仮面ライダーリバイスと現代宗教観について
皆様、仮面ライダーリバイス。ご覧になってますでしょうか。
私自身第1話から拝見しているのですが、これ地味にとんでも無い問題作の香りがしております。
日本って本当に表現の自由に恵まれた国なのだと思いましたね。
てな訳で、そう思った所以なのですが、この物語に登場してくる「ギフ」という存在にこのワクワクとした違和感が潜んでおりました。
このギフというのは昭和ライダーにおける「首領」のポジションにあたり、俗にいうラスボスという位置付けのキャラクターになります。
主人公はもちろん仮面ライダーなのですが、かねてよりこのギフを監視、対策しているフェニックスという組織がありこの組織に所属している主人公の弟が2号ライダーの位置付けになります。
フェニックスは所謂公的組織、NPOや行政法人のようなものであるのに対し主人公側はあくまで自警団やレジスタンスの立ち位置になります。
ここで問題なのが、終盤に至るまでの「ギフ」という存在への向き合い方でした。
主人公側は歴代ライダーよろしく「人類の笑顔と平和のために」戦うのです。そのためになんとしてもギフを撃破し片付けてやる!といった位置付けです。
対するフェニックスなのですが、ギフという人類にとって規格外の力に対して、崇め平伏して赦しを乞うことで「平和のため」とするものでした。
ここで私が感じたのは、フェニックスの考え方こそ現在の人間の宗教観そのものなのでは無いでしょうか。
人間が太刀打ちできない自然災害や死後の不安を存在もしない「神」に平伏して赦しを乞う事でやり過ごす。まさに今の宗教法人のそれでは無いでしょうか。
今作はもちろん仮面ライダーが解決してくれるものの、現実にはそんな救世主は存在しません。
超常的な暴力を持って神をも制圧できる救世主こそが今必要なのではと。
仮面ライダーリバイスという作品を通して実感しました。