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小説|湯浅さんのこと〈3〉

 入社2年目になり、私の仕事はますます忙しくなった。追われているような忙しさだった。

 「IT革命」などともてはやされ、世の中はコンピューターシステムを魔法の杖のように思っていた。

 それは別に、間違いではない。
 でもそのコンピューターシステムがどんな風に作られるのか。外側の人達は皆、わかっていなかった。

 最新のIT技術を生み出す人は、たしかに魔法使いのような天才だ。
 彼らのひらめき・アイディアが、様々なシステムをつくりだすもとになる。でもそんな天才は、ごくまれにしかいない。

 天才のアイディアだけで、システムはできない。それを形にするために、凡人達は一生懸命働く。
 天才がつくりだした最新技術を理解し、システムを設計する。これができれば、凡人の中でもかなり優秀だ。しかし、そんなに簡単なことではない。

 だから大部分は、その設計されたものを作る作業部隊に回る。
 AIなどなかったこの頃、コンピューターシステムは一から十まで、人間が作り上げなければいけなかった。設計をいくつものプログラムに細分化し、プログラミングして、それが問題なく稼働するか、テストを繰り返す。

 最新のコンピューターシステムの裏には、膨大な人間の労働があった。エジプトのピラミッドが、無数の名もない民衆によってつくられたように。

 新人研修のとき、ハラダ講師の言った
SEエスイーは、肉体労働だ」
はこういうことだったのかと、私は実感していた。


 湯浅ゆあささんは、しょっちゅう飲み会を催していた。例の、後輩の男子に囲まれて副業のノウハウを語る飲み会。

 飲み会は「湯浅会」と称され、女子も呼ばれた。湯浅さんは何より女の子が好きだった。声をかけるのは湯浅さんではなく、湯浅会の後輩男子達。私も声がかかり、時々顔を出した。湯浅さんは後輩達に囲まれて、いつもご機嫌で楽しそうに飲んでいた。


 湯浅さんは私の「ランチ友達」でもあった。月1,2回くらいの、気まぐれな。

「どう、最近?」
 少し間が空くといつも、湯浅さんはこう挨拶する。いつもの早口で、よく響くいい声で。
 私は、笑って答える。
 「いい感じだよ」とか「普通だよ」とか。

 食うと飲むには困らない、この街。湯浅さんはいつも、自分で店を選ぶ気はなかった。
 私が「ここの焼肉定食美味しいよ」「今日はあそこのパスタがいい」などと提案すると、いつも「いいねえ。そこにしよう」と乗ってきた。

 多忙をきわめる私に――いや他の同僚の多忙ぶりにも、湯浅さんは相変わらず関心がなかった。私も、何か相談をしたところで「そんな仕事、断ればいい」と言われるのは目に見えていたので、彼に仕事の話をしようとは思わなかった。

 湯浅さんが好きなのは、副業の話と、儲かったお金で遊びに行った話。どこの誰かはわからない「お気に入りの子」達も、時々話に登場した。そして、家族や自分の周りの大切な人達の話。
 私が一番好きなのは、彼の周りの大切な人達の話だった。

 湯浅さんには、かわいい妹がいるらしい。既に結婚しているけど、妹の旦那とはノリが合わないとか。妹の娘がまだ小さくて懐いてくるけど、子どもは苦手なんだ、とか。あとは、昔大好きだった彼女の話とか。

「ドリカムの『未来予想図Ⅱ』ってあるでしょ。あれが2人とも好きでさ」

 湯浅さんの話によると、歌詞の中にある
「いつもブレーキランプ5回点滅 ア・イ・シ・テ・ルのサイン」
の真似をしようと、彼女を送り届けた車で実際、ブレーキランプを5回点滅させていたとか。

「あれ大変なんだよ。角を曲がるまでにこうして――」
 AT限定のしかもペーパードライバーだった私には、その話はよくわからなかった。
 でも「未来予想図Ⅱ」の通り彼女に「ア・イ・シ・テ・ルのサイン」をしようと必死になる湯浅さんを想像すると可愛くて、笑ってしまった。
 それが今、どうしてこうなっちゃったの? とは聞けなかったけど。

 こういうことを話す時の湯浅さんは、とても無邪気で楽しそうだった。
 私にとっても本当に、楽しい時間だった。


 だけど私は、湯浅さんと遊ぶ「お気に入りの子」達の気持ちは、よくわからなかった。

 いつか、女好きのある先輩が言った。
「湯浅はすごいよな。あんなに大勢の女の子と遊んでいるのに、誰にも恨まれない。どうしてあんな風に、うまくやれるんだろうな」
 私は、先輩は女好きのくせに、そんなこともわからないのかと思った。
 皆、湯浅さんを本気で好きじゃないからだ。

 私はいつも、簡単に誰かを好きになってしまう。皆に頼られ慕われている人がいて、その人がもし、私のことを一生懸命に助けてくれたら。それだけでその人を、ころっと好きになってしまう。

 でも湯浅さんは、正反対だ。自分がいかに面白く生きるか、いつもそればかりを考えている。誰かを一生懸命助けたりなんてことは、絶対しない。
 楽しくて刺激的だけど、そういう人を、私は好きにはならない。「お気に入りの子」達だって、きっと同じだと思う。

 だから私は、湯浅さんと「遊ぶ」女の子達の気持ちがわからなかった。きっと好きにはならない人と、そういうことをしてしまう気持ちが。


桐谷きりや、来週から『KSCケーエスシー』に駐在な」
 隣の席のオガワさんが、有無を言わさぬ口調で言い渡した。
「――駐在ですか?」
「そうや。新システムのコーディング(※プログラミングのこと)、今頼んでるやろ。あいつら、いつも遅れよんねん。信用ならへん。そこでお前がKSCに行って、監視する。一緒におれば、仕様に関する質問にもすぐ答えられるやろ。電話とかもらわんでも。一石二鳥や」
「はあ……」

 オガワさんは、私の上司だ。8年だったか9年上で、30代。営業課長からの信頼も厚い、エース級の営業系SE。声が大きく、ザ・体育会系の大阪人。

 不出来な私は、しょっちゅうオガワさんに怒られる。
 私は私で、怒鳴られると腹が立つので、言い分があってもなくても言い返す。それで、余計に怒られる。

「じゃ、来週から錦糸町のKSCテックに出勤。決定」
 オガワさんの横顔とパソコンのモニターを、私はぽかんと眺めた。
 彼のデスクトップの壁紙は、No.1グラビアアイドルの優香ゆうかだ。オレンジ色のタンクトップを着た彼女は、モニターの中で愛くるしく微笑んでいる。

 聞けば、オガワさんは
「なんで、桐谷みたいな生意気なやつの指導せなあかんねん。優香みたいな子やったらよかったのに。そしたら、もっとやる気も出るのにな」
などとぼやいているらしい。

 KSCテックは、プログラミングの工程を外注しているシステム会社だ。小さな会社だが、プログラマーは皆私より知識も経験も上の人達ばかり。監視なんて、そんなことができるのだろうか。

 しかしオガワさんは、仕事でいつもたしかな結果を出す。知識も経験もない私に、KSCテックのプログラマー達と渡り合うことで、経験を積ませたいのかもしれない。彼の考えることには、いつも一理ある。かなり強引ではあるけど。

「オガワさん」
 また余計なことを言ってしまいそうだ。
「私が優香でなくて、よかったですね。優香には、KSCテックなんて行かせられませんもんね」

 また怒られる、と思いきや、そうではなかった。デスクトップと私をかわるがわる見て、オガワさんは動揺した顔で言った。
「――当たり前や。お前ならやってくれる、思って行かせんねん」

 私はオガワさんが、嫌いではない。


〈つづく〉


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