劇場版プロセカを見て突き動かされた衝動を整理したい内容に触れるしそれ以外も多い個人的な文章をnoteにして公開している

雑記1 数字について

2025年の定量的な目標がまだ決まらないでいる。
再生数10万超え?フォロワー3000人?youtube収益化?
なにか本質とズレている気がする。
自分以外の力によって達成できるものを目標にするのはニーバーの祈りに反する。

神よ
変えることのできるものについて、
それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。
変えることのできないものについては、
それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。
そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、識別する知恵を与えたまえ。

ニーバーの祈り

現段階では再生数などの数字を、自分の努力で変えることのできないものとして捉えている。マーケティングとかセールスを丁寧にやれば後押しができるかもしれないが、変えられないものの領域が大きいと感じる。

数字を得ることが強い快楽を帯びていることを知っている。正直欲望のままその快楽を追いかけたい。数字は脳を作り変える超常的な刺激だ。ドーパミンがドバドバ出る。その先に抜けられない依存や破滅が潜んでいる気がする。

ずっとそこに対して一線を引いてる気持ちはあったけど祝1万再生!ってツイートはした。この状態に醜悪さを感じていても嬉しいものは嬉しいし。嬉しいものは嬉しいが、ものづくりの本質を別のところに置きたい。数字を取ることに執着した人間の制作物を消費者としての自分は好きじゃない。ただただ作り込まれたおもしろいものが好きだ。スピルバーグやギレルモ・デル・トロみたいな、ただただ自分の考えるおもしろい世界を構築することに取り憑かれた魔物が作る制作物が好きだ。自分の価値観はそこで、数字と距離を置きたい。月一で見てオーってなるくらいの距離がいい。

そういう風にちょっと軸を見失っていたんだけどこの映画を見てはっきりした。
もやが消えた。向かう場所がわかった。わかったら道ってシンプルで、それを忘れず全ての行動の指針にすればいい。色々な取捨選択のカギが手に入った。

自分は自分が思う最高の城を作りたくて制作をしている。
(この「城」は音楽であり映像であり自己の精神性や外見、能力であり今後の自分が作りたいという衝動を抱くすべてを指している)
どうやら頭の中にある空想を具現化したいときにエンジンが回る。
どこかに向かう過程が一番動きやすい。

2025年よりその先の人生の目標として、自分は城を(いずれ都市になるそれを)作るために一個一個積み重ねていきたいです。

2025年はその方針を魂に刻み込むことができたらいいな。まだ馴染みきってはいないから時間をかけて。潜在意識がそれで埋まるくらい。徐々に後戻りできなくなるくらい狂いたい。そういう人生がいい。際限なく追い求め続ける人生は苦しくて幸せだ。死ぬときが何歳だろうと「まだやりたかったな…」と後悔を抱きたい。泥水を啜りながら空を見上げ蠢き続ける生物でありたい。

雑記2 

ボカクラで自分の音楽が届いていること、聞かれ方を知ったけどその人たちのことを考えて自分は作れないのかもしれない。「聞いてくれているみなさんのおかげで〜」ってシーンに「自分はそんな純真を持てないな…」と思ってしまう。今回も思いを届けたくて歌ってる一歌もミクもあまり共感できなかった。まふゆの「自分のためにしか歌詞を書けない」シーンの方が共感できたし、「それでも書いてほしい」と意思を伝える奏のプロジェクトマネージャーさが一番共感した。自分の意思の伝え方が好きだし、在り方としてのニーゴが好き。ニーゴだけ机の前で作ってたりdiscord開いているシーンが多くて嬉しい。10年後のニーゴはエアロバイクかバランスボールに乗って健康を意識しながら制作してくれ。Gyr0はこの文章をテーブル付きエアロバイクを漕ぎながら書いています。


雑記3  ネタバレもある

異質さを受容したらもう抜け出せない。ある種の変さ、キモさ、違和感、差異、個性、オリジナリティなどの他で見られないものを受け入れるとその世界観にハマってしまう。受容したらその世界に浸かることになる。この映画は他で見られないことをやっていましたね。人よりちょっと多く映画館に通っていると思うけどここまで能動的に参加した映画はこれまでになかった。4DXの没入感とは違った。今までの映画館での記憶から、映画に身を任せるよう受け身でいる準備を自然としていたんだけど、それをさせない瞬間が最初と最後にあった。はじめて銀幕の前で能動的になったと思う。

映画としてのストーリー展開や演出は全く刺さらなかった。でもいい体験だった。人生TOP5に入るくらいの映画体験だった。not for meな部分も多かったんだけど。昔、奏が曲を作ってるシーンを見てはソシャゲではなくDAWを触るべき、と狩り立てられ、最終的にそのままアンインストールしたことかnot for me。前日にシビル・ウォー アメリカ最後の日を見ていたのもnot for me。ストーリーや演出、画作り、言葉で説明しないものの作りこみや描くものの社会的責任の背負い方など質に圧倒された映画だった。アマプラで見れるので本当におすすめ。

https://www.amazon.co.jp/gp/video/detail/B0DLSK23BG/ref=atv_dp_share_cu_r

そんな2024年の映画業界における最高傑作と比較したら大体の映画は負ける。別の作品だし勝負所は違うんだけど自分の状態は勝手に比較して中盤のシーケンスは退屈さを感じていた。わかりやすさを重視していたのか冗長で丁寧でつまらなかった。PCの前に座る奏を見ては劇場飛び出してspeed garageを作りたくなっていた。本当に飛び出していかなくてよかった。閉幕してからが本番だった。

田舎の空いていた、隣に誰も座らない映画に通っていた。そこでは他の鑑賞者の存在ってノイズでしかなかった。今回は池袋グランドシネマサンシャインで見たんだけど隣に人の気配があるのが煩わしいな〜ポップコーンの減り具合が早い人だな〜と相変わらずノイズを感じていた。人が多くてメリットなんてないと思っていたんだけど、それがひっくり返った。最後のアフターステージで。すごいことをしますね。映画を見にいく心づもりで行ったからなんの準備もしていなかったんだけど、両隣の人がペンライトをしっかり振ってくれたおかげで自分もライブに没入できた。異質すぎる。プロセカの世界に圧倒的な強制的で引きづり込まれた。劇場という必中必殺の領域展開。

来る層に向けたアプローチとして製作陣はかなりパワフルなものを選んだね。実現できるんだあんなことが。未踏を踏み越えていった姿を見た。正しいアプローチだと思う。合成音声音楽が好きな人が、プロセカが好きな人が、動かされる仕組みがデザインされている。とんでもないことしましたね。新時代のアプローチすぎるよ。今までの映画を退屈なものにするくらい構造が魔力を帯びている。これが成功したらこれからのファンムービーって構造から変わるのでは?

最後のライブパートってもしかして回ごとに変わるのか?ご利用の案内もまさか全ユニット分あるのか?来場者特典だけでもガチャ要素があるのに映画の内容にもガチャが?自分はビビバスのライブを見たんですけどハードコア的な展開が来たときに笑顔になりました。抗えないねこの血脈は。

あとエンドロールで一瞬光ったのも作り手の惹きつけようとする心、エンターテインメント性を感じて好感度高い。楽しませてくれようとしてありがとう。

受け取りました。

自分が建てた建築物だけでモンサンミッシェル(あるいはフランス西海岸)を作れるよう、レンガ積み重ねていきます。やるぞ。


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