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冒険

男性ブランコのコントライブ
「嗚呼、けろけろ」in 国立科学博物館
— 助手による冒険の記録 —

幸運にも会場で観ることが叶って、上野公園に広がるイチョウの絨毯をパリパリと踏みしめつつ、今日これから何が起こるんだろう?とどきどきしながら閉館している科博へ向かった。空飛ぶ大きな鯨にいってきますー!と挨拶をして通用口をくぐると、入口で青色のリストバンドが手渡される。白衣を着たネコ研究員さん(イリオモテカカリノモノという名だった)がガイドをしてくれるみたいだ。

大きな大きなアロサウルスが彼らの館に迎え入れてくれて、学者先生と黄色い謎の生き物ニョロリーニから、今日集まった趣旨について説明があった。黄色い生き物は自分が何者かを知りたいという。私たちは助手として、その探求の旅の一員となった。今日はこれからみんなで冒険に出るんだ。。!

良くも悪くもお行儀のよい大人になってしまった私たち(現地で一緒に旅した方々もきっとそうだったと勝手に信じて・・)は、寝静まった夜の博物館に はしゃぎ出したい気持ちを心の中の一番上に置いて、静かにそぉっとカカリノモノについていゆく。うずうずうず、わくわくわく!

ニョロリーニ出生の手掛かりを求めて、まずは生き物たちが悠久の時を過ごす「しゅるい森」を訪れた。フィールドワークは過酷な状況も覚悟の上だったけれど、体育座りをしていた地面にはちゃんと敷き物が敷かれていて、助手たちのお尻を甘やかしてくれるカカリノモノの温かさに心もぽかぽかだった。ついて来て良かったなあと思う。

たくさんの人間が急にお邪魔したものだから、森に眠る生き物たちを起こして怒らせてしまった。騒がしくしてごめんなさい、、学者先生、眠乞いの舞をお願い!と助手たちは気持ちを込めて拍手する。先生おかしなダンスだなぁ〜というのと、ライトに照らされた蝶々たちのハッとするような色鮮やかさが同時に目の前にあるものだから、なんだか妙で可笑しい。

長いあいだ森を見守ってきた森守による変な道案内のとおり、私たちは自分たちの足とエスカレーターを使って、地球館1階のしゅるい森から地下2階へと深く潜った。青色に包まれたかつて海に生きた骨たちを確認して、今度は海に来たんだ!と理解する。「むかし海」。そこで出会った亀を助けてる亀救は、この海を昔が満ちたゆりかごだと話した。昔って優しいんだねと言うニョロリーニに、ものによるけどな、とも。大人の私は、その言葉に救われる。

そんな銭好きでもある亀救は、これから救った巨大な亀に乗って銭のために城へ向かうという。そこには知識塊の異名をもつ乙姫様がいるらしい。もしかしたらニョロリーニの秘密を知っているかもしれない、一緒に行けば渡りに船!と私たちを誘ってくれた。知識よりも銭という逞しさを持ちながら、言質ならぬ顔質を取る慎重さで。私たちは探求の旅の途中、ニョロリーニ出生の謎を解き明かしたい気持ちでいっぱいだし、それにこの旅、心奪われるちょっと変わった人に会えそうだし!という期待に溢れていたのだから、もちろんイイ顔質が取れたはず。そうこうしている内に、また私たちは穏やかな自然を崩してしまった。今を生きる人間が昔海にぞろぞろ入って行ったものだから、海が荒れたのだ。

学者先生ともはぐれてしまい、荒れた海の中で迷ってしまったニョロリーニは ぐったりとして乙姫の腕の中にいた。私たちは旅の仲間の弱った姿がすごく心配で、大きな声で伝えたいのを必死に堪えて「おつおつおつおつ・・・」と回復の呪文を毒になるほどたくさん唱えた。愛に満ち満ちた乙姫のニョロリーニを抱き抱える姿はまるで菩薩のようで、平安・・という言葉がまあるく浮かぶ。海のお城に住む知識塊は、ゆりかごそのものみたいな姫だった。そういえばこの海のお城でも乙姫のおもてなしによる可笑しな舞があったのだけど、何千年も前の海に生きた骨たちの圧倒的な貫禄と彼女の妙なステップとのコントラストに、心を込めて踊ってくれた姫様には内緒ですが、この旅で一番笑い出したかったこと記しておこう。。あれは妙。それに、やっぱりちょっと変わった愛すべき人に出会えた。これこそ旅の醍醐味!

目を覚ましたニョロリーニに、乙姫は彼が誰であるかを教えてはくれなかったけれど、知識をパンドラのバインダーにして渡してくれた。全部が書いてあるという。全部・・森羅万象のすべて・・・。地上で再会して一緒にその箱を開けた学者先生は、書かれた知識への欲求に溺れてしまいそうだった。本当に恐ろしくなった。私たちはこの旅で学んできたのに。人間のもつ欲求は、そのつもりがなくたって時に自然を狂わせてしまうこと。助手として旅を終えてからも、ぼんやりと考える。知ることで失うもの、か。。森羅万象、全部っていうのは人間の営みを含む自然のこと。。一緒に旅をしたみんなは、この旅をどんなふうに振り返っているんだろう。

旅のお別れの夕暮れが、帰りの船から遠くの空を見つめる学者先生や船の汽笛が、酷く鮮やかで、寂しくて、少しだけこわかった。夕暮れ時、別れの時間帯は何かの分岐点のようで、心にさっと怖さが掠めるのだ。実際には描かれていないはずの、どーんっと聳え立つ山々、遠くに見える海と、山々の間に沈みゆく大きな夕陽が思い浮かんで、すごく密度の濃い時空に飲み込まれるような感じがする。あの懐かしい感じの夕暮れを生々しく感じたのはこの旅だけではないのだけれど、それでも今回もこうして優しい気持ちで旅を終えることができたのは、黄色い生き物がとびっきりはしゃいでいたりすることと、「見えないからといって、こわくはないよ」とそっと誰かが伝えてるような気がするからかもしれない。

あ、ニョロリーニ、気持ちよさそうに、嬉しそうに空を飛んでる!旅、楽しかったね。また会いたい。また、みんなと会いたい。地球館の一面に広がる大きなスクリーンをスイスイと泳ぐように飛ぶニョロリーニは、まるで龍みたいだったな。

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ふはぁぁ、、わ、ここは上野公園!どれくらいの時間が経ったのだろう。すっぽりと物語の中にいた。長いこと旅に出ていた気がする・・楽しかった。楽しかった!!ワクワクとした高揚感にずぅっと心が満たされて、なんと素晴らしいエンターテイメントを体験したのだろう!舞台セットがコントのために作り込まれたものではないことが、会場と作品の素晴らしさを相互に引き立てていた感じがする。化石や標本たちの自然の造形の貫禄と美しさたるや!興奮が醒めぬまま、夜空に浮かぶ大きな鯨に向かって「とっても楽しかったです!」とお礼を言って帰りの電車に乗った。

会場である科博にほとんど手を加えることなく、照明やカメラなどの設備以外に用意されていたのは冒頭と最後のシーンに出てきた小さな箱くらいだったのではないかなと思うのだけれど、ノスタルジックな音楽、照明で表現される自然、海や夕暮れ、常設の大きなスクリーンに映し出される素晴らしいアニメーション映像、そしてスタッフの方達の高いホスピタリティに、国立科学博物館への敬意と、展示されている化石や標本たちへの愛を感じました。

そしてまた、驚くような物語への旅を待ち侘びる幸せよ!

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