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あこがれのブータンへ(1)カルカッタのぞき見

長男が数年前ブータン一人旅をした時、帰宅してから次男に「お前と同じ顔をしたのが居てたぞ」と話しているのを聞いて、私も是非その人に会ってみたい、いつかブータンへ行きたいと思っていた。長男は一人旅だったが、もちろん私はツアーである。インドカルカッタからバスでブータン門を通過して陸路入国するツアーだから、かなり日数を要するけれど、ブータン門というのにも惹かれるものがあった。

2002年5月21日 ブータンは、なにしろ辺境の国である。陸路を行くツアーだから、たどり着くまでにタイで1泊、インドで2泊。
航空機でブータンに入れば最短でバンコク1泊で済むのだが、ブータン門を通って昔からのルートをとるというのに魅力を感じてこのツアーを選んだ。
おかげでインドとブータンの鮮やかな対比も分かった。
そんな訳でカルカッタの印象から始まる。

5月22日(水) 到着した真昼のカルカッタは37-38℃、湿度84%の猛暑。二月半ぶりだそうで、日曜日には42.8℃だったと、ガイドのシンさんの話。ニューデリーはなんと46℃。
ツアーの日程表には午後、カルカッタの市内観光を楽しみますと書いてあるが楽しめたところは少ない。

これも信仰の対象                 終末の家

まずヒンズー教・ドゥルガ女神の化神を祀るカーリー寺院を訪れたが、日のささない石畳の細い路地は暑さを避けて涼を取る人が一杯で、人一人通るのがやっと。1才ぐらいの幼児が裸で寝かされていた。人々の、きついけれども生気のない眼差しから逃れるように歩く。37-38℃、湿度84%というのは想像を絶するものだ。
これこそ貧しさの極みと思うのは、私がまだ世界を知らないからだろう。
少なくともここではテロの恐れはない。カーリー寺院では時々お金持ちが犠牲を供えて祈るそうで、その動物はこれらの貧しい人々の食料になる。
ここで暮らしているのは、お参りする人々からの施しがあるからかもしれない。私がもしその中の一員だったらと思ったら、とても写真は撮れない。
報道写真家にはなれないね。
広い道に出るとマザーテレサの<終末の家>がある。痩せこけて死を待つ人々を直視できず、すぐ外に出た。
バスに乗ろうとすると、施しを求める裸足の子供達の群れ。決してお金を与えないようにと注意があったので、急いでバスに乗る。
こんな贅沢な旅を続けてよいのだろうかと、考えても詮無いことを考えてしまう。
もしイギリスが植民地にしていなかったらどうだっただろう。歴史に、もしもはないと分かっているが、貧富の差はこんなにもひどくはなかったのだろうか。それともカースト制があるから同じことだっただろうか。
ガイドのスーさんが誇らしげに、悪いこともあったが、イギリスはよいものを残してくれたと、ビクトリア記念館を指し示したが、イギリスの悪はそんなことぐらいで帳消しに出来るものでないだろう。植民地支配についてどう思っているのかと質問すると彼は「昔は困ったけれど今は忘れている。」といった。エジプトのガイドさんとの、この違いは宗教によるものなのか。

ビクトリア記念館
ガンジス河で水浴びをする人この水は飲み水でもある       ジャイナ教寺院           

バスの通るメーンストリートは結構広い。
町には一見して植民地時代のものと分かる瀟洒な、しかし汚れきった建物と、独立後の、これも負けずに汚い建物が混在している。

5月23日  今日は湿度61-84%の予報だそうだ。インド国内航空でシッキム、ダージリンへの入り口バグドグラまで飛び、いよいよバスでブータンとの国境を目指す。
車の後ろにはクラッションプリーズというステッカー貼られていて、ここでは追い抜く時に必ずクラッションを鳴らさなければならない。譲ってもらわなければ追い越せないような狭い道幅なのだ。前の車は少しでも道幅が広いところを探して横に寄ってくれるのだが時間がかかる。
私達の乗ったバスはプープー鳴らしながら急ぐ。
空港から離れると緑が多くなり、赤や黄色の美しい花をつけた木が並木になっている。この辺りには人力車に乗った裕福そうな家族連れなどが買い物をしている。人々の表情もカルカッタより穏やかな感じになってくる。植民地時代のものと思われる金属製の立派なテラスのついた家の窓に、ガラスの代わりに筵がかけてあった。

日没直前に国境インド側のジャイオンという町に着く。
ここで翌朝の出発が早いので、ブータンの入国審査を受けてしまう。そこで次男とそっくりの入国管理官に出会ったのだ。
長男が言ってたのはこの人のことだなと直感する。
写真を撮ったらいけないだろうかと迷っている内に審査が終わった。
後で考えると添乗員さんに断ってもらって写しておけばよかったのに
と残念である。

     入国審査場入り口            国境のアナンドホテル      

ホテルは多分、この地方最高級なのだろう。ベッドは下のシーツだけ。黒い小さな毛布がカバーなしにセットされている。シャワーなし。お湯出ず。翌朝ベッドの上を特大のゴキブリが横切った。洗面台はイギリス人用の高いもので、背伸びして使わねばならない。
翌朝屋上に上がってみるとリゾートホテルっぽい雰囲気があって、植民地時代がしのばれた。
ホテル前面のけばけばしい装飾は独立後のものか。

5月24日  
出発までの短い時間に町を散策する。大きな木下には屋台が出ていて男達が朝ご飯を食べている。主食は米とマンゴと牛乳。ここでは極端に貧しい人はいない。

 ふっくらとしてネクレス、ブレスレットを付けた、はだしの子供                    

子供は裸足でもちゃんと服を着ているしネックレス、ブレスレットまでしている。果物はとても豊富で昨日のカルカッタのホテルでは部屋にマンゴ・
ライチ・バナナが食べきれないほど用意されていた。
               (2) ブータン門を越えて  に続く


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