見出し画像

シェアハウス・ムラヤ 第1話(note創作大賞2023応募作品)

【あらすじ】
ゆりえは亡くなった叔父から、東京の下町・村家むらや(架空の街)の一軒家を譲り受ける。そこでシェアハウスの運営を始めたゆりえ。様々な訳ありの人達が、入居者として集まってくる。
子育てに疲れたシングルマザー、会社を辞めたいバリキャリ女性、そして、子ども好きの一見平凡な青年。それぞれに事情を抱えた、彼らの共同生活が始まる。
ゆりえが決めたシェアハウスのルールは「週に1人1回だけ、皆の夕食を作ること」。簡単素朴な「普通のご飯」を作って食べる、不思議な疑似家族。どんな出来事が起こるのか?

【キャラクター設定(補足)】
降木ふるきゆりえ(58)
職場を早期退職し、シェアハウス経営を始めた。
永井彩香ながいあやか(34)
シェアハウスの住人。小学生の息子を育てるシングルマザー。
永井鉄平ながいてっぺい(7)
シェアハウスの住人。彩香の息子
青山弥生あおやまやよい(49)
シェアハウスの住人。都内の有名IT企業に勤める「バリキャリ」女性。気さくで人懐こい性格。
草野拓磨くさのたくま(27)
シェアハウスの住人。子ども好きで優しい性格だが、ある事情を抱えている。
克也叔父かつやおじさん
ゆりえの叔父。自分の持ち家をゆりえに残し亡くなった。
山村やまむらさん
シェアハウスの隣人。克也叔父さんとは同年代で、長年の友人だった。
高須たかす沙都子さとこ
ゆりえの高校時代からの友人。若くして結婚し、成人した子どもがいる。独身のゆりえとは立場の違いを超えて、いろいろと語り合える仲。


「うわ、手作りハンバーグ?彩香あやか
声をあげたのは、弥生やよいだ。
そうだよ、と彩香がにっこりして答える。

「彩香ちゃん、おつゆも作ってくれたんだ」
配膳を手伝いながら、ゆりえが言った。
「作る気力があったから」
彩香はいたずらっぽく笑う。

鉄平てっぺいが、おっママ今日ハンバーグ?と生意気に言って椅子に座る。全員が席について、いただきますを言った。
「なめこ汁、めっちゃみる」
弥生はみそ汁に最初に箸をつけ、沁みる、沁みる、と何度もつぶやく。
「何回沁みるって言うの」
彩香は照れ笑いをした。


降木ふるきゆりえは「シェアハウス・ムラヤ」の管理人だ。住み込みで、入居者と一緒に生活をしている。

今も路面電車が走る、東京の下町・村家むらやの一軒家。両親を見送った後実家を兄夫婦に譲り、ずっと賃貸暮らしを続けるつもりだった独身のゆりえに、思いがけない話が舞い込んだ。村家に住んでいる叔父の克也かつやが亡くなり、住んでいた家が、ゆりえに相続されたのだ。

その家が建ったのは38年前。ゆりえは2,3回しか遊びに来ることはなかったが、この街のことは、強く印象に残っていた。
スーパーや飲食店が並ぶ駅前は、気ぜわしく活気にあふれ、路地を1本入った住宅地は、あたたかい生活の匂いがする。そして街の中央を貫く、路面電車の駅と線路。何とも言えないのんびりした空気が流れていた。

住宅地として整備された、埼玉のゆりえの地元とも違う。都内の他の、洗練された街とも明らかにちがう、独特な空間。都心から近く、私鉄と地下鉄が通っているのに、都内の人々にもあまり名前を知られていない。不思議な街だ。

叔父の克也は、独身だった。鉄骨造り2階建ての家は、1人で暮らすには広すぎるものだった。
後に結婚するつもりだったとか、母から以前聞かされた気がするが、確かなことはわからない。そしてなぜかその家は、同じひとり身のゆりえに譲られた。

ゆりえはその家を、シェアハウスにすることにした。売却したり賃貸にしたりということも考えたが、この家を譲り受けることになった時から、ゆりえはどうしても、この村家に住みたくなったのだ。


「ゆりちゃん、本当に思い切ったよね。びっくりしてる」
出会った頃と変わらない呼び方で、高須たかす沙都子さとこが言った。ゆりえの高校時代からの親友だ。
「早期退職のこと?」
ゆりえは聞き返した。2人でよくお茶を飲む、お互いの近くの駅のカフェ。沙都子は、うん、と頷いた。
「意外と、好条件だったんだよね。退職金の割り増しもあったし・・」
「でもさぁ」沙都子はコーヒーを一口飲んで言った。「いくらそういう条件があって、定年まであと2年っていっても。今みんな、不安じゃない。少しでも長く、って思う人がほとんどだと思うけど。よく思いきれたなぁって」
「うん。私の同期でも、ご家族養ってたり、お子さんがまだ学生だったり、そういう人には難しいと思うよ。でも私はほら、ひとりだから・・」
沙都子は、ゆりえを見てきいた。
「やっぱり、叔父さんの家を相続したのが大きいの?」
「そうね。というか、それが全てのはじまり」

ちょうど叔父の克也が亡くなって、家を譲られることがわかった頃。ゆりえが新卒から35年、正規職員として勤めた私立大学から、早期退職の話が打診された。
もちろんゆりえにだけ提示されたものではなく、公募の形で全職員に出たものだった。沙都子に話した通り、退職金などの条件は悪くなかった。
「家の相続と早期退職のふたつが、私の中でつながったんだよね。これで新しいことを始められるかもしれない、ってすごく前向きになっちゃって」

「リフォーム、大変だったでしょ」
沙都子は、ゆりえから送られたスマホの写真を開いて眺めた。整えられた外観やリビング、居室などの画像。
「そうでもないよ。キッチンとか水回りと、あと外壁も直したけど・・思ったより、安くあげられたのよ。退職金の半分もかからないくらい」
「やっぱり、すごいわ」
沙都子は首を振って言った。
「そういえば、もう入居者募集してるんだっけ?」
「そうなの」ゆりえは体を乗り出した。「そのことで、今日は相談したかったんだけど・・」


ゆりえは、シェアハウス専用SNSで入居者を募集していた。
地下鉄・私鉄・都電 村家駅徒歩5分。16畳のLDKと、バストイレ共同。居室は6~8畳。家賃※万円(光熱費込)。間取り図と、外観写真1枚、LDKとすべての居室の写真を添付した。「詳細は、面談にて直接お話しできればと思います。お気軽にお問い合わせください」とメッセージも添えて。

まもなく1人の女性ユーザーから「いいね」がついた。そして1日も経たないうちに、そのユーザーからDMが届いた。

こんにちは。私は都内に住む、34歳の派遣社員です。7歳の子ども(男の子)と2人暮らしです。こちらは、子どもと一緒に入居することは可能でしょうか?

シングルマザーだった。ゆりえは思わずうなった。明記はしていないが、入居は単身者しか想定していなかった。ここで断ってしまうこともできる。でも・・
ゆりえは返信した。

お問い合わせありがとうございます。はい、特に「単身者のみ」の制限を設けた物件ではありません。お子さんと暮らしやすい物件かどうか、1度見にいらっしゃいませんか。その時いろいろとお話しして、お互いに細かい疑問点など解消した上で、ご入居については決められたらと存じます。

まもなく返信がきて、2日後に面会をすることに決まった。
問い合わせた女性の名前は、永井ながい彩香あやか。都内の企業で、派遣で事務職員をしているという。

ゆりえは村家駅で、息子を連れた彩香と待ち合わせた。大きな目が印象的で、明るい髪色のショートヘアを耳にかけ、小さなピアスが光っている。可愛らしい今どきのママ。
息子はプルオーバー型のパーカーの上にジャンバーを着て、母親としっかり手をつないでいる。母親とはあまり似ていない、切れ長の目をしていた。

息子は彩香に促され、「ながいてっぺいです」と、はっきりした声で自己紹介をした。
ゆりえは彩香と息子の鉄平てっぺいを、駅前の「びすとろ・ぼーの」というイタリアンレストランに案内した。路面電車の線路沿いにある、ゆりえお気に入りの気取らない店だ。

「今は万寿まんじゅに住んでいるんです。といっても万寿駅からはすごく遠くて。駅まではいつも、バスか自転車です」
万寿駅は、地下鉄村家駅の隣の駅だ。JR線やいくつかの私鉄のターミナル駅にもなっており、駅前にファッションビルや飲食店が建ち並ぶ、とても賑やかな街だ。

勤め先の場所を聞くと彩香は、万寿とは逆方向にある、JRの駅名を言った。
「それなら、こちらの方が断然いいね。家も、駅から歩いてすぐよ」
ゆりえはそう言って、鉄平に目を向けた。運ばれてきたピザを、おとなしく食べている。
「そういえば」ゆりえはふと気づいて言った。「鉄平くんは、転校することになるよね」
「カイトくんとアオイくんがいるから、大丈夫」
彩香が答えようとするより先に、鉄平がはっきりした声で、ゆりえに答えた。
「あ、以前スイミングの短期教室で一緒になったお友達がいるんです。その子たちが村家小学校だって言っていて。ね、鉄平」
彩香が慌てて付け加えた。
「村家小学校の、1年2組だって言ってた。カイトくんもアオイくんも」
「そう、お友達がいるなら心配いらないね」
ゆりえは思わず微笑んだ。鉄平はゆりえをまっすぐ見て頷いた。彩香はそっと、鉄平の頭に手を置いた。
明るくて、いい親子だな。ゆりえは思った。

「永井さん、なぜシェアハウスに入りたいと思ったの?」
「いろいろあるんですけど」考えながら彩香が話す。「駅が遠くて通勤が大変とか、家賃が高いのに手狭になってきたとか・・」
「お一人だといろいろ大変でしょう。ご実家は遠いの?」
「実家は、愛媛なんです。コロナでますます帰らなくなってしまって。シングルになって、心配はされてますけど・・両親も仕事があるし、甥や姪の面倒もみてるし、東京まで私を助けにくるのは現実的じゃなくて」
ゆりえは頷いた。
「最後は私が愛媛に帰るしかないんですけど。でも愛媛でもかなり田舎なので、帰っても仕事がないんですよね。もう少し、こっちで頑張ってみたいんです」

「でも恥ずかしいんですけど、2人で過ごしてると煮詰まることも多くて」
ニツマルって何、と鉄平が聞いた。けんかしちゃうってこと、ママいつも怒ってばかりだもんね、と言って彩香はまた鉄平の頭をなでた。
「ママ、怒るとめっちゃこわいよ」
鉄平がゆりえに向かって、楽しそうに言った。
「他の家族も親戚もいなくて、いつも私と2人だけで、それでいいのかなって・・もっといろんな人に囲まれた環境で、この子を育てたいんです」

「びすとろ・ぼーの」を出て、ゆりえは彩香と鉄平をシェアハウスに連れて行った。
リビングの広さに興奮した鉄平が、部屋の中を駆け回ろうとするのを、彩香が慌てて止めた。2人は、広い、広い、と言いながら、家中の部屋を見て回った。

「素敵なお家でしたね。それに村家っていい所。私、来たことなかったんですよ。隣の駅なのに」
二人を駅まで送る途中、彩香が言った。
「そう。私も気に入ってるの。万寿みたいに何でも揃うわけじゃないけどね」
「わかります。初めて来たのに、なんだか懐かしくてほっとする」

まもなく駅に着き、ゆりえは親子と別れた。他の入居希望の方もいるので、入居できるかどうかについては改めてご連絡します、と伝えて。


「それでどんな感じだったの?そのママさんは」
「見た目は今どきの若いママって感じだけど、落ち着いた、感じのいい人だったの。息子さんも、元気がいいけどしっかりしてて」
「そっか・・でもゆりちゃんは、入居してもらおうか悩んでるってわけ?」
ゆりえは考えながら答えた。
「その永井さん親子については、何の問題もないと思ったの。でもね、最初の入居者さんでしょ。これからあと2人、入居者を募集するわけだけど、既に入居している人に子どもがいるとなると、ちょっと・・っていう人も多いのかなぁって」
「なるほど」
「シビアに考えちゃうんだよね。これからこのシェアハウスを、しっかりやっていかないといけないわけだから」

なるほどね、とつぶやいて、沙都子はコーヒーに口をつけてから言った。
「その永井さん、本当に大変なんじゃないかな。1人で子育てって、私からするとありえないって思って」
ゆりえは、2,3度大きく頷いた。子育ての苦労に関しては、沙都子は専門家だ。ゆりえは意見を聞きたかった。

「コロナが一番ひどかった時、お年寄りは、子どもや若い人と接しちゃダメだって言われてたでしょ。それで実家に頼れない人が増えたよね。私がもし、今子育ての真っ最中だったら・・って考えたらぞっとしたよ。うちは近いから、子どもが小さいときは週に1,2回は実家にご飯食べに行ってて、すごく助かったもん。それが全くできなくなってたらと思うと。あぁ、うちは子どもが大きくなっててよかったって、心から思っちゃった」
沙都子がそんなに実家を頼っていたとは、意外だった。20代で2人子どもを産んだ沙都子は、本当に献身的で一生懸命なママだったから。

そう伝えると、沙都子は眉間にしわを寄せて首を振った。
「いくら頑張ったって、365日、ずっとチビ達にご飯を用意し続けるのは、無理だよ」
ゆりえは、そうかぁ、とつぶやいて言った。
「永井さん、もっと人に囲まれた環境で、この子を育てたいんです、って言ってたの」
沙都子はうん、と頷いた。
「けっこう切羽詰まってるのかもしれないよ」

考え込むゆりえに、沙都子が言った。
「もちろん、入居することを、ゆりちゃんがよく納得しないと。シェアハウスがうまくいくことが、一番大事だもん。でも、きっとゆりちゃんの中には、困ってる人を助けたいって思いがあるんじゃないのかな・・違う?」


数日後、ゆりえはシェアハウスに引っ越した。荷物の搬入や家具の新調は少しずつ進めていたので、大がかりな作業はほとんどない。

ゆりえは、隣の山村やまむらの家のチャイムを押した。古い家屋の玄関扉が開き、山村が顔を出す。
「山村さん、今日引っ越して参りました」
「おぉゆりえちゃん。今日だったのかい。ご丁寧にどうもね」

ゆりえはシェアハウスに山村を招き、ダイニングテーブルにお茶とお菓子を出した。山村は立ったまま手を付けず、リビングダイニングを見渡している。
「本当にきれいな家になってさ。かっちゃんも喜んでるよ。若い人らが集まって、賑やかになるもんな」
山村は、亡くなった叔父の克也とは年齢が近く、親しくしていたという。80歳を超えているが、口調も身のこなしもしゃんとしていて若々しい。

「そういえばこの間さ、若い母親と小さい坊主が来てなかったかい」
「来てましたよ。この家を見たいって方で、案内したんです」
「俺、びっくりしちゃったよ。克ちゃんが昔連れてきたの思い出しちゃって。一瞬、時間が戻ったか、俺もボケたかって思っちゃったよ」

きょとんとするゆりえに、山村は言った。
「克ちゃん、30何年前にここを建てたよな。呼び寄せて結婚したい人がいたんだ。知らなかったのかい」

お茶菓子の出されたダイニングの椅子に腰かけ、山村は話を続けた。

その人には、子どもがいた。母子家庭だった。克也叔父さんは、子どもも一緒に引き取って家族になるつもりだった。

「ところがその人は、突然死んじまった。末期がんだったんだな。がんっていったら、今みたいに、がん告知なんてしないのが当たり前だろ。多分その人、自分が死ぬとも思わず、あっという間に、知らない間に死んじまったんじゃねぇかな」

克也叔父さんは、残された子どもを引き取れないか掛け合ったという。でも籍を入れてない人物が引き取ることは、当然できなかった。その子は親戚に引き取られて、そこから、克也叔父さんはずっとこの家で一人で暮らしたという。

そんな詳しい話を聞いたのは、初めてだった。ゆりえは驚いて、言葉を失っていた。
「だからゆりえちゃんがこの家を引き継いで、こないだの母ちゃんと坊主なんかを呼び寄せて暮らすなんて、克ちゃんは喜ぶと思うよ」
ゆりえは言葉を失ったまま、山村を見て頷いた。
「克ちゃんはよく、ゆりえちゃんのことを話してたんだよ。賢くてかわいいやつで、でも俺と同じで不器用だからいまだにひとり者なんだって。だからこの家はゆりえにあげたいんだって。しっかりしたやつだから、きっとこの家を悪いようにはしないぜって」

山村が帰った後、茶碗と皿を洗いながら、ゆりえはつぶやいた。
「運命なのかなぁ」
克也叔父さんがこの家で一緒に暮らしたくて、でもかなわなかった母子。
家を譲り受けたゆりえの前に、現れた母子。
彩香親子は、克也叔父さんが果たせなかったことをするために、ゆりえの前に現れたのかもしれない。

叔父さんの分も、頑張ってみようかな。私が。
ゆりえは決心した。

彩香と息子の鉄平が快適に暮らすために、自分に何ができるのか。
ゆりえは兄の子どもや、友人の子どもと交流したことは何度もある。皆、懐いてくれて、いい子ばかりだった。子どもが嫌いではないと思う。
でも、日常的に子どもと一緒に暮らしたことはない。
子育てって、どんな苦労があるのか。自分が手助けできるようなことは何か?
わからないことだらけだ。

沙都子の話を思い出した。
「365日、ずっとチビ達にご飯を用意し続けるのは、無理だよ」
子育て家庭にかかわらず、ご飯は、毎日毎日、誰もが必要だ。でも小さい子どもは、自分で買って来ることもできない。

とりあえず、ご飯だな。
ゆりえはつぶやいた。
ご飯を365日休みなく、誰の助けもなく提供し続けるのって、よく考えると本当に大変なことだ。

ゆりえは、料理に自信はない。自分が食べるものを毎日作ってはいるが、簡単なものが多く、誰かに料理をふるまうこともほとんどない。
入居者に、栄養士が作ったバランスの取れたメニューを提供するシェアハウスもあるらしい。でも、そんなコストはかけられない。ゆりえが毎日、入居者に作って提供することも難しい。
でも、そこまで完璧でなくても、できることがあるんじゃないか。

何かピンとひらめいて、ゆりえの頭の中は忙しく働き始めた。スマホを取り出してシェアハウス専用SNSを開き、彩香のアカウントにメッセージを送る。

ご入居の件、諸々調整できたので、ぜひお話し進められればと思います。
入居後の生活について、ルールというか、いろいろアイデアがあるんです。永井さんが初めの入居者なので、それを一緒に考えられたらと思って。1度、またお話しできますか。お近くまで行きますので!


次の日、ゆりえは彩香の住む、万寿に出向いた。
ゆりえは説明した。シェアハウスでの夕食を、入居者で交代に作る。
満室になれば、大人の入居者はゆりえを含め4人。1人週1度、4人で交代に作り、残りの日は各々自由。朝・昼食も各々自由。

「じゃあえっと・・週3回は夕食を、他の方に作ってもらえるってことですか?」
そう、とゆりえはにっこりして頷いた。
「毎日作らなくていいなんて、すっごくうれしいです」
彩香は目を輝かせた。
「あっでも、私そんなにお料理上手じゃないんです。大丈夫かな」
ゆりえは首を振った。
「私も全然、料理には自信がないの。南十字みなみじゅうじあきらさんみたいに、材料をたくさん買い込んで、お料理何品も作って・・なんてことができればいいんだけど。そんな才覚はないの」
南十字晶は、豪快なキャラと、家庭的で料理上手なキャラのギャップで、人気のタレントだ。テレビや動画サイトでたくさんのオリジナルレシピを公開している。
「わかります!主婦はみんなあんな風にお料理できるって思われると、きついですもん・・南十字さんのレシピはいいなぁって思うんですけど」
「そうそう。だからもちろん、あんな風に何品も作ることはないのよ。ご飯と、おかず1品あれば十分じゃない」
「おかず1品でいいんですか?汁物はいりませんか」
「あったらいいけど、必須にしなくてもいいんじゃない。何か欲しい人は、自分でカップスープとか用意しておけば」
「カップスープ?」
そんなのでいいの、という表情で、彩香はいたずらっぽく笑っている。ゆりえも負けずに笑い返した。
「そうよ。無理なく続けるために、こころざしはできる限り低く」


彩香親子の入居を決めた頃、次の入居者から申し込みが来ていた。
青山あおやま弥生やよい、49歳。大手のIT企業・T社に勤める独身の女性だ。

ゆりえは早速面会の約束をした。また村家の「びすとろ・ぼーの」だ。

ワイドパンツにアーモンドトゥのパンプスを履いた弥生は、すらりと背が高い。セミロングの髪はつやがあって、控えめに整えられている。

弥生の勤めるT社は、それほど一般に名前が知られてはいないが、IT企業では、最大手の1つだった。東京の臨海地域に、大きな自社ビルが建っている。ゆりえがそのことに水を向けると、
「私の入った頃は、地方銀行の系列の、小さな会社だったんですよ。それがこの20年で、あれよあれよで。私、わらしべ長者みたいなものです」
そういって弥生は、いたずらっぽく笑ってみせた。

仕事以外の話も、いろいろと弥生はしてくれた。仙台出身で両親も健在、兄一家が近くに住んでいるという。
「兄やお義姉さんがしっかりした人だから、安心しちゃってるんです。不肖の妹ですね」

10数年前、千葉の湾岸エリアに3LDKのマンションを買い住んでいたが、このシェアハウスに入居できるようになったら、貸室にするという。ローンは返済ずみだ。
「売るかどうか迷ったんですけど、いろいろ考えて、貸すことにしました。今けっこう需要があるみたいで」
仕事もプライベートも、かなりのやり手。いわゆる「バリキャリ」だ。

ゆりえは、最初に入居した彩香親子のことを話した。
「小学生の男の子、かわいいですよね。兄の子ども達は、だいぶ大きくなっちゃって。入居して会うの、楽しみにしてます」
弥生は笑顔で言った。
こだわらない人もいるのだ。ゆりえはほっとした。

次に、シェアハウスの唯一のルールを話した。最初に入居した彩香と、食事を週1食担当するルールを決めたこと。
弥生はその話を聞くと、かすかに表情が曇った。

「普段、ご飯はどうしてますか?毎日準備するのも大変よね」
「そうですねぇ」
弥生は今度は、怒られた子どものような、ばつの悪い表情になった。
「私の夜ご飯って・・牛田うしだるいさんみたいな感じなんですよ」
「牛田類?『酒場さかば漫遊記まんゆうき』の?」
そうです、と弥生は笑った。
牛田類は文筆家だが、本業よりも、BS局で放送している「酒場漫遊記」という番組で有名だ。酒と酒場を愛する牛田氏が全国の酒場を巡り、店主や居合わせた客と交流しながら、酒と肴に舌鼓を打つ・・という番組。
「面白いよね。私飲まないけど好き。青山さん、あんな風に酒場を漫遊しているの?」
「いえいえ、さすがに女一人であんな風に飲み歩くのはちょっと」
仕事の帰りに、スーパーの鮮魚売り場や惣菜売り場で、酒の肴を買って帰り、家で一杯やるのだという。
「類さんが食べているような、お刺身とか、魚や肉の焼き物とか、あれば珍味とか・・あっちは飲み屋だから当たり前なんですけど。私は家で、ビール飲みながら、そんなものばかり食べてるんです。こんなんでいいのかなぁって思うんですけど」
「ご飯は、食べないの?」
「お米は、食べませんねぇ。なんだかお腹いっぱいになっちゃうんです。つまみだけで。最近、揚げ物とかこってりしたものも全然食べられない。年なのかなぁ」

お酒を飲む人だと食事の好みも違うのかもしれないなぁ、と考えつつも、ゆりえは言った。
「私も、今入居が決まっている方も、そんなに料理に自信はないのよ。青山さんも、お酒のつまみの延長で全然かまわないんだから。気軽に作ってちょうだい」


降木ふるきさんは、どうしてシェアハウスをやろうと思ったんですか?」
ひと通りルールについて話し終わると、弥生は唐突に、そんな風に質問してきた。
ゆりえは、シェアハウスを始めた経緯を説明した。叔父から思いがけず、この村家にある一軒家を譲り受けたこと。同じタイミングで、職場から早期退職募集があったこと。新しい場所で、新しいことにチャレンジしたくなったこと。

すると、弥生の表情がぱっと明るくなった。
「・・わかります!私もそうなんです。私も実は、会社辞めたいと思ってて」
「えっ、そうなの?」
ゆりえが驚いて聞き返すと、弥生は、大丈夫です、すぐには辞めませんから、と手を振った。ピンクベージュのネイルが控えめに光っている。

「仕事は大好きなんですけど。でも・・会社って、気がついたら、生きてるほとんどの時間を捧げてますよね。私は家族がいないから余計に、あれ、他に何をしてたっけって感じで」
ゆりえは、うんうん、と頷いた。
「この歳まで頑張って働いて、ある程度の蓄えはできました。マンションもありますし。だからこれからは、会社の仕事じゃなく、自分のやりたいことを仕事にして、それに時間を捧げようって。何をしようかはまだ曖昧で、これからじっくり考えるんですけど。会社も、すぐに辞められるわけじゃないですし。身軽なひとり者だから、考えられることですけどね」
ゆりえはもう1度、大きく頷いた。
「わかるわ。私も同じ」
「そうですよね。どうせなら、自分が思うことをやりたいんです。1度きりの人生じゃないですか」
そうよね。2人は、顔を見合わせて笑った。

ゆりえは最初、「バリキャリ」の弥生は、入居者としてふさわしくないかもしれないと思った。このシェアハウスは、彩香のように経済的に余裕のない人に入居してもらった方が、いいと思っていた。
でも、弥生の話を聞いて気持ちが変わった。弥生も自分と同じなのだ。そしてこのシェアハウスが、弥生のやりたいことを応援できる。

ゆりえは、弥生にも入居してもらうことに決めた。


弥生が入居して、1週間が経った。

この日は、弥生が入居して初めて、夕食を共にする日。当番は彩香だ。
彩香が作ったのは、ハンバーグだった。
鉄平の手のひらくらいの控えめな大きさの、コロンとしたハンバーグ2つ。中濃ソースとケチャップを混ぜたデミグラス風ソースがかかっていて、レタスとミニトマトが添えられている。
ルールでは、これとご飯だけでいいのだが、彩香は汁物も作った。なめこと絹ごし豆腐が入ったみそ汁だ。

最初なめこ汁に感動していた弥生は続いて、ハンバーグを箸で切って口に運んだ。ごく控えめによそったご飯と一緒に、ハンバーグを食べる。
「彩香、ハンバーグも最高」

弥生は、誰にでも壁を作らない性格だ。入居してすぐに彩香親子を、彩香、鉄平、と呼び、まるで昔から近くにいた親戚のようになじんでいる。
彩香は、弥生の方を見てにっこりした。


下町にあるシェアハウスの、不思議な疑似家族。どんな生活が始まるだろうか。

【第1話 了 9974文字(あらすじ・キャラクター設定を除く)】

第2話 ↓

第3話 ↓

第4話 ↓

第5話 ↓

第6話 ↓

第7話 ↓

書き終えて 感想とお礼 ↓

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?