私と石ころ <自己紹介シリーズ>
遊び友達
私も、幼稚園に入園してすくすくと育っていた。
園では同級生たちと園庭で追いかけっこしたり、鉄棒をしたりとたくさん遊んだ。
園には遊ぶ友達がたくさんいた。
海と山に囲まれたのどかで静かな町。私の住んでいる町。
自然豊かな町ではあるが、言い方をかえると田舎なのだ。
つまり人口密度が低い。
そういうわけで、自分が行動できる範囲には幼稚園の同級生は居なかった。
必然的に休日の遊び友達はご近所さんになる。
年の差は最大で6歳ぐらい離れていただろうか、私が一番下っ端だった。
戦争ごっこ
ある日曜日の午前中にご近所さんと遊んだ。
それは、稲刈りが終わり、稲穂を脱穀した後の藁が田んぼにたくさん置かれていた時期であった。
6人くらい集まっただろうか。
その日はなんと3人ずつに分かれて戦争ごっこをするという。
田んぼの端と端がそれぞれの陣地だ。
私は戦争ごっこはしたことがなかったので、後ろの方に隠れて見ていた。
しばらくすると敵側が石ころを投げつけてきた。
こちらの味方も応戦していたように思う。
というのも、危ないことをするなと信じられないくらい驚いた後に恐怖を感じ、私はすぐ近くにあった藁の家に隠れた。
隠れたはいいものの、周りの状況はまったく見えなくなった。
そのうち、大人の握りこぶし大くらいの石が投げつけられ、それが私が隠れている藁の家を突き破り私の頭に直撃したのだ。
私はすぐさま藁の家から飛び出し、当たった直後は非常に痛いと感じながらも、頭を搔くような仕草をしながら必死に耐えた。しばらくすると痛みが少しだけ和らいだので、また藁の家に引っ込もうとしたその時に、味方の一人が「頭から血が出ているから帰った方がいいよ」と、まずいことになったような表情をしながら言った。
驚いて、痛みのあるところを手で触ると血のりがべったりとついた。
びっくりして泣きながら家に帰った。どうやって帰ったかは覚えていない。
病院へ
家に帰ると、泣きながら「石が当たった~」と言って母を呼ぶ。
異常な雰囲気を感じてすぐさま母が来た。頭から血を流している私を見て母は驚く。が、すぐさまタオルを取りに移動を始めると同時に「玄関に座っておきなさい」と家にあがらないように指示された。私はとりあえず玄関に座り、母が持ってきたタオルで私の頭と顔を拭く。その頃には服も血だらけになっていた。
少し時間が経ち、血はある程度止まったが、何しろ傷を負っているのは頭だから病院へ行かなくてはいけないのだが、その時はたまたま父が留守にしており居なかった。
車の運転は父しかできないので、父の帰りを待った。携帯のない時代だったため連絡手段もなく、ただ待つしかなかった。午後三時くらいだっただろうか、ようやく父が帰ってきた。
母は父に事情を話し、父は少し驚いたようだが、すぐさま近くのT病院へ向かうこととした。私はこの頃カミソリ事件のことは記憶にないのであるが、父と母はデジャヴを感じていたのかもしれない。
病院に向かう途中、車の中で父と母が何やら会話した後に車の進行方向を変え、T病院ではなく遠くの整形外科医院に向かうことにした。
整形外科医院では休日にもかかわらず診察していただき、結果的に頭を3針縫う大けがであった。
レントゲン検査は記憶にないが恐らくしているのだと思う。
出血しているからどうのこうのと言っていた記憶がおぼろげながらある。
今となってはどちらでも良いことであるが。
大事にはいたらず、なんとかその日に家に帰ることができた。
車から降りると、もう辺りは真っ暗だ。
私の頭には真っ白なスパイダーネットがつけられている。
家に帰ってから父がなにやら電話を掛けていた。その後外出した。
どこへ行ったかは知らない。
私は、疲れなのか夜だからなのか両方なのか、いつのまにか眠っていた。
犯人
翌朝は幼稚園を休んでのんびり過ごした。家の中で安静にと母に言われていたが、あまりにも暇だったのでこっそり庭で遊んだ。
夕方になるとTくんの両親が訪ねてきた。Tくんは私と6歳離れていて、当時は小学校高学年だった。
Tくんの両親は菓子折を携えており、玄関で石を投げたのはTくんであることを私にはなし、そして謝罪をされた。
正直、大人から謝罪されることに何の意味があるのかわからなかった。
そして、そもそも私は石を投げつけた遊び友達のことなんて、まったく気にしていなかったのだ。
ただ、あれ以来、Tくんと遊ぶことは2度となかった。
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