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シェアハウス・ムラヤ 第3話(note創作大賞2023応募作品)

弥生やよいさんは、どうして今の仕事を選んだの」
「あら。急にどうした」
日曜日の午後。弥生と彩香あやかはリビングのソファに座ってくつろいでいた。

「今度職場で、忙しい部署に異動になりそうなんだよね。いろいろ心配で。弥生さんって、ずっと今のお仕事続けてるじゃない。すごいなって」
いや私はね、と弥生は考えながら話した。
「最初の配属が、すごくよかったと思うの。配属ガチャとか先輩ガチャとかいう言い方もどうかと思うけど、最初にしっかり仕事を教えてもらえるかって大きいよね」「だってこの仕事は、他に選択肢がなくて決めたようなものよ。私の頃はほんとに就職厳しかったから」

そうだったんだ、という彩香に、弥生が聞き返した。
「彩香は、どんなお仕事してきたの?」
「私、新卒で入ったのは飲食系」
彩香は苦笑いをして、有名飲食系企業の名前を答えた。
「あぁ、きつそうなイメージあるね・・飲食系も、会社によっていろいろだろうけど」
彩香は頷いた。
「すっごく頑張ったけど、私は3年で限界。ちょうど結婚してすぐに鉄平を授かって、辞めちゃった」

鉄平てっぺいが、拓磨たくまを鬼ごっこに付き合わせてリビングから階段をドタドタ駆け回っている。こんな大騒ぎもゆりえが一切咎めないので、鉄平はいつも嬉々として、拓磨を付き合わせる。拓磨はまるで兄のように、鉄平に慕われている。

楽しそうに遊ぶ鉄平を眺めながら、彩香は話を続けた。
「鉄平が生まれて、しばらく子育てして、派遣で事務やるようになって、鉄平の父親と別れて・・今の会社には3年いてだいぶ慣れてたんだけどね。新しい部署は忙しい所みたいで」
「緊張するね」
「そうなの。なんか、殺伐としてて怖そう」
彩香は、言葉と裏腹に笑いながら言った。


ゆりえは、ダイニングテーブルで「コープ関東」のカタログを見ている。
「コープ」こと生協(生活協同組合)の宅配会員になると、毎週おびただしい数のカタログが配布される。毎日の食事作りに便利な冷凍食品から衣料品まで、あらゆるものが掲載されており、詳しく見始めると止まらなくなるほどだ。

「ゆりえさん、あとで生協のカタログ見せてね」
彩香が声をかけ、ゆりえは笑顔で頷いた。
「生協のカタログ、本当にすごいよね。私こんなのだって知らなかった」
弥生が言った。

「そうね。私も、自分が宅配の会員になるのは初めてなの。でも昔、職場で、女性の先輩方がやっていてね。欲しいものがあったらついでに注文してあげる、なんて、よくカタログ見せてもらってたの」
「職場でかぁ。うちでは考えられないな。生活感ない職場でさ」
弥生が笑った。
「大学って職場は、昔はそんな雰囲気だったのよ。女性には働きやすい環境だったかもね」
いいなぁ、そんな職場。彩香がため息まじりにつぶやいた。


ひとしきり遊んで少しおとなしくなった鉄平を見て、拓磨は自室からトートバッグを持ち出し、外出の準備を始めた。
「拓磨くん、今日も万寿まんじゅさん?」
彩香が聞くと、拓磨は小さく頷いた。

拓磨は時折、外泊をする。最初は「万寿の友達」と断りを入れていたが、ゆりえが、行先は別にいいのよ、と言ってからは、特にどことも告げず出かけるようになった。

でもいつも同じ行先らしいことは、皆感づいていた。
彩香はその行先を、勝手に「万寿さん」と呼び始めた。拓磨のいない所で、万寿さん、絶対彼女だよね、と言いながら。

「はる、ね」
拓磨は唐突に言った。彩香が、ん?と聞き返し、拓磨はもう一度繰り返す。
「はる、っていうんだ」
「あぁ!はるちゃんっていうの、彼女さん」
すかさず返した彩香に、拓磨は曖昧に笑った。
「はるか?はるな?」
拓磨は首を振り、いや、と言った。
「まぁまぁ、いってらっしゃいよ。雨降りそうだから早く行った方がいいわ」
ゆりえは、彩香の遠慮のない追及に、明らかに困っている拓磨を促した。
拓磨は安心したように、明日の夜には戻ります、と言い残しシェアハウスを出た。

「グイグイ行きすぎだった?私。もうちょっと仲良くならないと、教えてもらえないかなぁ」
彩香は、あっけらかんと笑いながら言った。すると、後ろで遊んでいた鉄平が、咳をした。
「なーんか怪しいんだよね。鉄平。風邪かも」


鉄平の咳は、夜になってひどくなった。
ゆりえが寝る準備をしていると、彩香が咳き込む鉄平を連れ、2階の自室から降りてきた。
「夜間救急行ってくる」鉄平は、昼間の元気さが嘘のようにぐったりしている。「前に、喘息みたいになって苦しくなったことがあって。心配だから連れていくね」
ゆりえは頷いた。「すぐに行ける?タクシー呼ぶね」

2人が帰ってきたのは、夜中の3時近くだった。鉄平は眠り込み、彩香は20キロ以上ある鉄平を抱きかかえ、家に入ってきた。ソファでうたた寝しながら待っていたゆりえは、物音ですぐに起きた。
「ゆりえさん、待っててくれたの」彩香は寝ている鉄平をどさっとソファに置いて、横たわらせた。「落ち着いたよ。でも、明日・・今日か。すぐに呼吸器科に連れていけって」
「喘息だって?」
「そうだろうって。かかりつけでは、これまで何度も相談していたんだよ。でも、薬を渡されるだけだったの。今日救急で、その薬じゃダメだから、早く呼吸器科を受診しなさいって」
「喘息だってわからなかったのかな。早く呼吸器科を紹介してくれたらよかったのに・・」
「うーん・・そうだね」彩香は怒っている様子もなく、淡々としている。「わからなかったのかもしれないし、何かあって紹介できないのかもしれないし。いろいろあるんじゃない」
彩香はどこか投げやりに言い、呼吸器科、どこにあるんだろう、調べなきゃ、とスマホを取り出した。

いや、朝調べよう、とひとり言を言い、彩香はまた鉄平を抱えた。
「8時には起きるね。職場に電話しなくちゃならない」顔をしかめて付け加えた。「明日、新しい部署の引継ぎの予定だったの。休んだらいろいろ言われるだろうけど、どうしようもないね」

次の日彩香は鉄平を連れて、何駅か先の呼吸器科へ行った。
帰ってきた鉄平はその日から、吸入薬をするようになった。それでも相変わらず、元気に走り回っている。

彩香は次の日出勤をし、帰宅後、休んだことすっごい怒られちゃった、と珍しく落ち込んだ表情をしていた。
「引継ぎ内容も、すごいボリュームなの。復習しないと」
彩香はその日から、帰宅後時折自室にこもるようになった。


「これね、職場でもらっちゃった。取引先の女性がくれたの」
弥生が夜帰宅して、海外の自然派コスメブランドの包みを取り出した。
「ハンドクリームなんだけど、私同じの持ってるんだよね。ゆりえさん、どう?」
ゆりえも好きなブランドだ。このブランドのハンドクリームは、女性同士の気軽なプレゼントによく使われる。
「うーん、好きなんだけど、最近家にいることが多くて、ハンドクリームあまり使わないのよね。彩香ちゃんにあげたら?」

そうねぇ、と弥生はつぶやいた。彩香は既に寝たらしい。ふと顔を上げた弥生は、冷蔵庫に飲み物を取りに来た拓磨と、目が合った。

「拓磨これ、はるちゃんだっけ、彼女にどう?よかったら今度持って行ってよ」
え、それは何?と拓磨は、ボタニカル柄の包みを怪訝そうに見た。ハーブ系のハンドクリーム、と弥生は答える。

「いや、いらないかな」
拓磨はぼそっと答えた。
「そう?女子はだいたい好きなやつなんだけどな」
残念そうに言う弥生に、拓磨は、ごめんね、多分使わないから、と言って水を一口飲んだ。
「男だからね、はるは」

拓磨はそのまま、表情を変えず自室に戻っていった。残されたゆりえと弥生は、ただ唖然として拓磨の後ろ姿を見ていた。

「そういうことだよね・・」
帰宅した服装のままソファに座り込んだ弥生は、しばらくして、小さな声でつぶやいた。
ゆりえは、黙って頷いた。
「かわいそうなこと、しちゃったかな」弥生は、足元に目を落とした。「暴いちゃった感じ?」

ゆりえは、彩香に「はる、っていうんだ」と言った拓磨を思い出していた。
拓磨がこのことをどうしても隠したかったようには、思えないのだ。

「大丈夫だよ」
弥生は、首をかしげてゆりえを見つめた。
「大丈夫だよ。私たち次第だと思うよ、弥生ちゃん」
「そう?」弥生は、納得したようなしていないような顔をした。
「なんかゆりえさんって、すごいね」
「何がよ」
弥生は、ついて行きます、とおどけて頭を下げてみせた。


高須たかす沙都子さとこが、村家むらやに遊びに行きたいと連絡をしてきた。ゆりえは快諾し、路面電車の駅前にある、行きつけの「びすとろ・ぼーの」を予約した。

「いいわぁ、このお店。都電の線路沿いなのね」
「びすとろ・ぼーの」の窓際の席に着くと沙都子が言った。
「いいでしょ。下町っぽくて。この店も、おしゃれ過ぎない所がいいのよね」

ランチのサラダを食べながら、沙都子が聞いた。
「その後、どう?シェアハウスは」
「順調よ」ゆりえは頷いて答えてから、あっ、とつぶやいた。「いや、いろいろ大変といえば、大変かな・・」

「えっ、大丈夫?」
心配そうな沙都子に、ゆりえは、ごめんごめん、とフォークを置いて首を振った。
「入居者の子たちとは、うまくやってるの。皆とてもいい子だから、助けてもらってる感じよ」
でもね、とゆりえは続けた。
「皆、何かと大変そうで。若い人たちって、こんな風にいろいろなことと戦ってるんだな、なんて考えちゃう」

そっか、と沙都子が静かに頷いた。
「うちの子たち見てても思う。今の子はいろいろ大変」
「楽に生きてる人なんて、今ほとんどいないよね」ゆりえも頷いた。「今はとにかく、あの子たちのことを応援したいなって思うの」

窓の外の道を、母親と小さな子どもが歩いている。発車ベルを鳴らして走る路面電車を見て、子どもが声をあげて手を振る。

かわいいね、と沙都子が言った。テーブルの上のグラスが、あちこちに光を反射している。

【第3話 了 3951文字】


【読んでくださっている方へ】
「note創作大賞」応募部分はここで終了ですが、話はもう少し続きます(6~7話くらいまでを予定)。
他記事をはさんでまた公開しますので、引き続きご覧いただければうれしいです😊


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