障害者雇用で転職を果たした僕の最近の思考
少し自慢のような書き出しになってしまうが、僕は最近、障害者雇用で転職を果たした。このことを誇らしく思っている。
さて、最近話題になっているフジテレビの問題について触れたい。過去に女子アナウンサーに性接待を強要していたという話が浮上し、メディアでも取り上げられている。フジテレビといえば、僕の中では堀江貴文の名前が思い浮かぶ。僕が10代の頃、彼がフジテレビを買収しようとしたことは大きな話題となった。
堀江貴文という存在
僕は堀江貴文のことが比較的好きだ。彼は活動的で野心的に見えるが、その根底には「世の中を変えたい」「社会に貢献したい」という強い思いがあるように感じる。
ここ2週間ほど、僕はYouTubeやNewsPicksで彼の番組を見ていた。その中で、彼の行動力の根源が「満たされない思い」だと語られていた。
僕自身、堀江貴文のように勉強ができたわけではないが、昔から“うわの空”で生きていた。中学時代、本当に窓の外を見てばかりいた。小学5年生で不登校になり、中学2年生で復帰できたものの、勉強にはついていけなかった。窓の外を眺めながら、「ここではないどこかへ行きたい」と思うことが多かった。
17歳の頃、ラーメン屋で皿洗いをしていた時も同じように「どこか遠くへ行きたい」と考えていた。あの頃の自分は暗かったが、今振り返ると愛おしく感じる。
「我が闘争」との共鳴
中田敦彦が「堀江貴文の著書で一番面白かったのは『我が闘争』だ」と語っていた。その本の中で、堀江貴文は小学生の頃に親族が亡くなり、非常に怖くなったと書いている。僕も全く同じ経験を小学生の頃にした。
恥ずかしくはないが、夜中に急に目が覚め、怖くなって母の布団にもぐりこんだことがある。あれから20年以上が経った今、僕は死ぬこと自体は怖くなくなった。けれど、「何も残さないまま死ぬこと」が怖い。
この文章を書いてよかったと思う。仕事の合間に、少しだけ希死念慮があった。でも、今している仕事は静かに働ける環境なので、誰とも話さずに少し遮断した気持ちになっていた。
闘争か、逃走か
僕の見解として、『我が闘争』は「自分からの逃走」の物語にも感じた。人は信じたいものを信じ、見たいものを見る。
「闘争」と聞くと、戦う話にも思えるが、僕には堀江貴文は「闘争の人」ではなく「逃走の人」だと感じる。彼には優しさを感じるし、何かから抜け出したいという思いが根底にあるのではないか。
彼に会ってみたい。
そう思ったので、もっと書いてみようと思う。