見出し画像

8/19

雑感

雨続きの日々が去って関東は元の日照りを取り戻しつつあるのだけど、お盆を越えたせいか少々涼しさも感じる。暑すぎると正常な判断力すら奪われるように感じるので、多少でも気温が下がってくれるとありがたい。そんな8月中旬の終わりにブログを書いていこう。

今回は、久々に『アサルトリリィ last ballet』の話題から。以前から自分の所属するレギオンはSとAを行ったり来たりする状況なのだけど、発動オーダーを調整したので安定して勝つことが出来るようになった。必要最低限の取り決めだけを据えてやってきたので今回の戦略会議は戸惑いもあったはずなのだけど、形になるまでついてきてくれて有難いと思う。使った時間の分まで勝ちを重ねたいものの、勝負は時の運なので、期待しすぎない程度に戦って行きたい。

土曜に迫ったレギオンリーグに向けて準備する中、最も戦力の高い後衛の人が抜けてしまった。以前から一人研鑽を続けており、レギオンマッチ/外征の参加共含め大変お世話になっていたメンバーなので、このタイミングでの脱退は正直痛い。しかし、これまでに多大な貢献をしてくれたのは事実だし、徐々に戦力の差が歴然としたものになっていったので、仕方ないのかなと思う。別のレギオンで会った時は真剣勝負をさせてもらいたい。

遊び仲間とは言え、常に一つの方向を向いているには結構労力が必要だ。そういう意味では、自分が加入してからほぼ脱退者を出していない今のレギオンは安定している方なのだと思う。長期の未ログインで除隊になった人は結構いるけど、自発的に抜けていった人はこれが2人目?3人目かな…メンバーにとって居心地のいいレギオンに出来ればよいのだけど。個々に事情もあるからね… 難しい。

女神寮の寮母くん 感想

女神寮の寮母くん #06 「すてあ、海に思う」、「孝士、コスプレデビューする」 

この作品を取り上げるのは2回目になる。けど、今回はあくまで短めに。エピソードではあてな、すてあの二人が友情を深めたり、フレイさんが不器用な導きで孝士くんを励ましたりした。

Twitterでも書いたけど、この作品、えっちなシーンだけ抜き取っても成立すると言えばするのだけど、キャラクターを記号的に扱うところから一歩抜け出して、人情味あふれた”人格”を与えているところが結構好きだ。

寮生と少年の成長物語なので当然の展開ではあるのだけど、見守る部分は見守る暖かさがいいと思う。それはそれでいて、この作品の本質は結局のところえっちなシーンに集約される為に、誰の目から見てもおかしな目に遭ったり、現実ではあり得ないようなハプニングに見舞われるままならなさ…

本来捨てなければいけない要素を敢えて拾いつつ、その上で飛び道具としか思えないようなキャラ付けはさせられるという矛盾した状態にある寮母くんの面白さは、常にキャラクターへの敬意と愛情を持っている作品でも、装置としての役割を徹底させる作品でも見られないものなのかもしれない。一番山場のシーンで主張の激しすぎる実写とか入れちゃうもんな…

優しさと言えるほど綺麗ではない、この作品の一挙手一投足をこれからも楽しませてもらいたい。変人と交わった不憫な二人はお姉さんたちに振り回され、時折お姉さんたちを振り回しつつ、どこに向かうのか。楽しみです。

劇場版レヴュースタァライト 2周目 感想


ネタバレ注意!


・純那ちゃんが「今は今は」と言い訳重ね、生き恥晒しているところを大場ななはしっかり見ている(大場映画株式会社の映像で流れるシーンと一致)

・天堂真矢は新国立に向かう電車において、広告「ACT」の顔写真を真似て立ち振る舞いをしている。神の器としての振る舞いか。

・愛城華恋は「見ないし聞かない」を貫いた結果、『神楽ひかりのいない演劇』も「見ない・聞かない」状態で高校生になってしまった。

・序盤に差し挟まれる第101回聖翔祭決起集会と『怨みのレヴュー』の内容は、その後の展開の枕になっている。

決起集会の「怖い」という感情は華恋がひかりに対して、ひかりが華恋に対して持っていたものであり、かつてまひるが立ち止まってしまった部分でもある。だから「怖いよね、でも行かなくちゃ」と背中を押す役割は、華恋に救われたまひるが担う。

『怨みのレビュー』の「本音晒せや」はワイルドスクリーンバロック全体のテーマでもある。オーディションは全員で奪い合い、争い合うことを主眼にした舞台だったが、今回は各人が感情を剝き出しにした、全く個人的な舞台が展開される。

・『競演のレヴュー』において、まひるは3つの役を演じ分けている。ひかりに勝負を挑んだ時は本心と役者の顔を半々ずつ、舞台裏に追い込んでから突き落とすまでは完全に役に入り込み、ひかりをMr.ホワイトで受け止めて以降は”露崎まひる”として。表情や口調にはっきりと変化が見られる。

口上①:私たちは舞台に立つ喜びを歌い 舞台に立つ覚悟を踊り 強く愛しく 美しく演じ続けることを誓います (99期生 露崎まひる 夢咲く舞台に 輝け私!)

口上②:キラめく 舞台が大好きだから キラめく 自分を目指してまっすぐ 99期生露崎まひる 夢咲く舞台に 輝け私!

口上を見ても、「舞台で演じること」から「舞台へ上がる自分」へ焦点が変わっている。舞台裏で本気を出したのは、ひかりの逃げ道を完全に潰すため(本音を引き出すため)

・「私の純那ちゃん」の定義がよく分からなかったが、「才能に阻まれても、何度でも挑み続ける」ことが条件だと分かった。

大場ななは星見純那が戦略的撤退を選んだ=才能に照らされて挫滅したと解釈し、『狩りのレヴュー』を始める。

ななにとっての純那は「挑み続ける」ことは出来ても、「打ちのめされたところから立ち上がる」ことは出来ない存在であり、2度と煌めきに届かないことを不憫に思って切腹を促した。

しかし、純那からすれば常に才能を見上げてきた(挑む→打ちのめされる→立ち上がるのプロセスは不可分であり、困難の種類が違うだけ。)ので、「あんた今まで何見てたの?」と一喝された。

・キリンが舞台に関わっているのは『魂のレヴュー』までの可能性が高い。天空から落ちる時、キリンは燃えていた。このレヴューは最後に炎を映し、神の器が燃えるシーンで幕を閉じる。

また、『魂のレヴュー』で初めてキリン以外の観客が舞台を見守ることになるが、いずれも作中の登場人物(ふたかお/じゅんなな/まひる)で、外部には開かれていない。キリンが燃え尽き、外に開かれることで華恋が”観客”に気付くのだとすると、辻褄が合う。

・前回のブログで「華恋から溢れ出すポジション・ゼロ」を”可能性”と称したが、見返すと”スタァライトへの未練”にも見える。

ポジション・ゼロを空っぽになるまで吐き出して、次へ進むための一歩を得る。この先の舞台(人生)に興味を持つための余白を作る。そんな読みも出来そう。

・映像内において、ひかりは一度も王立の白制服を着ていない。ロンドンに住んでいるとしても、王立には通っていない可能性がある

・今まで「舞台少女」「観客」の二層構造で主に作品を見てきたけど、「舞台」もある程度意思を持っていて、百合の波動を感じると独りでに動き始めるのではないかと感じるようになった。

少女の複雑すぎる内面と観客の無限に広がる舞台への欲求を合わせて完璧にしつらえる、高度な汲み取り方を見ると、「舞台」そのものが煌めきを求めているのでは…?と思わずにはいられない。

他に思ったこと

・香子「おい!」←ぞくぞくする

・まひるちゃんはママ

・上述の読みが正確なら、まひるちゃんの「全部演技だったの?」に対する答えはやっぱりウソ。しかし、『競演のレヴュー』の真の目的はまひるとひかりの交流ではないので、これはひかりが雑念を抱かないための優しい嘘といってよさそう。

・『wi(l)d screen baroque』、かかり始める瞬間が天才的。

・「今後うだつの上がらない舞台での人生を送るくらいなら潔く引導を渡してあげよう」という感覚は優しさなのだけど、そこで切腹を迫るのが大場ななクオリティ。そりゃ純那ちゃんも泣く。

・天堂真矢、「This is おいも」とか言ってるのに『神の器』は無理があるでしょ…と思ってたけど、やっぱり無理があった。

元々ズレてるので、「どうして自分には演技の才能があるのか」という問いに、「そうか!自分は演技の星の下に生まれたんだ!」と結論付けてもおかしくはないし、自分なりに生まれ持った資質と向き合っているのは好感が持てる。そして将棋は相当弱い。

・『スーパー スタァ スペクタクル』で列車が疾走するシーン、『最後のセリフ』へ導くための舞台の全力という感じで非常に良かった。一気に曲のボルテージも上がるしテンションMAXになる

本稿 https://note.com/gyst_00/n/nef5083515114 

3周目 https://note.com/gyst_00/n/n291c4b691508 

サムネイル引用元:🄫2021Ikumi Hino/女神寮

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?