月との対話

9/25夢
大学のような場所をある友人と移動していた。その友人は私が月の象徴ではないかと思っている小学時代一番仲のよかった友人で、中学に入る時に別れた。ちょうど名前もセレナ(セレーネ)と似ている。
大学のような施設の中では、まるで駅か何かのイベントのように沢山の人たちが行き交っていた。
トイレに行きたいかと聞かれたので行きたいと思ったが、人が多すぎることが気になった。きっと混雑するに違いない。
セレナが「もうトイレには行かなくていいんじゃない?」と言う。
私は「ご飯を食べてから行くことにする」と話す。
「でも、もしかすると父はもっと早くトイレに行きたいと言うかもしれない」と言うと、セレナは何か気に障ったみたいな顔でこっちを見た。
人混みの中、あるグループに会い、一緒にご飯を食べることにした。
席に座る人と、床に座る人がいた。
移動直後は椅子に座ってある友人の隣にいたが、途中で電話が来たのでそこを抜けた。電話では何か制作中の曲の話だった。
また戻ると、私は椅子を机代わりにして床でお弁当を食べた。

解釈
この夢ではとにかく人が多く、まるで駅の真ん中で食事をしたようなイメージでした。
駅というとティファレトのように思いますが、案内者は月で下に向かっていたはずです。
月に向かう水星と金星の間で揺れている様子を見ていたのではないかと思いました。
月は太陽の光を反射させていると考えると、私が会話していたのは自分の反面です。ここで月が太陽から分割されたそれぞれの性質、どの惑星に降りるかということになるのではないかと思います。
「もうトイレには行かなくていいんじゃない?」と言われたことが何故なのかと印象に残ったのですが、トイレは冥王星の象徴で行かないという選択は困る、と思っていました。
しかし、「混んでいる」という印象が私を引き留めて食事の後でもいいかと思っていました。混んでいる、というのはより細分化されていく過程のようにも思います。これは水星に近づいていたのではないかと思います。
「父は食事の後ではなく今行きたいと言うと思う」というニュアンスのことを言うと、セレナはムッとしていました。
それまで父と一緒にいたのですが、あるグループに合流すると父だった人は別の友人に変化していました。
駅(大学のロビーのような)の中央で食事をしている時、(ここもティファレトのイメージのように思います)はじめは椅子に座っていたのですが、電話が来たので出ると制作中らしい曲についてでした。
これもより具体的な方向に興味が向くような印象がありました。
電話後は椅子を机代わりに床に座っていたので、月の軌道に直に座っていたようなイメージでした。(記憶は鮮明ですが、夢を見ているときの感覚の方が強く、太陽は薄い気がします)

9/28夢
キッチンで母と姉が買ってきたものをつまみ食いをしていたら、どこかのおばあさんが現れた。私は食器を洗っていたが、おばあさんは何か手伝ってほしいようだった。
その後、おばあさんは祖母と話をして、遠い親戚のような存在ということが分かった。その時、私は祖母に農業学校を出ていると言われ、はっとして起きる。

ミディアムランドの実家の二階から下の階を見ると、父が「ちょっと風呂に行ってくる」と言って私の前を通り過ぎた。
移動する父の顔を見た時、緑色に変化していてタロットの絵柄みたいな顔になっていた。(或いはオシリス?)

気が付くとバスに乗っていて、私の横にはセレナがいた。
小学時代からずっと会っていないので懐かしむみたいな雰囲気になっていた。
思い出話のようになり、お揃いで買ったらしいミッキーがてっぺんに乗ったペンを持ってそれについて話していた。
バスで番組表のようなものを見る。
遊園地のようなところで降り、あるグループと合流すると、そこはそのまま教室になった。
私は高校生の授業を受けていて、隣の席にはエジプト人のような男性がいた。顔をあげると松村先生が担任として脇を通っていった。
一瞬目が合って、松村先生だ、と思う。先生がぐるっと回って教壇に戻ると昔の担任のようなマッシュルームカットの女性に変化していた。
しりとりのような授業が始まる。
私の直前で「ずかん」で終わったはずが、「なす」と続いていて、何やらしりとりとは違うみたいだと気が付く。
隣の席を見ると、エジプト人だった男性はスピッツの草野さんみたいな人(白くて細くて耳が大きい)になっていて、ナスを持っていた。
たしかに、しりとりは「なす」で止まっていたな、と思って起きる。

解釈
初めのシーンは夢で、農業学校と言われた辺りで違和感に気付きました。
この前日にはデネブとろくぶんぎ座の関係を意識して夢見をしたのですが、その時に自室に沢山の計算機と資料があり、それを調べに来た人物や、がん検診をしなければならないというような内容を見ました。
がん検診の位置はクンダリニ拠点と考えていたのですが、この夢はそれに繋がっているように思います。
夢に出てきた親戚のおばあさんのような人は、ろくぶんぎ座なのかもしれません。
農業学校とは、デネブとスピカが混ざっているようなイメージもあります。
夢では「ああ、そうだったか」というのと、「いや違う」というのが入り混じりました。
私は今は農業に関わった生活をしていますが、農業学校は出ていないので夢から目覚める境界線でまるで宮沢賢治みたいだな、と思っていました。
同じアーキタイプだとしたらデネブ繋がりの印象を拾った可能性があります。

次のシーンではミディアムランドにいて、父の顔を見た時に緑になっていました。これは最近ずっと気にしていたアンドロメダのイメージではないかと思いました。
緑は異なるものを繋ぐ色であり、霊の色と考えると、より抽象的な父ということです。(月の軌道に降りてきたメンタル体)
「風呂に入ってくる」というのは、形を変えて下に降りる、或いは洗い落として上がる、という可能性が思い浮かびました。
9/30の夢では父のハンコのついた企画書を下に降ろそうとしていて、10/1の夢では天王星を渡り歩き持っていたもの(ピンクのアイス)を洗濯しようとしていました。
この洗濯機は恒星に向いた天王星にしかなかったのですが、要するにこの洗濯は父の「風呂に入ってくる」だとすると、恒星に向いた天王星でスープ化というか、形を変えることを意味していると思います。

デネボラの探索をした時は、電化製品を掃除するような夢を見ましたが、天王星は電気の象徴でもあり、私の夢では結構電気と掃除というのがくっついて出てきたりします。
自由電子が一つの方向を向いて軌道を回るのが電気ですが、異なる性質の刺激によって発生していると考えると、夢で二つのコンビニを移動したのは一つの秩序から別の秩序へ移動する。アストラル体を別のアストラル体に変換する、というようなことをしていたのではないかと考えます。
物質の天王星は青く見えますが、大気のメタンが赤を吸収している為と考えられています。
天王星は軸が傾いているため極の方が太陽の熱を受けているにも関わらず、赤道付近の方が温度が高いらしいです。
太陽とは別の方向を向く性質を持っているようにも思います。
これは天王星が二つの性質を跨いでいるからなのではないかと考えてみました。

冥想と夢見(19)にフラワー・オブ・ライフの具体的な内容がありましたが、4つの円が重なっていると考えるととても分かりやすく、これで考えてみると、セレナとバスに乗って遊園地に向かったのは月の円からマルクトに向かっていたのではないかと思います。
惑星の性質もこの円によって変化すると考えると、より細かくなったり(水星)開放したり(金星)、という行き来をしているのだと思います。

シーンは高校時代に変わり、しりとりをして「ずかん」から「なす」と、より具体的になりましたが、金星と水星の揺れ、動き、のようなのをイメージとして見ていたのだと思います。
今よりも忙しい社会生活をしていた時にみた夢で、小学校で袋に入ったカエルを配られる夢を見たことがあります。
私は家まで帰る間に「逃がしてしまおうかな」と、ふと、考えたのですが、バスに乗った同級生がやってきて「カエルを捨てるならバスに乗せない」と言われたことがありました。
それ以来その同級生、幼馴染はずっと惑星の象徴のように登場するようになりました。
この夢を今考えると彼女は水星で、カエルは霊の象徴(マナス)のように出てきたのではないかと思います。
水星は下に向かうだけでなく、上に向かう案内をしてくれ、(私が無意識に下を向いたとき上に向かせ、上を向いたときに下を向かせるようなイメージや圧力になったりします)時に金星が含まれたような表現でも出てくるように思います。器がいっぱいになるとクンダリニが起こり、移動するということなのかなと思います。

9/30夢
建設資材置き場のような場所で、私は中学の制服(紺と緑)を着ていた。
他に赤っぽいスカートの学生もいて、私の高校時代の制服と似ていた。
学生の服を着た学生たちが複数いたが、何やら外が騒がしいので見に行くと黒い服を着た集団がいて、対立する複数グループが捕虜の交換のようなことをしていた。
交換されていたのが、私の中学時代の同級生の後ろ姿に見えた。解放されているようだった。後ろ姿しか見えなかったが、他に何人かが解放されたり、移動させられたりしていた。
私の隣には水星を象徴する友人(幼稚園~中学までの同級生)がいた。
資材置き場、或いは真っ白な市場の一角のような場所は、だんだん草原のようになっていき、黒い集団の方角にその幼馴染は向かった。
私はドイツの方角に行かないでと呼び止めていたが、その頃には黒の中に紛れてしまった。
その草原は欧州の貴族がいるような世界のイメージに変わり、その後白く細長いテーブルのようなものが複数ある風景になった。
水星の友人は私の横(右)の列に並んでいた。私の左隣の列にも中腰になってお辞儀をしている人物がいて、先の方に誰かいるのかとみると、それぞれの列にトップがいた。
自分の列のずっと先の方を見ると女王のような人(絵画のムーサのような、顔がはっきりしない女王)がいた。
それで一瞬で怖くなり、強めの同調圧力のようなものがやってきたので別の列に並びたいと思ったが、もう列が決まっていて逃げられない状態になった。
女王は「自己紹介をしてください」と言った。私は名前を言うが、鼻がつまったように上手く答えることが出来ず、女王には聞こえないようでまた聞き返された。
ちょっと期待外れ、という顔をされたと思った頃には、新しい企画を誰に任せるか、というような内容になっていた。
各々のテーブルで企画を立ち上げたりしていた。
新しい企画を出そうとしているちょっとワルそうな感じの人たち(三人組)がいた。数種類の列から数人出て、私もそのグループに入ることになってしまった。
それ以降、企画を進めているうちに実はここではトラブルが多発してる事がわかった。
(ちょっとメタバース空間みたいなイメージで図書館の本が自動で開いて高速に情報が処理されていた)
トップ(恒星)の前ではみんな積極的だが、実際は毎日裁判が起きていて(下の具体的な仕事では、というイメージ)数人は裁判後に会議に参加したりしていた。
途中で私はこれはどうなのかと思うようになり、裏口に移動を始めた。
見たことがある白い鳥小屋のような場所で息抜きしようと思ったが、また捕虜のシーンに戻っていて、そこでは私と何人かが追い詰められている状況になっていた。

はじめは逃げていたが、私は人質になることにして拘束された。
それより前のシーンで家族に渡されたチロルチョコのような四角を複数持っていたので、
そのうちピンクの四角を自分を拘束していた人物に渡す。(私も家族もそれを美味しいと食べたので、食べれば緊張がゆるむと思ったのかもしれない)でも、相手はそれを食べて「かたい」と言った。
私は意外だな、と思っていた。
拘束されて資材置き場を移動するとき、レコードのような形の複数の四角が置かれているのをみた。(私が持っていたものより、薄く大きい、柄も単色でなく組み合わされていた)
その後は、父のサイン(印鑑)のついた企画書をある夫婦と下のサークルグループのような人たちに提出に行くところだった。
この時一緒にグループを組んでいたのは、以前、白と青のハンドバッグを手直しした時の夢で出てきた若い夫婦だった。(エジプトの通路、個人の幅を広げようとしていたと解釈した内容。今回は父のサインが入っていて、父に関することというと最近の夢で顔が緑になっていたことやケフェウス座を探索した内容、ぺガスス四辺形に関する夢などの続きのことだと解釈した)
しかし、実際に下のグループに持っていくと私は自分でメンバーを集めておきながら中々来ないし、そもそも私の父が甘すぎるので企画はこのサークルで通らないと言われてしまった。
サークルの端には沢山の靴が積まれている箇所があり、私はそのてっぺんに白い新品の靴を置いた。
その下には銀の靴があり、他にも山のようになっていた。次の瞬間には細かな葉っぱの屑のようなものが上に降りかかり、汚れてしまったような気分になった。
他にも内容はあった気がするが、思い出そうと雷が落ちてくるみたいに瞼の裏が光って、それ以上思い出せなかった。

解釈
この日、16塔のカードと土の元素を意識して寝ました。

捕虜の交換のようなシーンは意識がどう移動するかというのを見ていたのではないかと思います。
中学の制服の友人の後ろ姿が交換されるのを見たので、中学に関係するというのを文化期で考えるとペルシャ時代(双子座、水星)に関することかなと思います。
高校時代の制服を着ていた学生のような人たちも複数、周りを取り囲むようにいたのですが、高校をエジプト(牡牛、金星)と考えてみます。
文化期で考えた場合、恐らく、これに対になるロシア文化期、アメリカ文化期、の印象も入ってきていたと思うのですが、その印象は黒い服を着た集団のイメージになっていたのかもしれません。
16塔を意識していたので、生命の樹ではネツァクとホドの横パスです。拘束しようとしていたグループは、要するに元々のものを回収していたのかもしれないのですが、私には怖い存在、影のように映りました。
松村先生の「タロットの神秘と解釈」という本(今読んでいる)には、16は7の性質の偶数系と書いてありました。

16はこの偶数系なので、戦車の向かう方向は自分の内側だ。また16とは8と8を足したもので、このように同じ数字が並ぶ時には、たいてい、この二つは反対方向であることが多い。

タロットの神秘と解釈

同じ硬度のものをぶつけて打ち破る16ですが、この夢を考えてみると私は拘束された時、チロルチョコのようなピンク色の四角を渡し、相手は「かたい」と言いました。
このチロルチョコの印象は、ケフェウス座のことを知った後に入った店で見つけたものです。(アンドロメダのような人魚のような絵柄が書いてある四角)
それがピンクということは、白だった時よりも生命の色が入っています。食べたということは、世界に入ったということと同じなのではないかとも思います。
これは時間と解釈しても良いのかもしれません。
自分を拘束してくるかたいものに「かたい」と言われたのでぶつかり合ったと思いますが、そもそも夢の中の私はむしろ満足させようとしていたので、この四角の中には金星的な要素があるように思います。
水星的な自分と金星的な自分がぶつかり合ったようにも思います。
その後、移動する時に元々持っていたよりも、大きく薄いレコードのような四角を見ました。
ここには二色がまじりあうような絵柄、覚えていたのは白黒の牛のような模様と赤と青の波柄でした。
よく考えると以前の夢で古いレコードの棚が開いている、というシーンがあり(これもケフェウス座の夢)それがここに登場していたように思います。
最初の解釈で思い浮かんだのは、「こういうサイズの方がよかった」という要望として出てきたのではないかと思ったのですが、理想として出てきたのではなく、私が小さな四角をぶつけ「かたい」と言われたことで次の大きな四角が出てきたのではないかと思います。

中身は白と黒の牛のような絵柄と赤と青の波線で、牛の柄はそのまま思考とも言えるのかもしれませんが、白と黒の雲のような模様として黒い霧を一つの箱に収めたようなものにも見えます。(黒なのでまだ意識化出来ていない)
青と赤の波線は互いの性質が揺れている、円回転しているもの、ということで何となく火のようにも見えました。青は精神性を表していて、赤は生命の色と考えると互いが四角の中で活性化していました。

私が初めて見た天空の四角はリラの夢で見たものでしたが、ここには星(点)しかありませんでした。
その後、具体的な夢の中に入りましたが、サイズの違う四角が重なっていて、ぶつけ合うことで開いたり閉じたりということが起こっているのではないかと思います。

眠る前に初めから土の元素を意識していたので、この夢では16塔のように身体から飛び出して様々な土の元素の世界を転々としていたように思います。
アンドロメダの四角は抽象的思考ですが、下のグループに持って行って企画が通らなかったということは、そこで遮断されたということで月により近い水星が自閉したということではないかと思います。
これは月側の水星の性質にとってはただ仕事をしているだけですが、自分自身はこのことに流されていった、ということを考えると意志は反映されておらず、目覚めた後、重力に逆らえなかったというような、どこか恐れてしまったような感覚が残りました。

要するに、太陽との通路があまり活性化していないのだと思います。
靴が積み上げられて、上に葉っぱの屑のようなものがかかって山になっているものを見ましたが、靴は足をカバーするもの、クッションのようなものかと思います。
地面を舐めまわし、感覚を味わう、空間を経験する為のものと考えると、積み上げられていたのは、この日の夢で経験してきた靴であり、白い靴は新たに付け加えられたもので、持ってきた企画でもあります。
白い靴の下には銀の靴がありました。これは月の靴とも考えられます。
白い新品の靴は、私が提出した企画だったのだと思いますが、企画が通らず、甘いと言われたことも重なって、そこに葉の屑のようなものがかけられ汚れてしまったように感じていました。
ですが、そもそも葉は植物でエーテル体の表現かと思います。
不燃物ゴミのようなものは一切ありませんでした。というと、これは細かく葉や茎が刻まれていただけであり、汚れてしまったと感じる必要はなかったはずです。そう感じたのは私の感覚が一次元的過ぎたのではないかと思います。これは繋げてまた再生することが出来ます。
水銀には固める性質はないと考えると、月(銀)を解放することでまた流動的になるように思います。

水星と月について

夢探索をしていて、割と月や金星を意識することが多かったのですが、改めて考えてみると水星はよく登場するように思います。
私はよく突き飛ばされる夢やストーカーのように付き纏われる夢を見ていたのですが、これに対して単に自分が月の側だったからとしか考えていませんでした。

例えば最近、アルゴルと思われる存在が登場したとき、目が合うだけで突き飛ばされてしまい、その後怖くて隠れるように転々と移動し、それでもずっと感じるので最終的に「嫌いだ」と叫んでいました。
目覚めてからも何か書いていないと怖くて保てなかったのは、今考えると水星に同化していたのかもしれません。
もし、月であれば鏡のように反射しますが、逃げたり、「嫌いだ」と突き放すようなことはないように思います。
前にベテルギウスの夢を見た時も、向かい合うだけで突き飛ばされましたが、この時は月だったように思います。(ただ、突き飛ばされたのでエネルギーの方が強くエーテルの帯が弱かったのだと思います)
また、水星を意識した他の夢ではとても安定した活動をしていて積極的に研究を進めていたり、歌を歌って繋げていくというような夢を見ていました。
これは月を見た水星か、太陽を見ているかの違いかと思います。
物質的な水星を参考にしてみると、水星は太陽に一番近い場所にいて、昼は灼熱で夜は極寒らしく、光が当たる場所と当たらない場所では、全く違う性質を持っています。
金属では水銀と似ていると言われますが、水銀は固まらない金属で流動的です。
なので、月、銀のように鏡として左右対称に映すという性質はなく、流動的に作り出す性質を持っているのだと思います。

以前、「2016年から始まった双子座のオクターブ重階法」というのがあると夢で見ましたが、これは20審判と16塔に関係し、さらには双子座に関係しているとすると水星に関係します。双子座は、神話の血の繋がらない双子、カストールとポルックスのことと言われていますが、夢の内容を考えると20は環境に振り回されず時間を再生させていくような姿勢で16は異なる性質をぶつけていく、一つの信念体系から解放していくようなことと考えると、この夢で言っている双子座は水星に関するだけのこととは考えにくく、異なる性質を含んだもの同士のことかと思います。
例えば、水星と木星、金星と火星、天王星と海王星、のようにどんどんぶつけていくことでオクターブを起動させるという内容にも思えてきます。
難しいと感じるのは、太陽と月の関係です。
月の軌道をより物質的に感じた時、照らされるような眩しい光の中でどんどん映像が再生されそのスピードと体感のバランスが怖いと思ったことがあります。
少しでも傾くと落下しそうな感覚だったのは、私が想念に対してそこで怖がってしまったからかと思います。
これは、月に反射されるとその熱がそのまま再生されるということだったのかなと考えると、月の軌道は色のついた帯のように月のまわりにあり、熱を的確に反射させていて、この性質は反発し合うというより土星に近いのかもしれません。

光は物にぶつからないと反射することはなく全体に広がりますが、これが太陽と月の関係かと思います。
以前の夢では、月の軌道で想念が現実化していくことが途中で怖くなりましたが、これは主体が客体に飲まれそうになったことに抵抗した個の感情で、途中で思い出してしまったということです。(月の軌道に落ちる前は、確か海老天を揚げていて燃えてしまい、火事になりそうだったので勢いよくエビを投げました。今考えると、これもクンダリニかと思います。)
太陽の通路を怖がらなくなったら、未来(死後)の自分、今の自分、という捉え方なども徐々に変化していくのかなと思います。
この辺りはサマディしながら、同時に個に対する特定の執着を失くしていくという両面が必要と思うので、時間をかけてマルクトに繋がる月の円の比率を薄くしていこうと思います。
少し前に、三つのアーキタイプについてミディアムランドで見ましたが、ここにはシリウス、ベテルギウス、スピカの印象があり、一つを選ぶことが出来ませんでした。
他にもデネブやアルシオン、アンドロメダなどとの関係もあります。
このことで混乱していましたが、グレート・セントラル・サンの意識であることが大切なのだと思いました。
最近は月の軌道にいることが多かったのですが、意識が色んな角度から集まる中心点にあまり行けていなかったように思います。
スピカを綺麗だと思った時、外側から見ることが出来ました。この源流はどこかというとアルクトゥルスにあり、その視点からスピカに降りることと、夢見せられたことに一体化することは別なのだということかと思います。
つまり恒星になりきってはいないということです。
(冥想と夢見(19)を読んで思ったことです)

目を閉じると万華鏡を覗いているように突然フラワー・オブ・ライフが見えたことがありました。(初めは曼荼羅みたいな花だとしか気づきませんでした)
これを映像化したのは惑星の動きかと思いますが、熱源は「これは何なのか」という感動として感じました。この源流に長くいると、同時に下も変化するはずなので惑星も変化することになり、恒星との通路が出来ている場合、サマディすること自体、その存在を変形させるということになっていくのだと思います。

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