応援

大学のバスケの試合を観に行って感じた事を少し。

付属校でずっとバスケして来て、兄の影響もあり、大学のバスケ部には少なからず思い入れがあって応援して来ました、と。さらに今年は高校の同期も試合に出てるしスタッフとしてベンチ入りしてる奴もいるからそれだけで観に行く理由(本来はいるかどうかも分からないけど)としては十分なんだけど。

その上で感じている事がいくつかあって。
自分が応援して行くうちに何か特別な存在になりたいみたいな意識が確実にあって、それは僕だけなのかも知れないんだけど、あらゆる場面でそういう感情が見え隠れする事がある。なんかちょっと知ってる奴として扱われたいみたいな。
言ってしまえば "no one" である事を受容しない(出来ない)感じ。

自分の顕示欲がただ強いと言ってしまえばそれまでなんだけれども、この感情はどこから生まれるのかなって考えた時に、日本の応援の特殊性みたいなのって割とこういう感情なんじゃないかって思ったりしていて、

どういうことかというと、それは特別視されるというよりは所属意識を持つ様な感じ。所属している大学とかはスタートとしてその意識は当然なんだけれども、そのスタートというよりは何回も応援に行くみたいな応援の意識を強める要因が所属意識なんじゃないかなと。

応援のインセンティブになり得る特別視 ≒ 所属意識を強める何らかの行為、扱い

最初のきっかけはもっと軽いものなのだろうけど、どんどんやって行くうちにそのチームとかに特別でありたいみたいな感情が強まって行く気がする。

結果として応援やサポートというのは文化になり得る事はあんまりなくて、あくまで特別視を求めている様に感じる。
全然ちげーよって人ももちろんいそう。むしろ多そう。でもあると思うんだよなー。
ともかく、自分の行動を律するためにも、何か新しい事を始めるためにも書いてみましたとさ。

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