誰かの願いが叶うころ

ここ2〜3日、無職のスタートダッシュに失敗し、また疲れが出てきている。
本当はnoteに書きたいことが2、3あり、記事は下書きに入れているのだが、未だ完成せず。
うまく記事をまとめられていないのと、次々とくる新たな課題の対処に気づかないうちに疲てしまっていたのか、分かりやすく睡眠時間が伸びていて、結果記事が完成する前に1日が終わっている。

今回のこの記事は、ただただ今の行き場のない思いを書くだけです。
溜まったものを吐き出させてください。

近々で母の法事があるのだが、それに向けての準備を細々としている。
本当は私ではなく父が中心となって動いた方がいいのだが、父の気持ちもあるので今回は私が動くことにした。
親戚は「なんで父がやらないの?」と今回の法事に消極的な父に対して色々思うことがあるようだし、私も少し思うけどそれ以上に無事に法事を終えたい気持ちが強いので、そういった親戚の気持ちには蓋をして動いている。
親戚は自分の気持ちは言うけれど、最終的には「あなたに考えがあるんだろうから、それでいいけど・・・。」と私が決めて動いていることに一応は納得してくれている。
そう、一応・・・。

法事なんてやってもやらなくても、決して母が生き返る訳ではないし、所詮生きている側の自己満足に過ぎないと思っている。
生前、母にしてあげたかったことなんて山のようにあって、実際にできなかったことへの苦しさと後悔は募るばかりだ。
だからこそ、今目の前に母はいないけど、法事だろうがなんだろうが母のことを思って何かをする機会があるのならしっかり取り組みたい。
自己満足上等。

母がいなくなって辛いのは父も私も一緒。
でも、その寂しさや辛さへの向き合い方がちょっと違うだけ。
そして、母以外の親戚との関わり方や思いがそれぞれ違うだけ。

3月に入り、色々親戚や父とやりとりをしたり法事を準備をする中で、それぞれの思いや気持ちがあって誰も悪いわけじゃないから、どうすればみんなが嫌な気持ちにならずに過ごせるんだろう、とすごく考えてしまっている。

今、宇多田ヒカルの「誰かの願いが叶うころ』を泣きそうな気持ちで聞いている。
昔から好きな曲だったけど、「誰かの願いが叶うころ あの子は泣いてるよ
みんなの願いは同時には叶わない」という歌詞が今の私にはとても響いて、聞くたびに切なくなる。

それぞれの気持ちがある。
全てが叶うことなんてない。
今の自分は自分にできることをやるしかない。
だけど、私は自分の大切な人が嫌な気持ちにならず、幸せであってほしいだけなのに、なんでこんなに苦しいのかな・・・、とやり場のない思いに少し心が疲れてしまっている。

今は法事が無事に終わることだけ考えよう。


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