔するなら、何か行動を起こして後悔した方がまだマシだ。それに何かあっても傷つくのはわたし一人で済む話なのだ。すでにプライドも皆無なわたしが、今さら失うようなものは何一つない。
気がつくと指が勝手に動いていた。
〈何かあったのですか? わたしでよければ話を聞きます〉
わたしはSにダイレクトメールを送った。
見ず知らずの人に対してこのような余計な世話を焼く気になったのは、我ながら不思議だった。昨晩、Sの投稿を流し読みして何となく感じた、自分と同類の匂いに惹かれたのだろうか。それとも何でもいいから誰かに必要とされたかったのだろうか。
しばらくして、後悔の念がふつふつと湧き起こってきた。わたしのように、カウンセラーでも何でもない、しかも見ず知らずの素人なんかに何かを打ち明けようなどと考えるだろうか。それに何の前置きも挨拶もなく、いきなり「わたしでよければ話を聞きます」などと偉そうに書いてしまった。これほど礼儀に欠けた人間は、相手にされなくても仕方がないのだ。
メッセージを送って一分として経っていないにも関わらず、わたしは既読マークが付くのを今か今かと待ち侘びていた。もちろん既読マークはそんなすぐに都合よく付いたりはしない。
自宅に近づくにつれて外はすっかり暗くなり、昼間の暖気がまるで嘘だったかのように助手席の窓越しに外の冷気を感じた。
再びスマートフォンの画面を確認する。既読マークはまだ付かない。このまま永遠に既読マークは付かないのかもしれないとさえ思った。もしかしたら、他の誰かがすでに手を差し伸べているのかもしれない。それならそれでいい。それで彼が救われるのならば。
日が沈んだ空には、早くもいくつもの星々が輝き始めている。しかし月はまだ出ていない。
わたしは彼のことを何も知らない。何も理解していない。知っているのは、彼が《青木ヶ原樹海》に行ったかもしれないということだけ。わたしたちの関係は、彼が投稿した写真に対してわたしが他愛もないコメントを書いたという、ただそれだけの一方向のベクトルでしかない。
家に到着したら、Sの過去の投稿をもう一度きちんと読み返してみよう。そうすれば、彼がなぜ樹海の写真を投稿し、助けを求めたのか、そのヒントを得られるかもしれない。
何がしたいのか、自分でもわからなかった。彼について何か知ったところで、わたしにはどうすることもできないだろう。仮に自殺を考えるほど彼が追い詰められているとしても、わたしには助言できるだけの経験はないし、知識もない。金銭的な余裕だってない。彼が困っていても力になれそうなことは一つもないのだ。それに——。
視界の隅に不自然に浮かぶ、糸くずのような小さな影の存在を確かめながら、わたしは思った。
——わたしには、そもそもそんなことをする資格などない。