聖玻璃の風とデネブの夢
宮沢賢治の『春と修羅』を久しぶりに読みました。
序だけで大体満足していましたが、読み進めると更に夢に入る。
私が知っている世界と似ている。
『砕けるくもの眼路をかぎり れいろうの天の海には 聖玻璃の風が行き交ひ…』
あたりの文章を読み、夢の中で翻訳しきれない風と似ていると思いました。
辞書によると、玻璃は仏教用語で七宝の一つ。水晶のことだそうです。
またはガラス。
ネットだと、火山岩中に含まれる非結晶質の物質などとも出てきます。
以前、一瞬だけ宮沢賢治のような存在が夢に出てきた時、キラキラした風のような霧のような滝が流れている場所にいました。
この時出てきた存在は宮沢賢治ではなく象徴なわけですが
『車はおもちゃにしなさい』と言われました。
次のシーンでは風と霧が混ざったような滝の上を子どもがオモチャの車を手に持ち走らせていました。
おもちゃの車というのは、象徴であり、もちろん実生活とは完全に切り離された話です。
夢ではエーテルを走る車、宇宙船などの解釈になると思います。
おもちゃの車が巨大な透明植物の上を走ります。
他の日にみたある夢でも、これと似たイメージの中に居ましたが、今度は白鳥のぬいぐるみでした。白鳥のぬいぐるみは何度か出てきています。
生きたぬいぐるみといった雰囲気です。
何故、毎回ぬいぐるみになってしまうのかは気になります。
私がぬいぐるみに抱いている意識が入り込んでいるのかもしれません。
子どもの頃、はじめておもちゃを手にした時どう見えていたのかもう殆ど思い出せません。ファンタジーのせいにして、思い出せなくなってしまったことがあります。
Wikipediaによると、おもちゃの語源は平安時代の「手に持って遊ぶ」行為の「もて(もち)あそぶもの」からきているらしいです。
おそらくここでのあそぶは、心を満たすというような意味なのではないかと思いますが、古代と現在のあそぶという意味はちょっと違っているのではないかと思います。
手に持つという事は、胸から派生しているのでしょうか。胸の具体化した現象などを想像します。
星座で言えば蟹座と双子座に似ています。
玩具の起源は古く、先史時代まで遡るそうです。
夢で白鳥が出てくると、私はデネブが浮かびます。
白鳥は侵入者に攻撃的な面があると言われていたり、デネブの性質などでも囲いを作って育てると言われていますが、私が夢で見た世界もデネブの囲いの中の世界だったかもしれません。
語源を考えると、デネブはアラビア語で『めんどりの尾』なので星座は白鳥ですが、語源は尾っぽです。
コスモスが変われば全然違った印象で出てくることもあるかもしれません。
(空を飛ぶ)鳥の尾とだけ考えると、尾羽は飛行の調整、方向を変えたり、ブレーキ、ホバリングの時などに大切な部分のようです。
風の中で舵を取る部分とすると、人間は陸にいますが、鳥に例えたら手と胸が合わさったようなイメージなのでしょうか。
これはあくまで見た夢に関連させているだけですが、子どもがおもちゃの車を手に霧の中を飛行させていたことに関係していたかもしれません。
霧の上を走るには車は軽い方が良いのだと思います。
昨日、寝入りばなの夢で、歩道橋を歩いていたら白く巨大な不均等の三角を見ました。
デネブかもしれませんが、途中で不思議の国のアリスのように小さくなったり大きくなったりしてしまい、まとめるのが難しい。
これは同じく魚座5度付近にあるフォーマルハウトの性質でしょうか。
私にとってフォーマルハウトはトンネルの先の青い光に見えます。