#01 自己紹介

初めまして。元プロボクサーで今は…しがない教員をしている「石原英康」と申します。

「note」を始めるにあたり、ここでの活動内容?を御説明させて頂きます。「note」では私のライフワークであるボクシングや週2回の筋トレを中心に趣味のジャズ観賞、また御世話になっている方々との交流を綴りながら、頑張っているアラフォー世代の皆さんに共感して頂いたり、少しでも『僕も』『私も』と思って貰えるような日々の出来事を時折、綴っていけたら…と考えております。アラフォー世代の皆様、家庭や会社、仕事、人間関係などで時として自分の人生に疑問符が着いたりすることありませんか?…そんな時こそ、たった一度の人生を精一杯‼️楽しんでいきたいと私は思っています。少しでも覗きに、遊びに来て頂いた方に『元気や勇気を貰えた』と思って頂けたら…とても嬉しいです。
そんな感じですが…どうぞよろしくお願い致します。


プロフィールにもあるように、そして前述したように…ここでは「トレーナー」として活動や40代からの「筋トレ」を中心に投稿していきたいと思っています。

「トレーナー」では
現在サポートしている
『畑中建人』選手の
『日本初‼️親子二代世界チャンピオン👑』

への挑戦を中心にその練習や試合、技術指導などを中心に投稿します。


次に
「筋トレ」では
『今更、遅い』とか
『僕、私なんて』などと

諦めている方にこそ観て貰いたい
『40代からの筋トレ』です☺️
それを観て
『やってみるか‼️』

と感じてくれたら、嬉しいです。だからこそ、この記事ではまず、ボクシングや筋トレ云々でより

『人にどうみられるか』

ではなく

『自分がどう在りたいか』

が大切なのではないか…ということを私自身の自己紹介も含めて今回の初めての投稿で書いていこうと思います。




ということで、自己紹介致します笑



石原英康



岐阜県岐阜市出身。44歳の中年です。プロフィールにもある通り、高校でしがない教員をしております。

幼き頃より『強い男』に憧れ、プロレスが大好きでアントニオ猪木、タイガーマスク、前田日明の戦う姿をブラウン管越しに眺めながら胸を踊らせました。しかし、実際の自分はというと…幼い頃から機嫌を損なうとすぐに母に乱暴を振るう父から逃れ…母、兄と共に夜道を練り歩いたり、親類が営むアパートの明き部屋で寝泊まりを余儀なくされることががあり、それがトラウマになったのか…暗い場所が嫌いであったり、実はすごく怖がりである自分にわりと早い段階から気付いていていました。いつも強さに憧れる自分と実際の自分との距離に強い葛藤を抱きながら生活していました。そして、何をやっても熱しやすく覚めやすい自分にも嫌気がさしている。…おまけに高校受験にも失敗し、自分自身にも嫌気がさし、なんの希望も持てず、滑り止めで合格していた大垣日大高校に通って居ました。しかし、そんな生活の中で学校帰りに立ち寄った書店で人生を変える一冊のマンガに出会います。「はじめの一歩」です。

『ボクシングって…面白そうだな…』
『強くなりたいな…』

早速、私は自宅から、高校の帰りに、通えるジムを調べ、名古屋の金山駅にあった…

「松田ボクシングジム」

に通い出しました。当時、畑中ボクシングジムの畑中清詞会長が中部初の世界チャンピオンになり非常に名古屋のボクシング界が盛り上がっている時期でした。(残念ながら、私の入門時には引退していたが…)

『世界チャンピオンの居るジムに行けば強くなれる✨』

とその門を叩きました。高校1年の夏、8月7日…16歳の誕生日でした。

入門当時の松田ボクシングジムは練習生は200人を超え、夕方には狭い平屋のジムの中は人で一杯💦…で初心者は皆、ジムの前の駐車場や歩道で練習をしていました💦例外に漏れず私も外の駐車場で腕の前後運動をする毎日…


『もう辞めようかなぁ』


とすぐに思いました苦笑
しかし『ここでやめたら‼️』と一念発起して練習に取り組み、少しずつ結果を出し、高校卒業後、駒澤大学に進学してボクシングを継続し、大学では現在、駒澤大学で監督をする親友の小山田裕二氏との出会いや彼らと切磋琢磨しながら、大学時代は大学リーグ戦19戦19勝(16KO・RSC)、全日本選手権準優勝など、ある意味自分のボクシングキャリアの中で最も充実した期間を過ごしました。元々、プロボクサーになる意志はなく、大学卒業後は今のように教員になり、ボクシングの指導者になりたいと思って居ましたが、日本一になることやオリンピックに届かなかったことが、心残りとなり…

そして、もうひとつ大きな理由が大学3年生の時に兄を亡くしたこと…
兄は小さい頃から勤勉家で、医師として、大学の研究員として働いていました。真面目で大人しく、人に頼まれたことは断れない…とても優しく我慢強い人間でした。

元々、そんなに身体が強い方ではありませんでしたが、研究室での激務は兄の身体を蝕み…26歳の若さでこの世を去りました。

私は『何故、兄貴が…せっかく頑張って、やっと医者になれたのに…』と誰にもぶつけれない憤りを感じると共に…

『たった一度の人生、悔いの遺さず生きたい』と急速に思うようになり、プロボクサーになり、紆余曲折ありましたが東洋太平洋チャンピオンになることが出来て、世界タイトルマッチに二度、挑戦することが出来ました。残念ながらタイトル奪取はならず二度目のタイトルマッチに破れたあと、29歳でグローブを置くことになりたました。

【生涯戦績】
アマ:60戦49勝(33KO・RSC)11敗
プロ:21戦16勝(11KO)4敗1分


引退後、大学に通い直し、教員免許を取得。
2006年より、安達学園 中京高等学校(現在は中京学院大学附属中京高等学校)に赴任。
2007年にボクシング部を創部、監督就任。
2018年末を以て、同部監督を退任。
2019年より、畑中建人選手の専属トレーナーに就任。

という流れで活動をしております。引退後のことはまた、別の機会でお話させて頂けることがあれば…と思っております。


そんな感じ(どんな感じ?笑)ですが、今回は自分が中京高校の監督だった頃のVTRになりますがどのような気持ちでボクシングに向き合って居たかを少しでもわかって頂ければと思います。どうぞよろしくお願い致します。

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